堂々と失敗作でいよう
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暮らしの整え方「ライフデザイン🌿」を発信しているnanaです。

ある日、私は陶器市を訪れた。
テーブルの上に、所せましと並べられた大量の食器。
それを全て見て歩くだけでも、心が躍る。
その日、私はしっかりと目的を持って、この陶器市を訪れていた。
「あ~幸せって感じられるような、温かみのあるコーヒーカップでコーヒーが飲みたい」
そんな私の希望を叶えてくれそうなお気に入りのコーヒーカップを探しにやってきた。

普段、大量生産の商品が並べられたショップで買い物をする時とは、なんだか気分が違う。
「お気に入りを見つけて、連れて帰ろう」
そんな気持ちになる。
そこに職人さんの想いが乗っているからなのだろうか?
「物を探す」というより「フィーリングが合うものとの出会いを楽しむ」
自然と、そんな気分になっていた。
色んな陶器を見て歩く途中、安い値段で売られている「失敗作」のコーナーを見つけた。
押し印の位置が、お皿の表にきてしまっていたり。
歪みがあったり。
そんな陶器たちが、いくつか並べられた小さな空間。
私はそこに並べられた陶器をみて、「なんて素敵なんだ」と思った。
作品から、人間らしさがにじみ出る。
それが、何と言うかとても魅力的に感じた。
そう。本当は、これで良いのではないか?
むしろ、これが良いのではないか?

社会はいつからか、均一が正しいかのように振舞っていた。
少しのゆがみは、不良品として返品される。
人もまた同じ様に、「みんな同じ」という教育を受ける。
大量生産の商品のように、歪みは不良品。
誰かの作った正解を、あたかも自分の正解であるかのように振舞う。
意見は常に多数派が正しくて、少数派は歪み。
自分は歪みだと思われたくない。
だから、多数派に合わせて、自分は正しい側であるとすることで、自分の存在価値を保とうとする。
そんな中、堂々と「失敗作」だと言う、押し印がお皿の表にきてしまった陶器がなんとも個性的で愛おしく見えた。
人間なら、あるよね。
失敗することぐらい。
人間なら、あるよね。
選択を間違えることぐらい。
人間なら、あるよね。
立ち止まりたくなる時間ぐらい。
どうして私たちは、立ち止まることもなく、ただ均一であり続けることを美学だと思い込んできたんだろう?

AIの進化が止まらない。
AIGというロボットも、これからどんどん登場してくるだろう。
立ち止まることなく、均一であり続けることで人間がAIに敵う事はない。
もう、それはAIに任せて良いのだと思う。
失敗しない、均一のものをただひたすらに作り続けるという行為は本来、人間には向いていない。
私たちは、ロボットじゃない。
効率的で、生産性のある存在になろうとする必要なんて本当はなかったのだ。
人間という生き物は、失敗だと感じるから、そこから何かを学ぶ。
実際に私は幾度となく、そんな時間を繰り返した。
立ち止まらないと、次へ進めないことだって沢山あった。
しかし立ち止まろうとすると、社会に「立ち止まるな、進め。進め。」「ただ、前に進み続けろ」と急かされている気持ちがずっと抜けなかった。
実際に社会のシステムとは、そういうものだった。
しかし、もし人間に生きる美学があるとするのなら、それは均一で多数派で、間違えないことではなくて、失敗したり、間違えたりしながら、そこからどう立ち上がるのかという過程の方なのではないだろうか。
私はいつも、そう思っている。
時代は今、大きく変化している。
AI時代に、人間がAIと張り合っても仕方ない。
私たちがこれから生きていくには、誰とも同じじゃない自分で、心地よく暮らし、温かいものを創り出す。
そういう、本来の人間らしい生き方をすることなのだと思う。
唯一、AIと差別化できるのは「人間らしさ」その一点。
「失敗作」を作ることも、「失敗作」を店頭に並べることも、その「失敗作」に心惹かれることも、人間にしかできないから。
今まで、均一であろうとして封印してきた「本当の自分らしさ」を、今こそ思い出す。
そして、その「本当の自分らしさ」で暮らしを紡いでいく。
それで、いいんじゃないかな?
そんなことを思いながら、陶器市で連れて帰ったお気に入りのコーヒーカップで、私はコーヒーを飲んだ。
少し厚みがあって、ちょっと飲みにくい。
だけど、そんな時間が心地いい。

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