なぜ日本人は「主語」をあいまいにするのか?~「察する」文化がグローバルでバグに見える理由~
※この記事では、Webサイト「世界はなぜでできている」の記事 「なぜ日本人は『主語』を消してしまうのか?~『察する』文化がグローバルでバグに見える理由~」の内容を一部ご紹介しています。 記事の全文はこちらからご覧ください → 記事を読む
「Who?(で、誰がやるの?)」
海外の方と仕事をしていると、このシンプルな質問にドキッとさせられる瞬間があります。
文脈からすれば、私たちチームがやるに決まっている。 そう思って「進めます」と答えても、相手は納得しない。主語が省略されているからです。
「日本人は何を考えているか分からない」 「責任の所在が曖昧だ」
もしあなたがそう言われた経験があるなら、それは語学力の問題とは限りません。 私たちが標準搭載している「日本語というOS」の仕様が、グローバル環境でエラーを起こしているからなのかもしれません。
なぜ、私たちは主語をあいまいにするのか
本記事では、この現象を「言語的・文化的なOSの違い」として解説しています。要点は以下の3つです。
内輪限定の高速通信 日本語は、文化人類学者エドワード・ホールの言う「ハイコンテクスト文化」の言語です。空気や文脈を共有している仲間同士なら、「お腹空いた(私が)」だけで通じます。これは非常に効率的ですが、文脈を知らない外部の人(外国人)にとっては、パスワードのかかったWi-Fiネットワークのようなもので、接続できません。
「なる」言語の心地よさ 英語が「人が意志を持って動かす(する)」言語だとすれば、日本語は「事態がひとりでにそうなる」という描写を好む言語です。「(誰が)決定しました」より「~することになりました」と言いたくなる。これにより、責任の所在が自然と消去されます。
「察して」は通用しない 日本国内では「言わぬが花」という美徳も、外に出れば「説明責任の放棄」とみなされます。「善処します」と言って言葉を濁すと、不誠実な嘘つきだと判断されかねません。
「野暮」になる勇気が信頼を作る
では、どうすればよいでしょうか?
グローバルな場では、英語で考えるべきなのでしょうか。
その必要はないと思います。
むしろ、日本語OSの中に「ローコンテクスト・モード」を育て、状況によって意識的に使い分けるのです。
そのために、「誰が」「いつまでに」「なぜ」といった、ともすると省いてしまいがちな要素を普段からあえて言葉にするよう意識するのは、一つの方法です。
たとえば、「対応しておきます」とさらっと流すのではなく、 「私の方で進めます」や「私たちのチームで引き受けます」と、あえて「誰が」を言葉にする。
日本人同士だと「いちいち言わなくても分かるよ」と、少し野暮に感じるかもしれません。 けれど、背景の違う相手と関わるとき、その「野暮(明快さ)」は「親切」に変わります。 見えない文脈に頼らず、言葉というレンガを一つひとつ積み上げて、相手との間に橋を架ける行為だからです。
言葉のスイッチを切り替える
明日送るメールの一通目から、意識的に「主語(責任の所在)」を足してみませんか? それはグローバルな場ではなおのこと、あなたの英語力を上げるよりも早く、あなたの仕事への信頼度を変えてくれるはずです。
👉 本編では、この「日本語OSの特徴」について、さらに深く掘り下げています。 「なぜ日本人は『主語』をあいまいにするのか?」
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