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【小説】透明度の高い春 #6

あらすじ

「屋上から飛び降りた生徒」

その噂は、あっという間に学校中へ広がった。
まるで、あの男子生徒のときと同じように。

誰も事実を知らないのに、勝手に語られる“物語”。
千隼は初めて、噂に晒される側に立たされる。

――掲示板と同じだ。

そんな中、紺の過去を追うため、ふたりは警察署へ向かう。
目的は、彼女のスマホ。

だが、警察官の厳しい追及に、千隼は咄嗟の嘘で切り抜ける。
そのとき現れたのは、母親を待ち続けるひとりの少年。

「ママがね、くびをぎゅーってしてたの」

無邪気な言葉の裏に隠された、重すぎる現実。

そして気づく。
――この子も、“向こう側”の存在だと。

少年のいたずらで生まれた一瞬の隙。
千隼は警察の奥へと踏み込み、ついに紺の遺品にたどり着く。

そこにあったのは、一台のスマホ。
そして、ひとりの男の名前――「iori」。

過去に触れたその瞬間、
物語は、決定的に動き出す。

#6

 それから数日間、千隼を心配した母が車で学校に送迎した。千隼が学校に着くと、校内は異様な空気に包まれた。千隼が廊下を歩くたび、廊下にいた生徒たちは静まり返った。千隼が通り過ぎると、こそこそと声を潜めて囁き合っている声が背後で聞こえた。あの人だよ、屋上から飛び降りたって噂の人。屋上から飛び降りたのに無傷ってやばくない? なに、いじめ? あいつ友達いないっぽいもんな。それにしてもよく飛び降りた次の日に普通に学校に来れるよな。続々と千隼の噂が廊下を占めた。 

 ああ、こういうことか。あの男子生徒とは、噂の規模は違えど常に好奇な目で見られるというのはあまりにも疲れる。それに、噂の内情は基本的にネガティブなものが多い。俺を庇うような意見はほぼない。「掲示板と同じじゃないか」 

 それにしても、幽霊が粒子物理学で証明できるかもしれないという発見は、千隼にとって大きな収穫だった。まるで水蒸気のように空気中に拡散されることもあれば、それが凝縮されて物質化することもできる。しかも水蒸気とは違って、思考することもできるとなると、確かにあの男子生徒が言うように、幽霊というものは生きているときよりも自由度が高いのかもしれない。 

 千隼が屋上から飛び降りたことで、かつて同じように屋上から飛び降りて死亡した男子生徒の噂も、瞬時に校内に広がった。 

 六年前、その生徒はひどいいじめを受けていた。成績が優秀というわけでもなく人付き合いも得意ではない彼は、昼休みになると必ず教室から姿を消した。ある日の昼休み、クラスの一人が彼の後をつけると、彼は屋上に続く薄暗い階段で一人昼食を食べていた。それを面白く思った生徒が、まったくのでたらめをクラス中の生徒に吹聴した。 

 あいつ、女子トイレの個室で弁当食べてるらしいよ。 

 クラスの全員がその話を信じた。なぜなら、そのでたらめを吹聴したのは彼のクラスの委員長だったからだ。優秀で人望の厚い委員長を信じない生徒はいなかった。教師たちですら委員長の言葉を信じた。彼の口から出るでたらめはエスカレートしていった。さすがにそれが嘘だと気づく生徒も出てきたが、委員長に逆らう勇気は誰にもなかった。 
 彼らの担任は、ついにいじめを受けていた男子生徒の家に電話を掛けた。電話に出たのは生徒の母親だった。担任は恭しく噂の内容を彼の母親に告げた。 
 
 その噂を母親は信じた。そして息子に問い詰めた。程なくして、いじめを受けていた男子生徒は、学校の屋上から飛び降りた。でたらめな噂を流した委員長にお咎めはなく、むしろ総代として華々しくこの学校を卒業した。 

 千隼が入学したときにはすでにこの学校で自殺した生徒の怨霊が屋上に出るのだという噂は、学校の怪談として囁かれていた。そして今、千隼は屋上でその怨霊に取り憑かれたのだと新たな噂が生み出されてしまった。 
「その噂はあながち間違っちゃいないんですけどね」諦めたように笑いながら千隼は紺に話した。 

「どうりで最近千隼くんを見かけなかったわけだ」気の毒そうに紺は言った。「おじいさんは千隼くんの体の成長を感じられて嬉しかったって言ってるけど」 

 駅は下校する生徒たちでにぎわっていた。ちらちらと千隼を見ては友人と小声で話す生徒こそたくさんいたが、千隼は特になんとも思わなかった。 
「そういえば、紺さんのスマホを探さなきゃいけなかったんですよね」 

 数日前に紺に頼まれたことを、千隼はうっすらと思い出した。ハルの情報がきっと含まれているであろう、紺のスマホ。今どこにあるのだろう。警察か、紺の実家か。 
「そうそう。ひとまず駅員さんに聞いてみようか」 

 紺がすっと立ち上がった。釣られて千隼も立ち上がると、紺は楽しそうに改札に向かった。有人の改札に行くと、若い女性駅員がカウンターに立っていた。「どうされました?」 
「先日、ここで浅桜紺って人が電車に轢かれたと思うんですけど」 
「あ」女性駅員が声を漏らした。「少々お待ちください」 
 女性駅員は急いでバックヤードに入っていった。 

「なんかこの感じ、ホストに行ったときと似てる」 
「そうなの?」紺は興味がなさそうに答えた。 
 すぐに女性駅員とともに、品格のある五十代くらいの男性職員が現れた。 
「こんにちは。駅長のと申します。浅桜紺さんについてお話しがあるとのことですか?」 

 鷹端の声は荘厳でありながら温かみがあり、はっきりと明瞭だった。感情ではなく論理的に会話をしてくれそうだと千隼は感じた。 
「浅桜紺さんの荷物を確認したいのですが、どちらにありますか?」何気ない風を装って、千隼は言った。 
「失礼ですが、どういった用件で浅桜さんのお荷物が必要なのですか?」鷹端は優しく質問を返してきた。そういった質問をされるであろうことは、すでに想定済みだ。 
「あ、えっと、僕は紺お姉ちゃんの身内の者なんですが、紺お姉ちゃんに貸してた本があって、その、お姉ちゃんの家にもなかったから、ここかなと思って」 

 千隼は不本意ながら頭の悪そうな少年を演じた。それが功を奏したのか、鷹端は同情の色を浮かべた。隣で紺が苦笑いを浮かべていたのを、千隼は見ないふりをした。 
「実はここにはなくてね、全部警察が持っていっちゃったんだよ」眉尻を下げ、鷹端は申し訳なさそうに言った。 

 紺と顔を見合わせたいのを我慢して、千隼はとても残念そうな色を浮かべた。「そうですか」 
「警察署の葛樹さんって人が担当だったから聞いてみるといいよ」 

 丁寧にお礼を言ってから、千隼と紺は再びホームのベンチに戻った。ホームに生徒の姿はすでになく、閑散としていた。 
「警察署ですって」千隼は興奮と戸惑いがないまぜになった感情を持て余しながら言った。「どうするんですか」 
「どうするって?」紺は相変わらず楽しそうだ。「行くしかないでしょ」 

 鷹端にはなんとか嘘が通じたが、警察相手となると、そう簡単に情報をくれるとは思えない。 
「でも、まあいいんじゃない? 行ってみるだけ行ってみようよ」明るい声で紺が言った。 
「行くのは俺なんですけどね」 

 まだ暗くなるまで時間がある。千隼は渋々警察署まで向かうことにした。  大通りに面した警察署からは、物々しい雰囲気が漂っていた。それは汚れた白壁や無機質な外観だけのせいではないだろう。警察署に行くのは初めてだ。一般市民が軽々と入っていいものなのかもわからない。学校の知り合いにでも見られたらどうしようかとも思ったが、すでに千隼に関する重い噂が蔓延っているのだから、警察署に入るのを見られたところで今更といった感がある。 

 警察署の入口前の小さい階段に、少年が座っていた。まだ小学校にあがっていないくらいの年頃に見える。一人で退屈そうに雲を眺めている。近くに保護者がいる気配もない。迷子だろうか。警察署に用のある保護者がここで彼を待たせているのか。下手に小さい子どもに声を掛けたら不審者扱いされるこのご時世、声を掛けるのは憚られる。警察署前なのだから安心だろうとも思ったが、署から出てくる警察官は誰も彼に声を掛けようとしない。 

 制服を着ていれば、少なくとも不審者扱いはされないだろう。千隼は少年に近寄った。空を見上げていた少年は、隣に座った千隼に驚いたらしく、目をまん丸にして体を強張らせた。「だれ?」 
「八神千隼っていうんだ。君は?」千隼は不器用な笑顔を作った。 
「さかもとゆう」少年は目を丸くしたまま答えた。 
「ゆうくんか。ここで一人でなにしてるの?」 
努めて優しく千隼が質問をすると、ゆうは大きい声で一気に話し始めた。 
「あのね、ゆうね、ママまってるの。まっててってママがいってたから、ゆう、ひとりでここでまってるの。そしたらね、おそらにおっきいぞうがいたからね、どこいくんだろうなーっておもってみてた」ゆうは小さい指で一番大きい雲をさした。確かに象に見えなくもない。 
「どれくらい待ってるの?」 
 ゆうは雲から目を離さずに、んー、と少し考えてから「いっぱい」と答えた。 
「お母さんと一緒にここに来たの?」  ゆうは雲から目を逸らし、つま先をもじもじさせた。そして歯切れ悪く話し始めた。 
「えっとお、ほんとはおうちでまっててっていわれたんだけど、ママがえんえんってしながら、おうちからはしってどっかいっちゃって、なんでないちゃったのかなーっておもって、ついてきたら、ここにきたの。でも、なかにはいれないから、ここでまってる」 

 ゆうの母親が泣きながら家を飛び出したということなのだろう。しかし、なぜゆうの母親は泣きながら警察署に駆け込んだのだろうか。 
「ママがおうちから出ていく前に、ゆうくんはママとなにをしていたの?」 
 ゆうは困った顔で、必死に思い出そうとしているのか、両手をばたばたと動かしてなにかを伝えようとしていた。 
「んと、えっと、ママが、ゆうのくびをぎゅーってしてた」 

 首を、絞めていた? 
「それで、くるしいよーってなったんだけど、ママがすぐいくからまっててーっていってた」 

 母親はゆうと心中しようとしたのか。しかし、ゆうを殺そうしたところで自分は死ぬ勇気が出ず、自首をしに警察署に来たということなのだろう。ゆうがここで母親を待っているということは、まだ母親はこの中で取り調べを受けているのかもしれない。 
「あれ、俺もしかして、また幽霊と話してる?」千隼はゆうに向きながら呟いた。 
「ゆーれーってなに?」ゆうは目を輝かせながら千隼に体を寄りかからせてきた。 

 よく考えたら、走って出ていった母親に、これほどまでに幼い子どもが走って追いつけるはずはない。警察署に出入りする人たちがしきりに千隼に不審な目を向けてきていたが、もしかしたらそれは子どもに声を掛けていることに対してではなく、傍から見たら一人で話していると思われているからなのだろう。 
「それよりゆうくん」慌てて千隼はゆうの頭を撫でた。「きっとママはまたゆうくんに会いに来てくれるからね。俺が保証する」 

 千隼は立ち上がって、ゆうの「ほしょーってなに?」という声を背に警察署の入口の自動ドアをくぐった。 

 警察署は、平日の夕方ということもあってか、たくさんの人でごった返していた。自動車免許の住所変更を行う人、落し物や行方不明者の捜索について相談する人、その他警察官に対してむやみに苦情を叫ぶ人がいたりと、思いがけない盛り上がりを見せていた。 

 千隼はひとまず総合受付に向かうことにした。そこには女性警察官が凜とした表情でロビーの一人ひとりに目を配っていた。 
「すみません」千隼は女性警察官に声を掛けた。「葛樹さんっていらっしゃいますか?」 

 女性警察官は千隼の制服を上から下までじっくりと見た。「どのようなご用件ですか」 

 大丈夫、その質問なら脳内で何度もシミュレーションしてきた。 
「浅桜紺さんの持ち物について、ご相談がありまして」千隼は堂々と笑顔で言った。 

 眉を顰めながら、女性警察官は受話器を手に取った。「少々お待ちください」 
 問題はここからだ。担当の警察官というからには、紺の身内については細かく調べているだろうから、鷹端のときのように紺の身内という体で話すのは無理がある。 

 千隼が眉間に皺を寄せて考え込んでいると、背後から威圧感のある声が降ってきた。 
「君か、浅桜さんの持ち物について話したいという少年は。悪いが忙しいので手短に頼む」 

 千隼が振り返ると、千隼より頭一つ分背の高い男が千隼を見下ろしていた。日頃から鍛えられているのであろう筋肉のせいで、制服がはちきれんばかりに伸びきっている。葛樹は何通かの封筒を携えており、仕事の途中で抜け出してきたのだろうことが伺えた。高圧的な物言いと厳つい顔の葛樹に、千隼は思わず物怖じしそうになった。嘘をついたら殺されるのではないかと思うほどだ。しかし、ここまで来てなにもしないのももったいない。ホストに出向いたときと同様に勇気を振り絞って、千隼は震える口を開いた。
「浅桜紺さんのスマホを見せてもらいたいんですけど」勇気を振り絞ったつもりだったが、千隼の声は自然と小さくなっていた。 
 葛樹は大声で畳みかけた。「失礼だが、君は浅桜さんとはどういった関係で?」 
 そらきた。ここで間違えた解答をすれば、せっかくのハルについての手がかりが失われるどころか、俺自身がこの場で逮捕されてしまうかもしれない。紺の関係者という線は危険だ。ということは…… 

「僕は、浅桜さんが会っていたホストの、弟、です」 
思わず千隼は葛樹から目を逸らしてしまった。 
「ホストの弟だと? おう、その浅桜さんが会っていたというホストの名前はなんていうんだ?」葛樹は封筒を握りしめながら腕組みをした。 
「ハル、です」千隼は口ごもった。生徒指導の先生にも、こんなに威圧的な人はいない。 

 葛樹はしばらく千隼を睨みつけてから、迫力のある低い声で、ゆっくりと言葉を発した。 
「それで、お前の兄は、今なにをしている?」 
 まるでテストの一問一答だ。じりじりと厳つい顔が千隼ににじり寄ってきた。それに合わせて千隼も後ずさった。どんどんと葛樹の存在が大きくなっていき、千隼に覆いかぶさってくるように思われた。 

「おにいちゃん、なにしてんのー」 
 声のする方に振り向くと、そこにはゆうがきょとんとした顔で立ち尽くしていた。 
「ゆうくん!? ここには入れないんじゃないの!?」 
 千隼が驚嘆の声を上げると、葛樹は怯んだのか、その場で固まった。「お前、急に誰に向かって喋ってるんだ」 
「あ、ちょっとすみません」千隼は葛樹に断りを入れてから、ゆうに駆け寄り、彼の正面にしゃがんだ。 
「おにいちゃんのおじいちゃんが、おいでっていってくれたから、ゆう、こっちにこれたんだ!」 
「じいちゃんが?」なぜこの子を署内に引き入れたのだろうか。でもこちら側に入ることができたなら、いずれ彼は母親に会うことができるかもしれない。 

「おにいちゃん、このこわいかおのおじさんに、いじめられてるのー?」ゆうは、眉間に皺を寄せたままこちらをじっと見ている葛樹に近寄った。「せいぎのヒーローゆうくん!」 

 ゆうはそう叫ぶと、けらけらと笑いながら葛樹の持っていた封筒を叩き落とした。「やったー! てきのあいてむを、おとしたぞー!」 

 葛樹は呆然と両手を上に挙げて散らばった封筒を見下ろしている。落ちた封筒から勢いよく中身が雪崩出ていた。その上を、ゆうは無邪気に走り回り、飛び跳ねた。彼のことが見えない葛樹は、威厳のある顔つきから一変して仰天した色を隠そうともせずに立ち尽くしている。 

 それからゆうは、近くに置かれていたチラシラックから、手の届くチラシを手に取り、宙に放り投げ始めた。「おにいちゃん、いってらっしゃい!」 

 千隼ははっとした。葛樹は目の前の出来事を理解しようと頭を抱えて唸っている。今しかない。 
「ゆうくん、ありがとう!」千隼は駆けだした。どこに向かえばいいのかわからないが、とりあえず二階に向かった。背後から「一体どういうことなんだ!」という叫び声が聞こえた。 

 二階には生活安全課と警務課、会計課という釣り看板が等間隔に下げられており、それぞれ受付とその奥にたくさんの事務机が並んでいた。誰もが忙しそうで、千隼の存在には気づいていない。 

 どうしたものかと千隼が周囲を見回していると、前方から山のように書類を抱えた女性の警察官が歩いてきた。制服はぱりっとして皺がほとんどない。新人警官なのだろう。 
「どうしたの?」千隼に気付いた女性警察官は、まるで子どもをあやすような口調で千隼の顔を覗き込んできた。 

 俺の方が身長高いのに、と千隼は苦笑いを浮かべた。「実は、浅桜紺さんのスマホを見せてもらいに来たんですけど」 
「ああ、それなら葛樹巡査が担当ね。呼んでくるからちょっと待ってて」 

 女性警察官が踵を返そうとしたので、千隼は急いで呼び止めた。「あ、葛樹さんなら一階で忙しそうにしてました。先に行っててくれって言われたんですけど、どこに行けばいいのかわからなくて」 

 葛樹は今頃、一階で幽霊と格闘中だ。女性警察官はじっと千隼を見つめた。そして眉間に皺を寄せた。周りをきょろきょろと見回すも、誰もが忙しそうに立ち回っている。 
「ついてきて」 
 女性警官は誰かに相談するのを諦めたのか、今来た道を戻り始めた。千隼が慌ててその後をついていくと、パーティションで区切られた廊下の奥に向かっているのがわかった。一歩足を廊下に踏み入れると、重力が倍に感じられるほど空気が重く感じられた。窓がないせいかどんよりと暗く、自然と千隼の足取りも重くなった。 

 女性警察官が一番奥の部屋の前で足を止めた。書類を顎で抑えながら、器用にポケットから鍵を取り出してドアを開けると、暗く狭い部屋の中央に一台の長机が置かれていた。その上には段ボールが一箱、無造作に置かれている。 
「その段ボールの中に、浅桜さんの荷物が入ってる。わたしはここで待ってるから、好きに見ていいよ」女性警察官はドアの前に立てかけてあったパイプ椅子の横に書類を丁寧に置き、静かに座った。 

 女性警察官の鋭い視線を感じながら、千隼は早速段ボールを開けた。そこには、血に染まった肩掛けカバンや、カーディガン、そして小物類がしまわれていた。その中に千隼はスマートフォンを見つけた。 

 千隼はすかさずスマホを取り出した。ネイビーでシンプルなスマホカバーだ。警察がすでにロックを解除した設定にしたのか、それとも元々紺がロックをかけていなかったのか、電源ボタンを押すとすぐにホーム画面が開いた。 

 いろいろなアプリがホーム画面に並ぶ中、通知件数が異様に多いメッセージアプリに目がいった。そのアプリを開くと紺の交友関係が透けて見えてきた。 

 同性の友人たちのアカウントや企業の公式メッセージがほとんどで異性と思われるアカウントは見当たらない。しかし、その中で唯一といっていいほど、頻繁に連絡を取り合っている男性らしきアカウントを見つけた。 

 ハンドルネームは「iori」。アイコンは友人と撮ったのか、青空を背景に男二人が並んでピースをしている写真だった。トーク画面を開くと、紺とのやり取りは互いに短文だった。 

 千隼は設定画面を開き、二人のトーク履歴を自分のスマホに転送した。念のため、ioriのアイコンの写真も撮った。そして改めて彼らのやり取りに目を通そうとしたとき、ドアの向こうから、乱暴な足音がこちらに近づいてきていることに気がついた。 


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