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「あれ、おれお笑い好きって名乗っていいのかな?」と思った話。

本屋へぷらっと立ち寄った時に平積みされていた、
NON STYLE石田明さんの「答え合わせ」。

自称お笑い好きのわたしは買わざるを得なかった。
石田明さん本人が大好きだし、帯のコメントも魅力的すぎる。

気づいたらページをめくる手が止まらなくなって、読み終わった時には少しぼーっとしてしまった。

「あれ、おれお笑い好きって名乗って良いのかな?」
そんな思いが頭を埋め尽くした。


面白い/面白くない、そんな言葉たちが急に軽く感じた

物心ついたときから「お笑い」というものは近くにあった。
父親が持っていたダウンタウンのビデオ。
「笑う犬」の放送があった翌日の学校はその話題でもちきり。これは小学生の頃の話。
中学生になってからはM-1人気がどんどん熱を帯びてきたし、エンタの神様や爆笑レッドカーペットなんかも毎週録画してみていた。

そんな幼い頃から30代も半ばに突入した今まで、ずっとお笑いには支えられてきた。

でも「答え合わせ」を読んだ後、ふと思った。

わたしが使っていた「面白い」「面白くない」って言葉、軽すぎたかもしれないなと。

おそらく読者にこんな感想を抱かせるために、本を執筆したのではないのだろうと思う。
実際、M-1の決勝に行くためにはこんな苦労があって〜とか、こんなに嫌な思いをして〜などという内容がこの本のメインではない。
石田さんの考える漫才論やM-1論などがこの本の多くを占めている。

それでも、どうしてもこの感想が頭から離れない。

M-1。
あのたった数分のネタの裏には、想像もできないほどの時間や苦悩や戦略が詰まっている。
誰にも評価されなかった時期、自信を失った日、コンビでぶつかった時間、やっと見えた仄かな光。
そのすべてを積み重ねた先に、やっと立てるのが決勝の舞台。
しかし実際には、すべてを積み重ねても立てない人がほとんどなのだ。
わたしは知っていたようで知らなかった。というより、想像力が足りていなかったのだろう。

M-1の放送でも、予選落ちした人のがっかりした姿や泣いている姿、怒りをあらわにする姿が流れるが、正直深く考えていなかったと言わざるを得ない。

この本を読んでM-1決勝出場者の凄まじさを改めて思い知らされた。
生粋の漫才オタクである石田さんだからこそ言語化できているのだと思うが、石田さん以外の芸人の方々もかなり深くまで考えているのだろうと思う。
お笑いに対して、真正面から真摯に向き合っているのだろう。

深く考えないまま、「全然ウケてなかった」とか「勢いだけだったな」と言っていた。
その言葉が、急に恥ずかしくなった。

"視聴者"って何者なんだろう

もちろん、芸人はわたしたち一般のお客さんに向けてネタを届けるプロだ。
その意味では、「面白かった」「つまらなかった」と感じるのは自由だし、声に出すなというのはおかしな話だ。
なんなら、プロである以上評価されるのは当然のことである。

でも、じゃあそのとき、わたしたちは何かを背負ってその言葉を発しているか?
ただ笑うだけ、ただ消費するだけの観客でいるということに甘えているのではないだろうか。

SNSで「批判するなら自分でやってみろ」って言葉を見かけるたびに、
「いやいや、こっちは素人で相手はプロだし」って思ってた。
批判されるのも当然でしょ?って。
でも今は、少しだけそっち寄りの考えになった気がする。

同じ土俵には立てなくとも、できる限り想像する努力が必要なんだと思う。
それをしないまま「これはダメでしょ」と断言するのは、ただの暴力かもしれない。

"批評"ではなく、"檄"をかけたい

わたしたちはたった数分の結果を見て語っている事が多い。
でもその裏には、想像することも難しいくらいの果てしない時間が隠されている。
その存在を少しでも想像することができたなら、発する言葉も変わってくると思う。

先程も書いたようにプロである以上、どんな感想を投げかけられても文句は言えないだろう。
そして、視聴者側としてもどんな感想を持つのも自由だ。

でも、これからわたしは"批評"ではなく"檄"を送りたいと思った。

「面白くなかった」じゃなくて、「もっと他のネタも見たい」
「イマイチだった」じゃなくて「ここがよかった」

一視聴者の感想が何か影響あるのか?というと、もちろんないだろう。
でも自分の中で、表舞台に立つ芸人の努力や苦悩を想像できたからこそ、
このくらいの距離感で向き合いたいと思った。

表舞台に立つ人はやっぱりすごい

もちろん、すべての芸人に当てはまるわけじゃないと思う。
戦い方も、信念も、目指す場所も、それぞれ違う。
全員が同じように葛藤し、同じように悩み抜いているかと言われたらきっとそんなことはないだろう。

でも、それでも、思う。
芸人とは、こんなに多くのことを、こんなに深く考えながら、笑いを届けている人たちなんだと。
"ネタを書く"という行為の裏に、ここまでの戦略や迷いがあるなんて。
それを知ったことが、わたしの中で何かを変えた。

わたしはよくお笑いライブや劇場にも足を運ぶ。
小さなライブハウスで見た芸人が、売れていく姿を何度か見てきた。
漫才でも、コントでも、バラエティ番組でも表舞台に立つ人はすごいと思っていた。

正直なぜ尊敬してしまうのか、自分でもよくわからなかった。
ネタが好きだから?面白いから?
でもそれだけではうまく説明がつかなかった。

でも「答え合わせ」を読んで、腑に落ちた気がする。
あの人たちは、笑いという形をとりながら、ずっと正解のない戦いをしている。
正解がないとわかっていても、それでも前に進んでいってる。
その覚悟が、知らず知らずのうちに伝わってきていたのだと思う。

エバース

そしてもうひとつ、嬉しかったこと。
それは「答え合わせ」の中で、エバースの名前が出てきたことだ。
彼らのことを褒めてくれていた。

わたしはエバースが大好きだ。
もちろんライブを観に行ったこともあるし、身の回りでもずっと推してきた。
今や、M-1決勝に行ったことでかなり有名になったが、それも最近の話。

一昔前までは無名だったし、有名ではない推しを語るのってちょっと勇気がいる。
「誰それ?」「知らない」って返されることが続くと、なんとなく口に出しにくくなる。
それでもYoutubeにアップされているネタ動画紹介したりはしたけど。
公式とは思えない画質・音質の動画も多いが、ネタは間違いなく面白い。
ぜひ皆さんも見てほしい。

「好き」って表舞台だけを見て言うものじゃない

「答え合わせ」を読んでから、自分が「お笑い好き」だと語るのが、少し怖くなった。
中途半端な気持ちで言ってはいけないような気がした。
でも同時に、なんだか余計に好きになってしまった。尊敬の念が増した。

「好き」っていう気持ちは、きっと表舞台だけを見て生まれるものじゃない。
その裏にある迷いや苦悩や、誰にも見せなかった時間まで含めて知ろうとすること。
その上で「やっぱり好きだな」って思えたとき、その言葉には芯が通ると思う。

わたしたちは、つい結果だけを見て語ってしまう。
テレビで見て笑ってSNSで感想を言ってそれで完結する。
でもその背後には、見えない努力や戦略や迷いがある。
その裏に目を向けることは、受けての"優しさ"だと思う。

もちろん全部を知ることなんてできない。
でも「きっとこの裏にも物語があるんだろうな」と思いながら接するだけで、
言葉のトーンが少し変わる気だろう。

ここまでつらつら書いてきたが、わたしはこういうふうに感じたというだけで、
この感情を誰かに強制するつもりはない。
人には人の「好き」の形があっていいと思うし、そんなん当たり前だ。
ただわたしにとっては、そう思えたことがちょっと大きかったという話である。

だからわたしは、これからも笑いながら、こう思うことにする。
「そのネタの裏側には、きっとよかったことも悪かったこともたくさんあるんですよね。
ありがとう、また見に来ます!!!」

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