何もしない一日が、いちばん贅沢だった
今日は、義実家で一日、ほとんど何もしないで過ごした。
朝6時ごろ、娘への授乳を終えると、そのまま娘と一緒にもう一度眠った。次に目を覚ましたのは8時前。お義母さんが用意してくれた朝ごはんを食べ、娘とふれあい遊びをしたり、昔、夫が読んでいたのであろう絵本を借りて読んだりしながら、ゆっくりと過ごした。
唯一の外出は、車で近くの道の駅へお土産を買いに行ったくらい。お昼もお義母さんが用意してくれたご飯を食べ、そのあとはみんなでお茶の時間。観光に出かけるわけでもなく、予定があるわけでもない。ただ、ご飯を食べて、娘と遊んで、お茶を飲む。
午後は、娘がずっとグズグズしていた。
声を出して抱っこをせがんだり、甘えたそうにしたり。娘は、わりと空気を読む赤ちゃんだ。人が多いところや外では、あまり泣いたりグズったりしない。いわゆる「良い子ちゃん」になっていることが多い。
だから今日は、家の中が落ち着いていたぶん、「今日はいっぱい甘えてもいい日」と思ったのかもしれない。
午後、近くで牛を飼っている人がいると聞いて、見に行こうと散歩に出た。でも途中で娘がグズり始めたので、無理せずそのまま帰宅。授乳すると、そのまま2時間も昼寝をした。
最近は、ほとんど昼寝をしていなかった娘。もしかすると、旅のあいだずっと頑張っていたのかもしれない。にぎやかな場所では眠れなくても、静かな家に戻ってきて、ようやく安心して眠れたのだろうか。
夜は家のお風呂に入り、20時半前には眠ってくれた。これから夜は、また何度か起きるのだろうけれど。
今日は、本当に何もない一日だった。
でも、不思議なくらい充実していた。
思えば私自身、幼いころは、亡くなった祖母の家に遊びに行って、特に予定もなく、ただダラダラと過ごすのが好きだった。朝ごはんを食べて、テレビを見たり、家の中で遊んだり、おやつを食べたり。どこかへ連れて行ってもらわなくても、「今日は何をする?」と予定を決めなくても、その家にいるだけで楽しかった。
今日、娘と過ごした一日も、そんな時間だった。
義実家に来ると、せっかく遠くまで来たのだからと、つい「どこかへ行こう」「何かを見よう」と思ってしまう。でも、本当は旅先であっても、何もしない時間があっていい。
むしろ、そういう時間のなかに、その土地で暮らすような感覚が少しだけ生まれるのかもしれない。
娘にとっても、旅の思い出は、滝や温泉や美術館だけではないはずだ。
おばあちゃんが用意してくれたご飯を食べたこと。昔、お父さんが読んでいた絵本を読んだこと。家の中でたくさん甘えたこと。授乳のあとに、安心して2時間眠ったこと。
そんな「何もない一日」も、きっと娘の中に残っていく。
私にとっても、今日は少し懐かしい一日だった。
予定のない休日を、ただ家族と過ごす。
大人になって、子どもが生まれて、毎日を効率よく過ごそうとすることが増えたけれど、何もしないことにも、ちゃんと価値がある。
今日は、義実家で「何もしない」をしてみた。
そして、それが思っていた以上に心地よかった。
