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狩野栄川院典信筆 田沼意次領内遠望図(國華1556号要旨)

田辺昌子

絹本着色 1幅 縦65.2㎝ 横120.8㎝

 狩野栄川院典信(1730-90)は、木挽町狩野家を率いた奥絵師として知られている。10代将軍徳川家治(1737-86)の覚えもめでたく、その重臣である老中田沼意次(1719-88)と典信が親しい関係にあったというエピソードも様々に伝えられている。典信は意次の隣に屋敷を拝領しており、実際絵図で確認すると、その敷地の一部を切り分けたように狩野家の画所が構えられていたことがわかる。この《田沼意次領内遠望図》は、意次が重用した家老井上伊織の子孫が所蔵していたもので、領地に築かれた相良城の備品の一つであったという。鑑賞者に背を向けた貴人が、高い位置から稲穂を重く垂れた田圃を見渡しているというこの図は、その伝来から田沼意次が領内を望む図と解釈されてきた。狩野派の粉本主義から生まれたものとは思えず、どこか謎めいてさえ見えるこの図の画題をにわかに解釈するのは難しい。ただ高い位にあるものが、豊かな実りに満たされた民の暮らしに思いを馳せるという構図は、「民の竈」と通称される画題、すなわち仁徳天皇が民家の竈に煙が立っていないのを心配して税の徴収を3年間取りやめたという逸話の趣意に通じるようにも思える。親しい関係にあった典信が、領地農民の年貢増徴を戒める立場をとっていた意次を、実る稲穂の田圃を眺めて民の生活が満たされることに思いを馳せる貴人の姿として描いたと解釈しても無理はないであろう。


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