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しぬまでいきる。

最近の note のフィード上で見かける、いくつかの言葉に対して。
見なかったことにする、ぼくにはそれができませんでした。
だから綺麗事で誤魔化したり、耳あたりのいい言葉にして逃げません。
人によってはきついと思うかもしれないし、暴論だとも。
それでも、曖昧にぼかさず書くべきだと思いました。
もし本文をお読みいただいて負担を感じられたなら、
どうぞ無理をなさらないでください。


このところ、noteの街中でよく耳にする言葉(記事)があります。

「生きるのが辛い」「生きてる意味が分からない」「死んでしまいたい」


などです。

季節的なものか、世情からなのかは分かりません。
物価の高騰や賃金格差、ワークプアや戦争の報道なんかの影響があるかもしれませんし、東日本大震災の爪痕なのかもしれません。
将来への不安や、目的目標が見いだせないことも多い。
漠然とこのままで大丈夫なのか、
自分っていったいこの場所にいる意味があるんだろうか。
学校にも仕事にも趣味もなにもかもが味気なく、現実味を感じられない。

確かに今を生きる私たちは、多くの情報や物の中で、本物を見つけられないで足掻いて藻掻いて生きています。

幸せはすぐそこにあるはずなのに、いざ自分のそばには感じられない。
あってもぼんやりとしていて実感がない。

単純に、お金に困っていて首が回らないとか、人間関係に疲れたとか、
愛している人に裏切られたとか、病気が苦しくてとか。

数え上げればきりがない。

そうです。
はっきり言います、おためごかしはなしで。

この世の中は、理不尽で、不条理ばかりで、道理がなく、理屈が通らないことばかりです。

喜びや幸せはほんの一握りで、多くの事物は紛い物で嘘ばかりで痛みばかりです。

目を背けないでください。

これは事実です。
まごうことなき真実です。

それをまずよく理解してください。

誤魔化しはしない。

もうひとつ。

絶対的な事を言います。


私たちは誰でも、何人であれ、偉かろうが悪かろうが、
貧しかろうが美麗であろうが、どんな人であろうが物であろうが、

必ず死にます。

言い換えれば、必ず死ねます。

もう少し言い方を変えます。

生体ならその生命活動はやがて停止し、腐敗し、分解され、土に還ります。

無機物ならいずれ崩壊し、同じように地に、海に、空に還ります。


なぜならば、すべて等しく絶対的に何をどう言おうが、


私たちは必ず元に戻るからです。

なにをかなすもなさんもひとしくかわりなく。

なにものであってもなくともかわりなく。

死ぬまで生きる。

それだけです。

順番は気にしないでください。

起きて飯食って排泄して寝る。
寝て起きて飯食って排泄して寝る。
寝て起きて飯食って勉強して排泄して寝る。
寝て起きて飯食って仕事して排泄して寝る。

そしていつか死ぬ。

ただそれだけです。

ぼくらはただの管です。

生き物という名の管です。

生き方なんてどうだっていい。

何をしたっていいし、何もしなくってもいい。

だってぼくらはただの管なんだから。

悩んだって苦しくたって嬉しかろうが成功者だろうが。

みんなただの管。

なんにもかわらない。
なんにもちがわない。


怒られそうですね、こんな暴論。

でも、間違ってますか?

なにが、違うんですか?

わたしとあなた。
ぼくときみ。


ぼくは過去を持っていません。
正確に言えば、

11歳の誕生日前日の交通事故によって、それまでの記憶はありません。

今が56歳ですから、もうその後の人生の方が長い。
当然その後の記憶や人生も家庭も仕事もあります。

ですが、あの時それまでのぼくは死にました。

おそらくですが、自殺したんだと思います。

身体は助かりましたが、心は死にました。

意識が戻った……と言ってもいいのか分かりませんが、
覚醒した後からぼくは、そこから生き直しをしました。

なぜかしゃべれはしたみたいです。
そこは不思議です。

ひらがなから覚え直し。
数字も1から覚え直し。
親や姉の顔も覚え直し。

言葉を覚え、読めるようになり、考えられるようになるにつれ。

ぼくは猛烈に死について考え悩み苦しみました。
脳の損傷からくる精神的苦痛。
後遺症からくる身体的苦痛。
思考することで繋ぎとめた自我。


56歳の今。

最近ようやく思えるようになったこと。


しぬまでいきる。



木漏れ日亭

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