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「ギュられる」って何? 生成AI時代のサバイバルを思う

先日、面白い造語を知りました。

ホントに流行ってるんですか? という懐疑的な思いも少しはあります。
また、「最近はこう言うんでしょ?」と中年が知ったかぶるようになった時が若者言葉の死なので、紹介するのが申し訳ない気もします。許してください。


「ギュられる」=シンギュラリティによって手持ちスキルの価値が激減すること

シンギュラリティ(技術的特異点)の説明は割愛します。AIの動向を追っている方ならもうご存知でしょう。初耳、という人はもうあまりいないのではないかと思います(響きがカッコイイから覚えやすいですしね)。

いわゆる狭義のシンギュラリティが本当に起きるかは、現時点ではわかりません。しかし、少なくとも世界は、シンギュラリティが起きる前提で動いています。その中で、既存の職業への淘汰圧は、たしかに高まっています。

人間の持つさまざまな能力の値付けに変動が起き、これまで付加価値が高いと思っていた能力の「値崩れ」が起きて、キャリアパスのガラガラポンが起きていること。それらが

「ギュられる」
の一言でまとめられました。アツい。

短くカジュアルな言葉の中に、概念と危機感、不可避への絶望感、諦観、ついでにお祭り感まで折りたたまれています。
「仕事を奪われる」「いやもっと違うことが起きる」「これは破壊的創造である」「過度な期待に沸いているだけだ」みたいな、大勢の大人が言葉を尽くして語り合うこれらをまとめる剛腕。いや本当に素晴らしい。こういうの大好きです。

ギュられ世代のサバイバル

上記のポストへの反応も多種多様。それぞれの立場のひとがそれぞれの思惑の中で「ギュられ時代」を語っています。

「中年以降がギュられて俺らの時代が来るのは大歓迎」
「みんな平等にギュられたからって若者に機会が来るか?」
「いや現状のAI環境は持続可能性が低い、気にせず揺り戻しに備えろ」

などなど。世代やスキルセットによって「ギュり」の影響に偏りが出ることも、共通認識になっているようです。
とくに中高生が「AIありきの時代に自分たちが学ぶことは何なのか」みたいなことを考えている様子です。
明らかに、われわれ現役世代とは異なる危機感があります。

われわれ中年は、ドメイン知識という強い武器を持っています。武器にも、変化に対応できない枷にもなるものです。
一方で、それを持たない子どもたちは、新しいルールの世界に身ひとつで飛び込む最初の世代になるわけです。世界の見え方は、当然大きく異なるのでしょう。

ギュられる仕事、ギュる側の仕事

自分の仕事がギュられるか否かについて、フェアに論じられる人はほとんどいません。あまりに影響が大きく、無関係でいられる人がほとんどいないためです。当事者ならではの認知バイアスが、あらゆる思考の邪魔をしてきます。

しかも生成AIに関しては、「AI驚き屋」と揶揄される人や不安を煽って情報商材に誘導する情弱ビジネス屋、もっと悪いとポンジスキームだけの人……そういうのも入り混じっています。信じるに足る情報は、まあ見つかりません。

一方で、コンサルやライターやプログラマーはAIで不要になる……なんて論説にも慣れ、そろそろ皆「あ、そういう分類じゃなさそうだね」と気づき始めているようにも思います。

私自身は、「まだ自分はギュと違う領域のご依頼をいただけているなあ」と思っているところです。むしろ現時点では、自身の武器が増えている感すらあります(これも正常性バイアスな気がしています。怖いなあ……)

中年らしく、ドメイン知識と過去の経験、これまでの経歴と新しい技術を活かしつつ、世界が完全にギュられた後になお必要とされる(おそらく新しい)領域も、育てていきたいですね。
こういう「シャバさ」をとても好ましく思います。しゃばい一方で、どこか反骨精神もある感じがなかなかイイ。

ギュられる。それほど頻繁に使うとは思えませんが、かなり好きなフレーズになりました。

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