残された香り
初夏の雨上がりの夜、 部屋に残された、 彼女の石鹸の香りだけが、 俺を包んでいた。
彼女はもういない。 三ヶ月前、 静かに別れを告げた。 「ごめんね、もう無理そう」 その言葉を、 俺は今でも胸の奥に抱えている。
窓の外では、 雨に濡れた街灯がぼんやりと光る。 俺はソファに座ったまま、 彼女が最後に座っていた場所を見つめていた。
あのとき、 彼女の指が、 俺の手に触れた感触がまだ残っている。 触れそうで触れない、 あの距離の記憶が、 今も胸を締め付ける。
彼女の笑顔、 小さな仕草、 夜に交わした言葉の欠片。 すべてが、 この部屋の空気に溶け込んでいる気がした。
俺は立ち上がり、 彼女の忘れ物になったマグカップを手に取った。 まだ、 彼女の唇が触れた跡が残っているように感じる。
切ない。 でも、 この痛みさえも、 彼女との時間だった証拠だ。
雨が止んだ。 窓から入る夜風が、 部屋の空気を少しだけ入れ替える。 俺は深く息を吸った。
彼女の香りは、 もう薄れている。 でも、 この胸の温かさは、 きっとこれからも、 俺の中に残り続ける。
もう一度、 誰かを好きになれる日が来るかもしれない。 そのとき、 彼女に教わった優しさを、 ちゃんと形にできるように。
