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日曜日が虹曜日ならば

この前、雨上がりの空に虹を見た。
ふと、ある出来事を思い出した。



高校生の頃、選択科目はなんとなく文系を選んでいた。
しかし、養護教諭を目指すことになってから、急に理系教科に自信がないことに焦りだし…

信頼していた化学の先生にお願いして、休日に出勤する日を教えていただき、化学と生物を教えてもらっていた。
(その節はありがとうございました泣)

勉強はそこそこに、
「あー…もう明日からまた学校だー。日曜日が終わっちゃう。やだなぁ。」
みたいな文句をひたすら言いながら、窓の外を眺めていた。

「あ、虹!」

私は虹を見つけた。
先生もキャスター付きの椅子ごと動いて虹を探してくれた。

『ん?…おー!』


先生と雨が上がってすぐのキラキラと輝く虹を眺めた。
とても綺麗だったのを覚えている。

『今日が虹曜日ならいいね』


先生はそう、サラッと言った。


虹曜日なら、
明日、月曜日は来ない。

今日を前向きに過ごせるよう、魔法の言葉をかけてくれた。


先生は口角を上げずに優しい眼差しで微笑んでいた。


先生は私へのご褒美を、いつもこっそりと冷蔵庫と冷凍庫に入れておいてくれていた。
お決まりの2種類で、1つは私が好きな物、もう1つは先生がお勧めしてくれて私も好きになった物。


私は先生に断って冷凍庫からご褒美を取り出し、目では虹を、口では溶ける冷たさを味わいながら、帰りまでのわずかな時間を過ごした。時計の針よ、どうか進まないで、と。


虹の遙遠くの方で橙と薄紫の光が重なり合い、今日が終わりに向かっていることを知らせていた。




私は当時、家族や友達、人間関係、部活や勉強のこと、人と人との間に挟まれて、色々と抱えこんでしまい、しんどい日々を過ごしていた真っ只中だった。
正直、何もかも精一杯だったけど、何かをやめたらギリギリのバランスで動いていた歯車が噛み合わなくなって、全部が手につかなくなってしまうのではないかという強迫観念みたいなものに絡まっていた。絡まっていたから保っていたという節もある。

その殆どを知っていた先生は、いつもサラッと優しい一言をくれた。

勉強や進路については、こちらが姿勢を正すほど、シビアな現実世界を真剣に話してくれる。
教室で授業を受け始めてすぐ、心根はとてもあったかい人なんだと気付いてから、厳しい言葉も私たち高校生への贈り物なんだと理解できた。先生は万人受けというタイプではないが、先生を慕う生徒は結構いた。授業前後や廊下では、理系選択の男子が先生を囲んで小さな輪ができていた。


私は、先生に恋をしていたわけではなく、ただ、先生の存在に救われていた。

先生の言葉や雰囲気から、私を救おうとしてくれていたことは感じ取っていたのだけど…
きっと先生は、一度手を止めて「そんなぁ、救うなんて大それたものではなく、『ちょっとした居場所』を作れたらなぁなんて思っていたけど」とか、なんとか言って、何事もなかったかのように向き直して仕事に戻りそうだ。

願いが叶うならもう一度、あの日の先生に会って、確かめてみたい。


その日から、私の中で憂鬱に傾きそうな日曜日は、キラキラと輝く虹曜日を思い出して過ごすようになった。
ご褒美をお店で見かけたら、心の中で微笑んでしまうようになった。

でも、先生がお勧めしてくれた物はもう売っていない。
どこにもない。
見つからなかった。
いや、見つけられなくなったのかもしれない。

私もいい大人だ。
思い出を思い出として愛で、心に大事にしまってあたためておける齢になった。

虹を見かけるたび、私は生かされてることを思い出す。
誰かの一言で、世界の見え方が変わる。
その先の人生に希望が訪れることもある。

私は養護教諭になることができた。
職場は違えど、同じ業界の同僚だ。


先生。
私はまだ、「今日が虹曜日なら」をこえる言葉を見つけられていないんです。

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