映画『それでも私は Though I'm His Daughter』@ケイズシネマ(2025年7月)
公共の福祉と幸福追求権
元「アーチャリー」こと松本麗華さんのドキュメンタリー。松本さんがアーチャリーだったのは14歳の時のことで、本人がアーチャリーになりたかったわけではない。
おそらく日本一の親ガチャハズレ。そんな元アーチャリーはどのように生きるのか?
これは法学部の学生時代に見ておきたかった。公共の福祉(カルト宗教によるテロを防ぐこと)と、個人の幸福追求権のせめぎ合いの究極の事例がこれだと感じた。
元麻原彰晃の遺骨が現在の信者の手に渡ってしまったら、それをきっかけに「教祖を殺した国は許せない!テロを起こすぞ!」という風になりかねない。一方で、親の遺骨を大切にしたい。というのは人間の自然な基本的な感情。どちらも大切なこと。数人の遺族よりも多数の国民のほうが大事だとか、麻原が悪いだとか松本さんがかわいそうだとか、という0対100の対立ではない。
松本さんは思った以上に日々の暮らしを営めていなかった。まず、小学校に入れなかった。通信制の高校にも入れなかった。大学も合格したのに入れなかった。銀行口座も開けず、ジムにも習い事にも行けない。
最初はひどいなあと憤っていたけれども、映画が進むにつれ、松本さんがスマホを使っているシーンを見て「スマホは契約できたんだ、よかったね」飛行機に乗ってるシーンを見ると「チケットを買えたんだ、よかったね」という気持ちになっていった。
私たちが当たり前にやってることをいちいち「できるかな」と不安に感じることを松本さんは毎日やっているんだろうな。
同情でも、考え‘させられる’でもなく、学問的な意味で非常に興味深かった。
そんな松本さんがハマったのは、スポーツジムでのトレーニング(見た感じ市民ジムっぽかった。公共のジムならさすがに拒否されることはないのかな)。この気持ちもすごくわかる。
だって、筋トレガチ勢ってみんな自分のとこが大好きで他人に興味ないもんね。人がいてもほっとかれてる感が心地良い。
あと、映画の中の松本さんはとてもチャーミングに映されていた。これを撮った監督が彼氏なのかな?と思ってしまうほど。でも映画の中で松本さんが恋人のこと話していたのでそれはないかな。

