好きなことを、好きなまま続けるということ
好きなことは、なぜ続かなくなるんだろう
好きなことを始めること自体は、
それほど難しくないのかもしれない。(いや、今は難しいのかも?)
面白そうだから。
ちょっと気になるから。
なんとなく惹かれるから。
でも、
好きなことを「続ける」ことは、途端に難しくなる。
続かなくなった理由として、
よく挙げられるのはこんな感じ。
才能がなかった
向いていなかった
結果が出なかった
私はここで少し引っ掛かった。
この話がややこしくなる理由
この問題が難しいのは、
「好きなこと」という言葉の中に、
違う基準が混ざってしまっているからだと思っている。
私は、この話を考えるとき、
二つの軸があると捉えている。
一つは、好きか・嫌いかの軸。
もう一つは、良いか・悪いかの軸だ。
好き嫌いの軸について
好き嫌いの軸は、とても個人的。
楽しいか。
気になるか。
やってみたいと思えるか。
そこには、
評価も正解も、ほとんど関係ない。
誰かに認められなくても、
上手じゃなくても、
続けていたいと思えるかどうか。
この軸は、
自分の内側の感覚に近い。
良い悪いの軸について
一方で、良いか・悪いかの軸は、
少し性質が違う。
それは、
成果や評価、他者の視点、社会的な基準と
深く結びついている。
うまくできているか
価値があると言えるか
誰かの役に立っているか
そしてこの軸は、
仕事や役割、安定といったものに
つながっていくことが多い。
大人になっていくと、こっちの基準に向き合うことが多くなるし、好きになってくることもある気がする。
問題は、軸が一つにまとめられてしまうこと
好きなことが続かなくなる場面を見ていると、
多くの場合、
この二つの軸が早い段階で一つにされているように感じる。
好きだけど、良くない
楽しいけど、評価されない
やりたいけど、結果が出ない
すると、
好き嫌いの軸で動いていたはずのものが、
いつの間にか
良い悪いの軸で測られるようになる。
この瞬間、
好きなことは少しずつ苦しくなる。
大人の関わり方について、少しだけ立ち止まる
そんなことを考えていると、
子どもたちへの大人の関わり方についても、
少し気になる場面が増えてきた。
大人はつい、
「それは良いね」
「それはちょっと違うかもね」
と、良い悪いの軸でアドバイスをしてしまう。
もちろん、
悪気があるわけじゃない。
役に立ちたいし、失敗させたくない。
多くの場合、とても善意から出てくる言葉だと思う。
ただ、そのアドバイスは、
子どもたちが好き嫌いの軸で楽しんでいる途中に、
少し早く「評価の目」を向けて、子どもたちに「評価させて」いないだろうか、
と考えることがある。
まだ、
楽しいかどうかも分からない。
好きかどうかも、はっきりしていない。
そんな段階で、
「良い」「悪い」「向いている」「向いていない」
という言葉が先に置かれてしまうと、
そのこと自体が、
いつの間にか
好きではなくなってしまうこともある。
大人のアドバイスが、
結果的に
好きなことを続けにくくしてしまう。
そんな場面は、思っているより多いのかもしれない。
それでも、良い悪いの軸は必要だと思っている
だからといって、
良い悪いの軸がいらない、
と言いたいわけではない。
むしろ私は、
好きなことを続けていくためには、
この軸も必要だと思っている。
好きな気持ちだけでは、ずっとは続けられないと思っている。
ただ、順番の問題なのだと思う。
まずは、
好き嫌いの軸で動いてみる。
試してみる。
続けてみる。
その上で、
少しずつ
良い悪いの軸の精度を上げていく。
好きなことを続けられる状態とは
私が今考えている
「好きなことを、好きなまま続けられる状態」は、
次のようなものだ。
出発点は、好き嫌いの軸
途中から、良い悪いの軸が加わる
でも、どちらか一方に支配されない
好きだから続ける。
でも、良くしようともする。
この二つが、
同時に存在している状態。
この問いは、まだ途中にある
「好きなことを、好きなまま続けるということ」
これは、
一度考えたら終わる話ではないと思っている。
年齢や立場、環境が変われば、
軸のバランスも変わっていく。
そして、たくさんの情報に触れる機会が多い、
今の子どもたちは純粋な「好き」の機会も少ないのかもしれない。
たくさんの情報から、
これはよくない。
評価されない。
仕事にならない。
などを知ってしまっている気もする。
好きは好き、嫌いは嫌いでいいし
いいもの、わるいもの、もある。
大切なのは、
「好きかどうか」を、他人や正解に預けすぎないこと。
その感覚を手放さずにいられる場所や時間を、
少しずつでも持ち続けることなのだと思う。
