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鳥文斎栄之筆「三福神吉原通い図巻」について(國華1557号〈特輯 隅田川図巻〉要旨)

田辺昌子

鳥文斎栄之筆 三福神吉原通い図巻 千葉県 千葉市美術館
絹本着色 巻子装1巻 縦31.6㎝ 全長860.0㎝

 浮世絵師鳥文斎栄之(1756-1829)は、寛政10年(1798)頃、錦絵出版の分野を離れて肉筆画に専念したが、最も多く手がけた主題が巻子形式の隅田川図であり、吉原遊廓を終着点とする構成の、いわゆる吉原通い図巻が20点ほど確認されている。これらの作品の最大の特徴は、吉原通い図巻主人公が設定され、隅田川を舟で遡り吉原に至るという展開となっていることである。これら諸本は、吉原へ向かう主人公により二系統に分かれるのだが、一つは剃髪の男と黒い頭巾の男という二人の通人が吉原に向かうもの、もう一系統は、恵比寿、大黒天、寿老人の三福神が遊客となるものである。
 千葉市美術館所蔵の「三福神吉原通い図巻」[絹本着色 一巻 文政(1818-30)前期頃]は、後者の典型と言える作品で、本論ではまずこの作品の展開を景観とともに紹介する。主人公が設定された吉原通い図巻というのは、おそらく栄之作品が最初と思われるが、ただ吉原を終着点とした作品では、筆者不詳「浅草吉原図巻」(奈良県立美術館蔵)、また磯田湖龍斎(1735-?)の「隅田川図巻」(旧麻布工芸美術館旧蔵) が先行作として知られている。
 栄之がいつ頃この主題に着手したかについては、『古画備考』に、後桜町上皇が、栄之の隅田川図を好み所蔵したことが伝えられるのに加えて、井上和雄が『浮世絵師伝』(昭和6年)に、妙法院宮関東御下向の際に、将軍の命により栄之が隅田川の図を描いたと伝える寛政12年(1800)閏4月が最も早い年である。この作品そのものは確認されていないものの、想起されるのは、兵庫個人蔵の通人タイプの吉原通い図巻である。酒井抱一(1761-1829)の序文、橘千蔭(1735-1808)の跋がついており、序文の年紀により寛政12年という年が導き出せる。また吉原へ向かう通人2人が、いずれも吉原と関係の深い抱一と千蔭を想定しているという説は前向きに検討されて良いように思う。千蔭の師、加茂真淵(1697-1769)は、明和元年から6年(1764-69)に亡くなるまで、栄之の実家である父の細田時行の敷地を借りて住んでいたという関係もある。
 個人蔵本の初発的な画風から、寛政12年頃に、通人タイプの吉原通い図巻の構想が成立、そして三福神タイプは、様式化の進んだ画風からも、より広く親しめるパロディー的な作品として後に成立したと考えられる。


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