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資本主義の終焉と子育てと

1. マクロ経済の終焉と、ミクロな育児の現場


昨年春、子供が生まれ、同年代ママたちの声を聴く機会が増えた。
そこで当初の問題意識がやはり確信に変わった。
私は経済学者・水野和夫氏が説く「資本主義の終焉」を、学問としてだけでなく、自身の血肉が削られる「子育て」という切実な現場から考えている。
近代資本主義が「より遠く、より速く、より合理的に」を追求してきた結果、そのシステムを維持するための「人間」を育てる基盤そのものが、内側から瓦解しようとしているのではないかと感じるのだ。


 2. 生物学的異常事態としての「孤育て」

人類の歴史を俯瞰すれば、今の「孤育て」はめっちゃくちゃ異常なのではないかとずっと思っている。

共同体の解体

かつては「おせっかい」な先輩ママたちが、世代を超えて知恵と愚痴を共有するセーフティネットがあった。
今は、父親はカイシャシステム維持の要員として昼も夜も不在。
地域コミュニティも子育てには沈黙している。

未熟な親業の強要

兄弟育児の経験すら持たぬまま、密室で突然「完璧な親」であることを求められる。
この無理難題に対し、現代の親たちは自分自身を削り取って適応しようとしているが、それはマジで苦行だと思う。
そもそも育児にすごく向いている遺伝子の人もいれば、時間をかけてゆっくり習得する人もいるだろう。
虐待の頻発や、若者に境界性パーソナリティ障害が増えている現状は、個人の資質の問題というより、未熟な人間に「密室での親業」を強いるシステムの構造的欠陥ではないかと思う。
ほとんどの親子は一生懸命にやっている。
でも経験値が少なすぎるし、何より「忙しすぎる」。

ワンオペ育児、だぁ?

夫婦で育休を取らせていただいている我々でさえ、たった一人の小僧にメシを与えてオムツを替えるだけでヘトヘトなのだ。
「ワンオペなんてみんなやってる」なんて、そりゃ世間の方が間違ってるよ。
女性だって第一子なら子育ては初めて。出来なくて当たりまえ。
そんなママにタオパンパまで要求する旦那さんの話を聞いたりすると本当に目の前がクラクラする。
なぜ、資本主義の戦士としてはそれなりに通用している立派な成人男子が、家庭のこととなるとこうまで赤ちゃんになってしまうのか、と……。
仕事も家事も育児も出来てしまう女性たち、ポテンシャルがヤバすぎる!
専業主婦の実母ですら、常にキリキリカリカリしていて、子供としては心の休まる場所がどこにもなかった。
そんな母に当たり前のようにタオパンパさせ、晩酌で酒を注がせ、偉そうな御高説をぶつ父親を見て、「夫」というものへの期待値は限りなくゼロになったことを覚えている。

3. 資本主義が奪った「葛藤」という成長機会


資本主義の巧妙さは、購買意欲の高い若者に対し「苦労を避ける選択肢」を与え続けることにある。
「もっと楽に」「もっと美しく」。あらゆるサービスが、己の醜さや無知と向き合う「苦しい葛藤」を回避させてしまう。
そのうえ、若者が自己との葛藤を深められないのは、身近な大人との衝突が激減したせいでもあると思う。
人は「良い手本」だけでなく「反面教師」との摩擦を通じて、自己の輪郭を形成するもの。

しかし、現代の大人は皆、仕事か消費に忙しく、「子供、まして他人になんて構っている時間がない」という錯覚に陥っているようにみえる。
その結果、子供たちはゲームやSNSの海に沈み、自己研鑽や他者と揉まれる機会を奪われているように感じる。
私自身がゲーム・SNSの走りで、電子デバイス前後を知っている世代であるから、そう間違った肌感覚ではないと思うのだ。

私は女だから、やはり男性の悪いところが目につきやすい。
同世代男子の、ことプライベートにおける甘ちゃんの多さは、受験やモテ競争、ゲーム、匿名掲示板などの発達で、「情けは人のためならず」を徹底的に学ぶ機会を奪われてきたせいなのでは、とずっと思っている。
ワンオペ育児の妻を置いて飲みに「行かない」旦那さんを、私は寡聞にして存じ上げない。

ひとたび、精神的葛藤を引き受けないことにした子供がある一定の割合に達すれば、私が思うに、学校のクラスなどと言うものはとても運営できなくなるのではないか。
かたや年齢相応の葛藤を引き受けて、悩みながらも前に進む子供がいて、そこに身体だけは大きいが社会性の取り込みに失敗した子がいたら。
もしそこに、生まれつき感受性の豊かな繊細な子がいたら。
子供社会は剥き出しの暴力性を生身のままぶつけ合う場所だ。
そりゃ、なんの落ち度もない子供がの不登校が増えるわけだ。


4. 脳内麻薬のすり替えと、踊らされるワーキングペアレント

なぜ資本主義は、ここまで執拗に人間を家庭から引き剥がすのか?
本来、わが子を育てることは、脳内で多量のオキシトシン(愛着)やドーパミンが放出される「生物学的な天職」のはず。
この強力な本能に打ち勝つためには、それ以上の強烈な「承認欲求」という脳内麻薬を注入し続けなければ、システムが維持できない。
ここに、現代のワーキングペアレントが陥る悲劇があるように思う。
子供が生まれたばかりの母親に対し、「時短で働くなら、産前まで積み上げたキャリアを奪って閑職に追い込むぞ」と脅す企業側も異常だし、一方で「キャリア」という言葉で承認欲求をくすぐられ、真に受けて踊らされてしまう側も、冷静さを欠いている。
本来なら、子育てという未知の葛藤を通じて一皮も二皮も剥け、人間的な深みを増して職場復帰すればよいだけのはずだ。
今の社会は、企業も親も、目先の数字や承認という麻薬に振り回されているように思えてならない。
そもそも、子育て真っ盛り世代を、企業内でも中間管理職として搾取しようとするのは倫理的にどうなのだろう。
100%家庭でも忙しい人たちに、いや、お前らは今体力と経験値のバランスが最高潮だからしっかり働け、いましっかり働かないと部長に上げてやらんから覚えとけ、って……ほとんど恐喝だと思いますけれどね。

経済学者シュンペーターは、資本主義が生み出す合理的精神が、皮肉にもその存続の土台である「家族」や「伝統」という非合理的な絆を破壊し、社会を自己崩壊へ導くと論じていた。
マルクスは人間疎外という概念で、ウェーバーは鉄の檻という概念で、また私が勉強不足で知らないだけで、恐らく古今東西の哲学者がこの問題に切り込んできた。
それが今、「高齢者の割合が増えすぎて子供が生まれません!」といつ切実な問題を以て眼前に現れた、ということなのだろう。


 5. 「歴史的トラウマ」と、静まらない神経系


この不自然なまでの「働きすぎ」の背景には、歴史的なトラウマが潜んでいるという説がある。
かつての縄文人は、おそらく現代人よりはずーっと暇で、リラックスして飲んで歌って踊る時間を大切にしていたと思われる。
対して現代人は、目を血走らせながら仕事もプライベートも充実させようと、寝る暇を惜しんで動き続ける。
この差はどこから来るのか?

戦争と過覚醒

一つの要因は、20世紀の総動員戦争による神経系の破壊ではないか。
凄惨な体験は、人々の神経を「トラウマ覚醒(過覚醒)」状態に固定してしまうことが知られている。
過酷なイジメに遭った人が、学校を卒業した後もビクビクオドオドしてしまうのは、神経からやられているからだ。

エピジェネティクスの影

近年の研究(ホロコースト生存者の子孫を対象とした調査など)では、極度のストレス体験が遺伝子のスイッチに影響を与え、3代先まで受け継がれる可能性が指摘されている。
つまり、祖父母世代で戦争が終わっても、私たちの神経系は「戦時中」のように高ぶったままの可能性があるということだ。
だからこそ、家族との温かな交流よりも、「社畜」や「教育ママ」として人間味を欠いた活動に邁進することで、高ぶった神経から目を逸らそうとしているのかもしれない。
資本主義が100年近く平和を維持しながら機能できたのは、この「癒えないトラウマ」を生産と消費の燃料として活用してきたからではないかと疑っている。


6. 提言:ライフステージに合わせた「人間の発達支援」


少子化は、これまでの不自然な加速の結果として「当然の帰結」だと思うし、おそらくみんなそこには気づいている。
私たちに残された道は、資本主義を突き詰めて未熟な人間を再生産し続ける道か、資本主義以前の良さを現代の技術で再統合する「アウフヘーベン(止揚)」か、とりあえず今の私はその二つではないかと思っている。
言うが易し行うは難しの典型ではあるが、人間の発達段階に合わせた以下のような仕組み作りを、自分個人として微力ながら模索していきたいと思っている。
まずは自分の家族から、ね。

1. 青年期
厳しい労働と職場の密な人間関係を通じて、職業訓練と「大人の手本(反面教師含む)」に触れ、自己を練り上げる。

2. 育児期
一度は家庭中心の生活へ。リモートワークを「現代の家内制手工業」として活用し、子が親の働く背中を見て育つ環境を取り戻し、「学ぶ意味」「精神的に成熟する必要性」を子に授ける

3. 成熟期
子供が手を離れたら、再び職場の若者の手本となるべく、資本主義の生前戦へ。そして教育者として世間様に背中を見せられる人間に

4. リタイア後
地域の知恵袋として、次世代の子育てを支援する共同体へ回帰する

7. 結論:今、許容すべき「毒水」

親が育児のために1年以上休むことを「非効率」と断ずるのは、現代人としてはジョーシキであっても、生物としては異常事態だと思う。
しかし、国を維持できないほどの高齢化が進む今、働くことより「命を育むこと」を優先したいという本能を尊重できるのは、そろそろ最後のチャンスになるんじゃないかとも危惧している。
これ以上、子供を持たないことがスタンダードになったら、もう戻れないシンギュラリティが近づいているのではないだろうか。

いわゆる中間管理職世代がリモートワークを徹底活用したら、GDPが多少下がり、労働効率が落ちるかもしれない。
でも、寂しい子供が一人でも減るほうが、将来的にな労働生産性は上がると思うのだが、どうだろうか。
自分なんて親にメンタルを徹底的に破壊されたせいで、思うように働けない時間がとても長く、医療費もアホみたいにかかってしまったから……。
寂しい幼少期によって発現する系の精神病を減らせれば、労働生産性は上がり、勉強意欲も向上し、医療費も減らせると思うのだ。

社会が完全に崩壊する結末に比べれば、それは「今、私たちが許容すべき毒水」なのだと思う。
親子が共にあり、子が親の背中を見て、生きる意味を学ぶ。そんな当たり前の景色を取り戻すために、自分にできることから一歩ずつ進めていきたい。
でも、もちろん、現代社会をスイスイ波乗りして、仕事も子育ても一分の抜かりなく完璧にこなしたいワーママさんのことは、尊敬こそすれ否定する気はない。
すべては多様性。
選択肢の自由がこそが大切、でしょ。

※ただし、これはいわゆるホワイトカラーにしか適応できない。そのうえ、子育てを始める前までにむこう10年は給与が下がっても子育て出来るだけの蓄えを用意する必要がある。諸事情で若くして子供を授かったり、蓄えを作れなかった人は残念ながら子育て中だろうとバリバリ働くしかないだろう。その場合はやはり公的支援を入れるべきというのが私の立場です。なお、現場職は経験が無いため私には語る資格がございませんことをお詫び申し上げます。

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