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祭りの後の静けさと、変わらない日常。ワールドカップ報道から見えた「本当に大切なこと」

連日、寝不足の目をこすりながら、それでも画面の前に座る日々が続いています。

サッカーのワールドカップ。決勝トーナメントに入ってからは、一瞬の隙も許されない緊迫した空気と、選手たちの人生を懸けたプレイがぶつかり合い、さらに劇的な試合が多くなりました。勝者の歓喜と敗者の涙、そして国境を越えてスタジアムを包み込む熱気。どれだけ睡眠時間を削ってでも見届けたいと思わせる、本物のドラマがそこにはあります。

しかし、これだけ面白い世界最高峰の試合が毎晩のように続いているというのに、ふとテレビをつけると、ある違和感を覚えるのは私だけでしょうか。

メディアの温度差と、作られたお祭り騒ぎ

日本代表が健闘し、惜しくも敗退してしまった後。あれだけ連日連夜、「絶対に優勝を目指す!」「歴史を変える戦い!」と熱を帯びていたメディアの報道トーンが、まるで潮が引くようにスッと下がってしまったように感じます。

もちろん、自国の代表チームを応援するのは自然なことですし、敗退によって寂しさを感じるのは当然のことです。けれど、ワールドカップという舞台の本当の面白さは、むしろここから始まるトップクラスの国同士の意地と戦術のぶつかり合いにこそあります。それなのに、日本の敗退と共に「お祭り」が終わってしまったかのような空気感には、少しの寂しさと疑問を抱かずにはいられません。

思い返せば、野球のWBCの時も、オリンピックや世界陸上の時も、どこか似たような風景が広がっていました。

普段はあまりそのスポーツに関心がなさそうなタレントさんや芸能人の方々が、メインMCとしてスタジオの真ん中に立ち、大げさに驚いてみせたり、感動の涙を流したりする。もちろん、彼らも番組を盛り上げるという仕事に全力で取り組んでおられるのでしょうし、それを否定するつもりはありません。

しかし、長年その競技を愛し、深く戦術や選手の背景を知っているファンからすれば、「なんだか中身が薄いな」「表面的な熱狂だけを消費しているな」と感じてしまう瞬間があるのも事実です。話題性で人を集め、一過性の盛り上がりだけを作って、終わればまた次の「数字が取れるお祭り」へと移動していく。そんな構造が見え隠れしてしまいます。

情報の世界にも現れる「打ち上げ花火」

そして、この「一過性の盛り上がり」という現象を眺めていると、私たちが日常的に触れている情報発信や学びの世界にも、全く同じことが言えるなと気づかされるのです。

SNSやインターネットを見渡せば、常に「お祭り騒ぎ」を提供しようとする人々がいます。「たった1ヶ月で人生が劇的に変わる!」「誰でも絶対にうまくいく魔法の近道!」といった、ド派手で目を引く実績や、キャッチーな言葉が飛び交っています。華やかな成功や贅沢な暮らしを背景にアピールする姿は、まるで大きな国際大会の前にメディアが作り出す熱狂そのものです。

確かに、そうした派手な演出には一面のメリットもあります。今までその世界に関心のなかった人々に対して、「自分にもできるかもしれない」「面白そうな世界だな」という希望を持たせ、裾野を広げるきっかけにはなるからです。どんな分野でも、最初はミーハーな入り口から始まることは決して悪いことではありません。

しかし、問題はその「後」なのです。

ド派手に登場し、人々の注目を一身に集めていた人たちの多くが、ものの数ヶ月、あるいは数回の発信の後に、いつの間にかひっそりと姿を消してしまいます。時代の波に押し流されたのか、あるいは最初から一時的に人を集めることだけが目的だったのか。

残されるのは、煽られるだけ煽られて、熱狂の中で大切な時間や気力をすり減らし、途方に暮れる人々です。何かの世界を知るきっかけを作るのは素晴らしいことですが、耳あたりの良い夢や希望だけを過剰に見せつけて、現実の厳しさや地道な努力の部分を伝えないままフェードアウトしていく姿を見ると、「なんだかなぁ」とため息をつきたくなってしまいます。

政治も、社会も、そして私たちの暮らしも

少し視野を広げてみれば、これはスポーツや情報発信の世界に限った話ではないのかもしれません。

政治の世界でも、選挙の時だけは威勢の良い耳障りの良い言葉が飛び交い、メディアもこぞって新しいスター候補をもてはやします。しかし、熱狂の時期が過ぎれば、あの時の約束や情熱はどこへやら、淡々といつもの風景に戻ってしまう。そんなことを、私たちはこれまでに何度繰り返してきたでしょうか。

私たちは、情報が溢れる現代社会の中で、「わかりやすい熱狂」を消費することに慣れすぎてしまったのかもしれません。派手な演出、劇的なビフォーアフター、すぐに結果が出る魔法。そうしたものを求め、与えられ、そして飽きたら次へと移っていく。

でも、本当に大切なもの、本当に価値のあるものは、決してそんなに簡単に、派手な形で手に入るものではないはずです。

サッカー選手たちが、あの美しいパス回しや劇的なゴールを生み出す裏には、誰にも見られない泥臭い基礎練習と、徹底した自己管理の積み重ねがあります。同じように、どんな分野であれ、自分の足で立ち続けていくためには、魔法のような近道など存在せず、日々の現実と静かに向き合い、己の感情をコントロールし、淡々とやるべきことを守り続けるという、地道で孤独な作業の連続があるだけなのです。

私は、派手な花火ではなく、足元を照らす灯りでありたい

こうした世の中の空気感や、昨今の報道のあり方を見ていると、改めて自分自身の「発信」というものについて深く考えさせられました。

私は、決して多くの方々を熱狂させるような、誰もが驚くようなド派手な実績を掲げたり、万人が一瞬で報われる魔法を提供したりすることはできません。メディアが好むような、キャッチーでわかりやすい「お祭り騒ぎ」の中心に立つような人間でもありません。

しかし、だからこそ、お伝えできる「リアル」があると思っています。

日々の暮らしや思考を深めていくための、少しばかりの工夫。日常の風景から静かに拾い上げた、小さな気づき。そして時には、耳障りの良い言葉だけでなく、現実を直視するための「少し強めの本音」も交えながら。

私が紡ぐ言葉は、決して数万人、数十万人を動かすようなものではないかもしれません。それでも、私のこの静かな発信が、画面の向こうにいる「たった一人」の誰かに届き、その方が日々の営みや自分自身の生き方と真摯に向き合うための何かのヒントになり、長く自分の足で歩き続けるための一助になるのであれば、これほど嬉しいことはありません。

打ち上げ花火のように一瞬で空を明るくして消えていくのではなく、暗い夜道を歩く人の足元を、地道に、静かに照らし続ける小さな灯りでありたい。

熱狂が過ぎ去り、静かになったワールドカップの報道を横目に、そんなことを思う静かな夜です。

これからも、ド派手なことは言えませんが、私なりのペースで、コツコツと、ありのままの言葉を紡いでいこうと思います。時には少し毒を強めに吐くこともあるかもしれませんが、それも一つの「リアル」として、楽しんでお付き合いいただければ幸いです。

それでは、今夜も素晴らしい試合が待っています。少しだけ寝不足を覚悟して、本物のプロフェッショナルたちの熱き戦いを見届けたいと思います。

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