|低山ハイク|河内飯盛山。生駒の神仏「四條畷神社」「楠公寺」「権現の滝」「野崎観音」*飯盛山展望コース、南尾根コース
2025年6月7日
天気予報を見ながら
ゆっくり出発。
JR「四条畷」駅、
10時ごろ着。
駅前は
混雑している。
左折して
少し歩いて
右折。
真っ直ぐ
正面に
河内飯盛山。

四條畷市の
ハイキングマップを
参考に歩く、
しばらくすると
四條畷神社の
鳥居、
その奥には、
アート
ショップ。

しばらく歩くと
案内板あり。

四條畷神社

長い階段を
上ると、

先程の
ショップの
作家のオブジェ
「100人のサンタクロース」が
出迎える。



楠正行公殉死のこの地に神社創建を願い出て、 明治22年に勅許が下り、四條畷神社という社号が下されました。
主祭神は、楠 正行 公
配祀には、四條畷の戦いにて殉節された二十四柱
神になった人達。


参拝。


右には、
忠孝両全


楠木正成と正行
ここ四條畷神社、
神戸の湊川神社、
金剛山の千早神社、
そして吉野の
如意輪寺。
いろんな所に
南北朝時代の
記憶が残る。
延元元年(1336年)湊川の戦で父正成が亡くなった後、11歳の正行は楠氏の惣領となると、約2年間にわたる幕府軍との天野合戦・河内合戦を戦い抜き、河内東条に安寧をもたらすとともに、吉野山に入った宮方、後醍醐帝の警護に努めます。
正行公成人の後、河内近辺にて賊にさらわれようとする女人を助け、尋ねたところ吉野朝廷に仕える女官弁内侍でした。早速家来に命じて吉野まで送り返します。のちに後村上天皇より内侍を正行の奥方にとのお言葉がありましたが、四条畷の戦には生きて再び帰れぬ覚悟であった為辞退されました。
正平3年正月5日。四條畷の戦いは早朝よりはじまり、夕刻にまで及びます。敵将高師直の軍勢約5万、味方は5千、一気に本陣に向かい、師直の首を斬りましたが影武者の首でした。七度空に投げ上げ残念がります。遂に弟正時と差し違えて討死にします。時に正行23才、正時21才でした。
如意輪寺で見た
楠公父子像

隣には
楠正行公御母堂を祀る。
御妣神社

左には
貞仁両全




本殿の
反対側には

登山道の
入口。

10:27





しばらく歩き
突き当たりを
右折。

いきなり
急坂。

左側に
スズメバチ!
大急ぎで
ゆっくり逃げる。

手前にも
ちゃんと
案内があったが
油断した。

もう下る
人あり、
スズメバチ情報を
伝える。
すぐまた
急坂。


上りきり
ベンチあり、
休憩。

眺めよし。




展望台あり
たくさんのハイカーが
休憩。
制服の学生の団体も
クラブ活動か?


11:07
飯盛山
315m

少し先に、

小楠公銅像。


左へ
下りる。


トラロープで
狭い道を
下りると、
アスファルト道。
楠公寺


階段を
上ると、

すぐ右には


参拝。

左奥には

狛犬?
狸?



本堂の眺め


南朝の忠臣、
楠正行ひきいる一軍との戦にて
桜と散った人々の
冥福と菩提を弔う為
建立された
飯盛山妙法寺、
昭和十三年に
飯盛山楠公寺に
改めたそうだ。
戦によって
神となる人達、
弔われる人達。
人は
神仏になる。

段上には
開運八大龍玉。


脇の道を
下る、

途中、
水場を過ぎ
一旦
アスファルト道に出て、
むろいけ園地へ
向かう道を
上る。




道端には、

面白い光背。
土に埋まっていたのか?
不動明王なら
剣が見えるはずだが、
どなただろう。

権現の滝



手入れされた
清楚な道。


左には
稲荷大明神。

川沿いを
奥へ

途中、
信者さんであろう
女性が
掃除中、
挨拶。
手作りの
お堂には
不動明王、
参拝。
突き当たりには、
権現の滝。
しっかりとした
水量。
気持ちの良い場所。



「権現の滝」の名前の由来
ある夏、日照りが続き、
村をあげて雨乞いも
ダメだった所に
「行基」さんが通りかかる。
「行基」は滝壷に衣を敷き、
祈願をすると、
これに感応した龍王が、
老翁となって姿を現し、
「我!民を救わん」と言うと
たちまち大粒の雨が降り出した。
これにより、
「権現の滝」と呼ばれるようになったという。
恵みの雨が上がって山のかなたを見晴らした里人は、頭と胴と尾の三つにちぎれて木にかかっている龍を見出したのでした。龍はわが身を裂いてまで民衆の苦しみを救ったのでしょうか。人々は頭の落ちたところに龍光寺[りゅうこうじ]、胴体のところに龍間寺[たつまでら]、尾のところに龍尾寺[りゅうびじ]を建て、竜王の霊を弔いました。
手前には
たくさんの
神仏。
人ではない、
神仏。

蔵王権現?

来た道を
戻り、
アスファルト道には
ベンチあり、
先客は猫。
飼い猫のようで
逃げない。
隣で、
食事は遠慮して
休憩、水分補給のみ。

山道に戻り、
水場付近は
手作りのベンチあり
昼食、
12:18
六甲縦走弁当は
売り切れていたが、
同パッケージの弁当。

小雨が
降ったり、
止んだりしだす。
上らず、
脇の
山道を進む。

分岐を
野崎観音方面へ

池の
亀に、
小雨。

南尾根コース

サクサク






残念石跡

くさびの跡か?


今後は
右側に
スズメバチ。
大きな
羽音に
びっくりする。
植物の
勢いが
増す季節。
草の陰に、
何が
いるのか
わからない。

別ルートとの
分岐に出る。

吊り橋、

からの
眺め。






野崎観音(慈眼寺)
本堂横に出て、
奥には
役行者像。



ここは、
「行基」が開き、
古くから
大阪の人々の
信仰を多く集める。
ご本尊は白檀の一木彫りで身の丈は約130㎝、一匹の龍が取り巻く台座の上に立っておられます。
浄瑠璃や歌舞伎、落語の舞台としても登場し、昭和初期の『野崎小唄』で東海林太郎さんが「のざきまい〜りは~、 屋形船でまい~ろ♪」と歌い、広く全国に名を知られるようになりました。
江戸から明治の頃までは屋形船に乗って、大阪天満橋の八軒屋浜から寝屋川を遡り、住道浜を経て野崎駅の南までお参りできました。残念ながら当時の風景は歌の中だけになってしまいました。

参拝。

自販機、
ベンチあり。
休憩。
振り返り
本堂。

門を出て
右折。

長い階段、
真っ直ぐな
参道。

参道商店街は、
川に突き当たる。
江戸から
明治の頃までは
屋形船に乗って、
大阪天満橋の
八軒屋浜から
寝屋川を遡り、
住道浜を経て
野崎駅の南まで
お参りが
できたそうだ。

その様子を
知ったのは
子供の頃に聞いた
落語。
3代目 桂春団治の
「野崎詣り」
羽織を脱ぐ
様子が美しい。
橋を渡ってすぐ、
JR「野崎」駅着。
1:53

スズメバチに刺されず、
雨にも降られず、
無事故で終了。
ありがとうございました。
※生駒山の多様な宗教の施設や状況の資料として、
以下の2冊が詳しくて面白い。
「生駒の神々」1985年発行
その続編、四半世紀が経過し、再訪問の調査研究。
聖地再訪「生駒の神々」2012年発行
