大きくて、透明で
あっ、と驚いて短い声がこぼれ出た。妻がきょとんとした表情でこっちを見た。たしかに妻の顔である。それですぐに安心した。見慣れたいつも通りの顔だった。しかしたしかに、つい今しがた、その顔は違って見えた。それが誰の顔だったかと少し考えてみたら、何年も前に死んでしまった、前の妻の顔だったことに不意に気が付いて、ぞっとした。こんなことは、はじめてだった。
妻はこっちを見たままもう一度、夕飯どうしようか、と言った。ぼんやりした気持ちのまま、かろうじて何かを答えることができた。妻はどこを見るでもない目つきで、夕飯のことを考えている。冷静になって思い出せば、二人の顔かたちはまるで似ていない。だから、いくらなんでもそんなはずはないし、ただの気のせいなのだろう。しかし胸の真ん中あたりのどこかがすうっと冷たくなるような感じがした。
僕の妻という人は、世間から見たら少し変わった人と呼ばれるかも知れない、どことなく浮世離れした人で、それは子供の頃から変わらずにずっとそうだったという自覚があるらしい。ごく短い時間のパートタイム以外は仕事をしていないけれど、仕事でお金を得るということに興味があまり無さそうでもある。労働というものに甘んじる気持ちがそもそも無いのかも知れない。だからほとんどいつも家にいる。僕にとってはそのほうが安心できるから、これでいいと思っている。昔の外国の船乗りが天気を予測するために航海に持って行った、化学物質を混ぜた水が入ったガラス瓶をストームグラスと言って、うちにも飾り物として置いてある。今では実際に使われることはないと思うけれど、そのガラスは非常に薄くできているから、手に持つとなんとなく危なっかしくて、すぐ壊してしまいそうで怖い。むやみに手を触れずにそっと置いておくのが一番である。妻は家の中のことにいろいろ気が付くようなタイプではないけれど、それで別に困ることもない。ストームグラスみたいに何もしないでもいいから、いつもただ傍にいてくれるだけで安心するし、僕もそれが嬉しい。
こういうことを比べて論じるのは無粋だけれど、死んだ妻は家の中のことのこまごましたことにいろいろと気が付く人だった。だから、のんびり座っているかと思うと突然家事に手を付けたり、家の中を用ありげにうろうろしたりしていた。おかげで家の中はいつもすっきり片づいていた。そしてやっぱり外で仕事をしない人で、しきりに天気を気にしたり、僕の気付かぬ間に一人でこっそりお菓子を食べたりして暮らしていた。当時は犬を飼っていて、のちにその犬はガンで死んでしまったけれど、時々ケンカして手を噛まれたり、おやつを横取りされたりしていた。
二人は血筋もつながらないまったくの他人で、さっき書いたように顔かたちも似ていないけれど、いくつか似ているところがある。それはもちろん僕が好きになった人だから、かなりの程度で僕の好きな雰囲気の人であることは共通している。二人とも緑色が好きという点も同じだし、食べ物の好き嫌いが極端に多いところも似ている。僕の話すことを聞いているようで聞いていない、と言うより、聞いている風だけれども内容はあまり頭に入ってないらしいところもそっくりである。感受性の点では大きく違うところもあるけれど、二人ともそれぞれセンスが良いと思うし、僕はそのどちらも好きである。僕が夢中になって仕事している時に黙ってお茶を淹れてくれたり、何か大変なことが起きた時も文句一つ言わずに支えてくれる。僕の人生の多くの部分は、この二人の妻という支柱がなければほとんど機能してこなかったことだろうと思う。
死んだ妻の身に何が起こったのかを妻はちゃんと知っているし、その後で僕がどう過ごしてきたかも話してある。二人は面識もあったから話が早かったけれど、それでもある程度の時間をかけて、すべてひっくるめて納得してもらった上で一緒になった。もちろん、全部が全部について納得してはいないかも知れない。それでもいいと決心するまでには、しんどいこともあっただろうと思う。死んだ妻はずっと前、何気ない会話の続きの中で、もし自分が先に死ぬようなことがあっても死後はいつまでも執着しないで欲しいから、若い人でも見つけて再婚してね、と言ったことがあった。記憶に残っているそういうつぶさなことをひとつひとつ、思い出せる限りすべてを妻には話した。
最初のうちは、毎日のように死んだ妻のことをいろいろ思い出しては話していた。妻はそれにいちいち付き合ってくれて、ちゃんと話を聞いてくれていた。耐え難い絶望に必死で向き合おうとしていることを理解して、黙って支えてくれた。後から後から湧いて出てくるたくさんの思い出のかけらを淡々と話す僕に、辛抱強く付き合ってくれた。なんとなく、今昔物語に出てきた、死んだ妻に会いたいがためにその墓を掘り起こしてしまう男の話みたいでもある。そして不思議なことに、一緒になってからはそういう思い出話が少しずつ減って、今では死んだ妻の話はほとんどしなくなった。しかしその面影はいつまで経っても消えることはない。
もう外の空気はだいぶ澄んできて、朝晩は少し寒いと感じる日も増えてきた。玄関を出たところから、遠くに富士山が見えるようになった。夏の間は湿度が高くて雲も多いからほとんど見えない。日ごとにだんだん涼しくなって、富士山が奇麗に見える日が増えてくると、そろそろ季節が変わるな、と思う。暴力的な暑さが続いた夏のことを思い返すと、なんだか騙されたような気がしないでもない。冷たいお茶も飲まなくなって、温かい紅茶が美味しい季節になった。
妻がお茶を淹れようとして、キッチンでやかんを火にかけるのが見えた。その横顔を見ていたら、妻がこっちを振り向いた。その顔が、見紛うことない、死んだ妻の顔そのものだった。その瞬間、胸の下から湧き上がるように何かがこみ上げて、つっかえていた蓋のようなものがこぼれ落ちたと思ったら、目から滝のような涙が溢れ出た。それは温度をはっきり感じるほどの熱い涙で、熱さで頬がたちまち火照った。どうしても、どうやっても涙が止まらなくて、しゃくり上げながら僕は泣いた。涙は顎に流れて、そして顎から滴り落ちた熱いしずくがそこいらを止めどなく濡らした。気付いた妻があわてて駆け寄ってくるのが、滝の裏側から透かして見るように見えた。
しばらく時間の流れが止まったような感じがした後で、ひとしきり気持ちの嵐が去って涙が止まると、涙の熱さで火照った頬から、涙がひとりでに乾いていくのが分かった。それから妻が紅茶を淹れてくれた。ティーカップを見やると、濃い目の紅茶に少しだけ牛乳を入れたミルクティーだった。僕が自分で紅茶を淹れる時にそうするのをいつも見ているから、妻はちゃんと好みを知っている。まだ熱いティーカップを両手でそっと包んだら、また涙がじんわり目に溢れた。でも今度の涙は熱くなかった。やわらかい涙だった。大きくて、透明で、見事にまるまるとした球体の、ふんわりした涙だった。目の淵からこぼれることなくそこに留まって、ふわふわとやわらかく揺れているのが分かった。このやわらかさなら、その中に入ってみたいと思った。閉じ込められてみたいと思った。そしてそのまま一生出なくてもいいと思った。
妻は傍に立ったまま、黙って僕の頭を撫でている。
