生きててよかった解剖学
週6勤務の後、泥のように眠った。一週間で風呂キャンは2回。風呂に入らないと何故か朝方4時に目が覚めてしまうのだが、6時には家を出なければいけないのでちょうど良かった。緩行線に揺られるという選択肢は4月に消えた。コロナん時はガラガラだったじゃんなんでだよ〜、と毎朝見えない人たちに毒づきながら快速に揺られる。この中に「働きたくて身体が疼くぜ、、、」みたいな人って、一体何人いるんだろう。スマホに目を落としている人もいれば、すでにディズニーランドのカチューシャを身につけている人もいたり、デカめのキャリーバッグを持っている人もいる。みんな、何を楽しみに生きていますか?満員電車に揺られて、働いて、こなして、得るものと失うものを片手ずつに持ちながら漫然と暮らしている。昔、繰り返し父親に言われた「十把一絡げの人になるな」という言葉が、岡崎体育の声と混じってAirpodsから響いている。
日曜日の夜6時、先週買ったMacで簡単に職務経歴書を作り、Switch2でリズム天国の新作をやり、ハードルがどうしてもメダルが取れずにイライラして、水曜日に買ってそのままの、鮮度の落ちてしまったとうもろこしをバター醤油で炒める。味見のつもりでフライパンの上から直に食べたらあまりの美味しさにそのまま半分食べてしまってChatGPTに食い過ぎかを尋ね、「大丈夫だよ、食え」と言われて喜び勇んで粒を齧り取りながら「これから先の人生、生きてて良かったって思えることってあるのかな」とどこか他人事のように考えている。最新の機器を使い、ドラム式洗濯機を回し、旬の野菜を味わいながら考えるにはあまりに能天気な問いだった。
とうもろこしが芯だけになった頃、私は私に及第点をしばらく与えられていないことに気が付く。日記をつけてAIに分析してもらうアプリを活用しているが、そこで指摘された自責思考。この身に私は一体どこまで求めているんだろう。いつも比べるのが呪術廻戦の五条悟だったりするものだから、「五条はこんなことで弱音を吐いていないぞ」といつも自分を戒めている。私と彼では定規が違いすぎるのだ。いや、そもそも弱音を見えないところで吐いているかも知れない。いやいや、そもそも私たちは存在している次元が違うのだ。架空の最強術師という謎の存在を基準にしている時点で、私の目盛なんてとっくに壊れているに決まっていた。
他人に持たせた定規で自分を測るのはあまりに危険で、「みんな出来ているんだから」と思った瞬間に世の中がつまらないものに思えてくる。私だって必死に生きているんだと不貞腐れてみたところで、皆自分のことで必死でそれどころではない。結局他人は、隣の芝生にしか過ぎない。
私、自分で「生きてて良かった」と思える時ってどんな時だろう。
デカい賞をもらえた時?誰かが褒めてくれた時?役に立てた時?
いや、違うな。風呂キャンせずに入れた時。めんどくさい仕事をこなしたあと。変な虫のいるマンションのエントランスを走り抜けた時。部屋を散らかさずにゴミはゴミ箱へ入れられた夜。
私は私の小さな一日を全うできた時、毎日繰り返しそう思うんだろう。そして人生の幕引きの時、「生きてて良かった大賞」を自分に渡してあげようと思う。私は、私の人生の一番厳しい審査員だ。私の人生が終わったら、十把一絡げの中でも一番背の高い、黄金色の稲になっていたよと父に真っ先に伝えよう。
