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49. 須賀敦子全集第1巻 河出文庫

この本で須賀敦子をはじめて読んでからもうすぐ二十年にもなるのかと思う。この文庫本が新刊で並んだとき、ルイジ・ギッリによるモランディのアトリエの写真があまりにも良く手に取ったのだった。カバーの後ろ袖にある一覧に、既刊を示す星印が1巻だけについている。
二十年経った今、いくつかの経緯があり、あらためて読んでいなかった作品を読もうとしている。

いつか読もうと大切に持っていた晶文社の藤本和子『リチャード・ブローティガン』がちくま文庫になって出たため、これを機会にと早速読んだところ、ナタリア・ギンズブルグの名前が出てきて、そのつながりを意外に感じた。
それが頭に残っていたなかで、曽我部さんの展示を観に行った町田にある古本屋、EUREKA BOOKSTOREに、引用されていた『小さな徳』が並んでいて、その偶然におどろきつつ購めた。それは河出書房新社の須賀敦子の本棚の一冊で、このシリーズで出ていたのかという思いだった。
読み進めるうちに、これがナタリア・ギンズブルグのはじめてのエッセイ集ということ、須賀敦子が「この人の作品に出会わなかったら、自分は一生、ものを書かなかったかも知れない」と『ある家族の会話』のあとがきで書いていることを知り、また、「アブルッツォの冬」「ある友人の肖像」「彼と私」に惹かれ、ナタリア・ギンズブルグという人とその周辺をより知りたくなり、今も新刊で買うことのできる『ある家族の会話』を手に取った。

そのすぐ後、立ち寄った吉祥寺の古本よみた屋で、書かれなかった須賀敦子の本、という特集の考える人2009年冬号を見つけ、以前持っていたこの雑誌をもう一度読んでみようと思い購めた。
もう一度と読んでみたものの、ほとんど覚えてなく、文庫版の全集で一巻から読み始めた自分には、この晩年の内容は少し遠く、そのままあまり読まずに手放したことをおぼろげに思い出した。
それでも、それから折に触れて全集を拾い読みしてきた目で読むとわかることが多く、特に湯川豊さんの「書かれなかった小説」という「アルザスへの曲がりくねった道」へと至る読み解きには目を開かれる思いだった。
「書かれなかった小説」では「アルザス〜」へとつながる『ユルスナールの靴』に多く触れている。『ユルスナールの靴』は何度も読もうとしたが集中が続かず読めていなかった作品で、やっと読むときが来たのかも知れないと感じ、この冬中に他の巻のいくつかの作品とともにあらためて読もうと決心したのだった。
それは湯川さんの文章に、

かつて熱望したように「書く人」になった須賀敦子が『ユルスナールの靴』を執筆しながら、信仰を自分の文学のなかで表現する可能性をさぐっている。

とあるところに、大江健三郎の一連の講演集や『燃えあがる緑の木』『宙返り』を読んできて、信仰というものをより深掘っていきたいと感じたからかも知れない。

大江健三郎は、ある本を読むときが来ることをジャストミートする、と書いている。まさに今回、何冊かの本を経由して手に取った『ある家族の会話』、須賀敦子特集の考える人、『ユルスナールの靴』をはじめとする未読の作品が、今の自分にジャストミートしたのだろうと思う。
なんとも遅すぎる気がするが、須賀敦子もユルスナールを読んだのは『ユルスナールの靴』を書く、たった十年ほどまえのこと、とあるように五十歳半ばを過ぎた頃と知ると、そうなのかという思いと、なんとなく安心する気持ちがする。

だれの周囲にも、たぶん、名は以前から耳にしていても、じっさいには読む機会にめぐりあうことなく、歳月がすぎるといった作家や作品はたくさんあるだろう。そのあいだも、その人の名や作品についての文章を読んだり、それらが話に出たりするたびに、じっさいの作品を読んでみたい衝動はうごめいても、そこに到らないまま時間はすぎる。じぶんと本のあいだが、どうしても埋まらないのだ。
(「フランドルの海」)

『小さな徳』と『ある家族の会話』を読み、もうひとつそうだったのかと知ったことがある。それはチェーザレ・パヴェーゼのことで、ナタリア・ギンズブルグとこれほど深い関係だとは全く知らずにいた。
チェーザレ・パヴェーゼは、古本好きにはとても気になる存在で、晶文社の全集や、白水社の新しい世界の文学の『美しい夏/女ともだち』『月とかがり火』を、その佇まいや美しいタイトルに魅かれて手に取るが、読むことはできなかった。それは自分の本の読み方として、パヴェーゼは自分のどの関心からもつながりがなく、なんとなく読む必然がなかったからだった。
また、どうして自分には読める小説と読めない小説があるのだろうと考えてきて、ようやくわかってきたことが、須賀敦子のエッセイや大江健三郎の小説をはじめとして、その物語が語られる必然を感じないと、読み通せないのかも知れないということだった。
須賀敦子とナタリア・ギンズブルグを通してチェーザレ・パヴェーゼを知り、書かれる必然と読む必然を自分なりに感じることで、ようやく読めるのかも知れないと感じている。

大江健三郎を起点にイギリス文学へと拡がり、須賀敦子を起点にイタリア文学へと拡がっていく。
肝心の大江健三郎は『取り替え子』を読み終わり、新しい物語の始まりを大いに感じて、『憂い顔の童子』以降も楽しみにしているが、このところ読みたい本が増える一方で寄り道ばかりしている。なかなか辿りつかないが、これもうれしい誤算と感じている。

#本 #古本 #須賀敦子 #ナタリア・ギンズブルグ #湯川豊 #大江健三郎 #チェーザレ・パヴェーゼ

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