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連載:LSD・医療・カウンターカルチャー 第1回「トリップ」ではなく「本当に良い一日」のために(文筆家:木澤佐登志)

近年、治療薬としてサイケデリックスへの関心が高まっています。しかし、その歴史は決して新しいものではありません。サイケデリックスは長年にわたり、医療に限らない多様な文化のなかで受け継がれてきました。本連載では、文筆家の木澤佐登志氏に、LSDを軸として、その文化的な広がりや社会との関わりを4回にわたって綴っていただきます。
第1回では、LSDのマイクロドージングの話題から、アメリカの薬物政策がもたらした分断による現代に続くLSDへの厳しい取り締まりについて解説いただきました。

 その書物は冒頭に、

「生命、自由、そして幸福の追求」という言葉に、自分自身の意識を実験する権利が含まれていないのだとしたら、独立宣言など、それが書かれた麻紙ほどの価値もない。

 というテレンス・マッケナからの引用がエピグラフとして掲げられている。このことからもわかるように、"A Really Good Day: How Microdosing Made a Mega Difference in My Mood, My Marriage, and My Life"(未邦訳)は、アメリカに住む一介の主婦がLSDのマイクロドージングを個人的に試してみただけの単なる私的エッセイ(ためしにタイトルを日本語に訳すとしたら、『本当に良い一日――マイクロドージングはいかに私の気分、結婚生活、そして人生を大きく変えたか』ほどになるだろう)ではなく、明確な政治的意図を持って執筆された書物でもある。「個人的なことは政治的なこと」であるとしたら、本書もその類から漏れない。

 LSD。リゼルグ酸ジエチルアミド。麦角アルカロイドから得られるリゼルグ酸を化学的に修飾(変換)して作られる、半合成のサイケデリクス(幻覚剤)。LSDは通常、100μg前後の極微量でも向精神作用等のエフェクトを得られるが、マイクロドージングはそのさらに10分の1程度の量、すなわちほぼ知覚閾下の量を数日おきに摂取する。なんのために? 「悟り」や「トリップ」のためではない。“A Really Good Day”、「本当に良い一日」のために――。

 本書の著者であるAyelet Waldmanは、小説家/エッセイストとして活動しているが、作家になる以前は連邦公選弁護人であり、刑事司法改革にとくに関心をもつ法学教授でもあった。長年にわたり、UCバークレー・ロースクールで「ドラッグ戦争の法的・社会的含意」というセミナーを教え、またアメリカの薬物法改革を目的とする団体、ドラッグ・ポリシー・アライアンスのコンサルタントも務めていた。つまり、作家であると同時に、アメリカにおける薬物政策改革の問題についての専門家という顔を持っていた。ただし、サイケデリック・ドラッグについてはほとんど何も知らず、もちろんLSDを過去に摂取したこともなかった、という。

 Waldmanがサイケデリクスのマイクロドージングに関心を持つきっかけとなったのは、マイクロドージングの研究で知られる著述家James Fadimanの本を読んだことだった。彼女は長いあいだ、重い気分変調、抑うつ、怒りっぽさ、家族関係の悪化に苦しんでいた。SSRIなどの既存の投薬治療でも十分な効果は得られなかった。そんな彼女の目の前に、LSDというオルタナティブが天啓のように立ち現れた。

 しかしLSDは(当然ながら)違法で、医師から処方されるものではない。そこで彼女は、かなり慎重に「入手先」を探していることを周囲にほのめかし、友人の友人を介して、ある人物にたどり着く。その人物はみずからを「ルイス・キャロル」と名乗った。

 やがて彼女の郵便受けに、小さなコバルトブルーのスポイト瓶が届く。差出人は「ルイス・キャロル」。瓶の中には、「ウサギ穴に落ちる」ためのLSDが入っていた。

 Waldmanの行為が違法であることは誰の目にも明らかである。彼女はマイクロドージングの「実験」をこっそり一カ月にわたり行ったあと、2017年、今度は一転してその模様を書いた文章を大量に印刷して世に公表し、しかも刊行後はかなり注目され、『ワシントン・ポスト』や『ニューヨーク・タイムズ』でも肯定的に評された。アメリカという国の度量の深さ(?)を改めて思い知らされるわけだが、しかしここにはアメリカの薬物政策が抱える「歪み」もまた同時に反映されていたとしたら、どうだろう(そして当然、彼女はその「歪み」に対しても自覚的であった)。

 たとえば、本書の中でWaldmanはこんなことを書いている。

 私の小さなコバルトブルーの瓶に入っているLSDの量はごく微量だが、それでもカリフォルニア州法と連邦法のいずれにおいても、私は逮捕され、所持の罪で起訴される可能性がある。州裁判所では1年から3年の刑に、連邦裁判所では最長6か月の刑に直面することになりうる。
 言うまでもなく、それは好ましいことではない。赤毛にオレンジ色[囚人服の色:引用者註]は最悪に似合わないからだ。ああ、それに、子どもたちや夫にも会えなくなるだろう。とはいえ、すべてを考え合わせても、私はこの実験が犯罪であることに対して、驚くほど無頓着でいた。単なる薬物所持でさえ、この国では薬物密売と同じ熱意で訴追されるということを、私は知っているにもかかわらず。

Waldman, Ayelet. A Really Good Day: How Microdosing Made a Mega Difference in My Mood, My Marriage and My Life (p. 57).Kindle Edition.

 なぜ彼女は、この実験が犯罪であると知っているのにもかかわらず「驚くほど無頓着」でいられたのか。それは一言でいえば、彼女が裕福な白人であるからだ。彼女は続けて次のように書く。

 ドラッグ戦争(War on Drugs)は、刑務所人口の規模を途方もなく増大させてきた。量刑改革を目的とする非営利団体センテンシング・プロジェクトによれば、連邦刑務所の受刑者の実に半数が薬物犯罪で服役しており、また「州刑務所に収監されている薬物犯罪者の数は、1980年以来13倍に増加している」。その圧倒的大多数は、暴力犯罪者でもなければ、麻薬組織の大物でもない。彼らは、昨日の私がしたこととほとんど変わらないことをしただけの、下級の犯罪者たちなのである。
 それにもかかわらず、私は訴追される危険がほとんどない。だからこそ、私はLSDを摂取しているだけでなく、それについて書いてさえいる。なぜか。悲しい事実として、私の人種と階級が、訴追される可能性を低くしているからである。
 『The New Jim Crow』の著者Michelle Alexanderは、私にこう語った。「ドラッグ戦争と犯罪との戦争は、貧しい有色人種を処罰し、管理し、搾取しようとする衝動の、もっとも新しい現れです。この衝動は、私たちがこの国の人種の歴史に向き合う意思をもつまで、何度でも姿を現すことになるでしょう」。

Ibid., p. 58.

 Waldmanは元公選弁護人/法学教授として、違法薬物の所持が刑事訴追の対象になることをもちろん熟知している。それにもかかわらず、自分は白人で中産階級以上の作家であるため、実際に逮捕され、起訴されるリスクは限りなく低いと考えている。

 彼女の指摘するところによれば、アメリカの拘置所や刑務所は、薬物を所持していたことだけが罪である有色人種であふれている。そのうちほとんどの人々は、ヘロインやメタンフェタミン、あるいはその他の依存性薬物を持っていたわけではなく、LSDを持っていたわけでさえない。彼らが所持していたのはマリファナだった。アメリカにおける薬物所持による逮捕の40%以上は、過去一カ月のあいだにアメリカ人の1980万人が使用した薬物をめぐるものなのである。

 この原稿はマリファナについてのものではない。よって本稿では、マリファナが労働者階級の有色人種と結びつけられたことによって彼らが被った甚大な不利益とドラッグ戦争について、これ以上深く立ち入るつもりはない。とはいえ、Waldmanは現代アメリカが抱えるこうした「歪み」について極めて自覚的であり、そのことが本書に単なる備忘録にとどまることのない政治的側面、すなわち、LSDを一律に危険視して研究や治療可能性を封じてきた薬物規制を批判するだけでなく、ドラッグ戦争批判、言い換えれば、特定の人種や階級をターゲットにした薬物取締りの不公正さを批判する視座を与えた。

 ここではさしあたりLSDに話を限定するが、このサイケデリクスが最初にドラッグ戦争の表舞台に現れたのは、1960年代後半、サマー・オブ・ラブの季節であった。ヒッピー・ムーブメントは後期資本主義における大量消費生活に背を向け、各地に自主独立のコミューンが乱立した。ロックンロールのエレクトロニックなサウンドが人々を熱狂させた。この時期に様々な文化が一斉に花開いた。それらはカウンターカルチャーと呼ばれた。そして、その背景には常にLSD——インドール環(C8H7N)に宿る神々がいた。

 LSDは当時のカウンターカルチャーを担った若者たちの政治意識にも影響を与えた、と言われる。反戦運動(当時アメリカは泥沼化していくベトナム戦争の渦中にいた)、フリースピーチ運動、フェミニズム、ブラックパワー、等々……。LSDは若者たちの意識を文字通りの意味で「変革」した。彼らはLSDがもたらす「リセット」作用によって、世界を雁字搦めにしている固定観念や常識といったイデオロギーから一時的に自由になることができた。彼らは世界を相対的に捉える視点を手に入れた。換言すれば、世界を固定的なものではなく可塑的なものとして捉えた。それはとりも直さず、「世界は変えることができる」という信念と結びついた。サイケデリクスは人々の考え方や世界の見え方を変えさせる潜在的力を持つがゆえに、「知的な異議申し立ての触媒」として機能しうる、と指摘したのはテレンス・マッケナだ。

 こうした、カウンターカルチャーにおける「世界は変えることができる」という人々の信念を誰よりも危険視したのが当時の大統領、リチャード・ニクソンであった。ニクソンが、LSDの導師=グルであったティモシー・リアリーを指して「アメリカでもっとも危険な男」と言い放ったという逸話もある(ティモシー・リアリーについては、平凡社ライブラリー版『チベット死者の書 サイケデリック・バージョン』の巻末解説で詳しく書いたので、ここでは割愛する)。

 ニクソンは、サイケデリクスを用いる反戦学生たちを「怪しい薬物を乱用している危険な秩序壊乱者」というイメージに仕立て上げるキャンペーンを通じて、アメリカに今も根を張る「分断」の構造を生み出した。

 その際、ニクソンが打ち出したキャッチコピーこそが「法と秩序」と「サイレントマジョリティ」に他ならない。前者は、不正に対する怒りや抗議の社会運動を、「法と秩序」を侵犯する不逞な暴力犯罪や単なる秩序壊乱行為のように見せる効果を持つ。後者は、「声高な少数者」に対して「大いなる沈黙する多数派」という対立図式をでっち上げ、前者をあたかも公序良俗や社会秩序を脅かす手合いのように見なすよう国民を誘導する。ニクソンは、一国の統治者たる立場でありながら、抑圧的な体制に異論のある人々を騒がしく身勝手な秩序壊乱者の一群に見立て、内心では迷惑がる気持ちを腹に持つ人々の反感やヘイト感情を煽り立てた。かくしてニクソンは、アメリカに(今なお残る)文化的「分断」の構図を作ることで、困難な政局を打開するという戦略を打ち出したのだった$${^1}$$

 1970年、ニクソンは「医療用途がなく乱用の危険性が高い」とされる最も規制の厳しい薬物カテゴリー(スケジュールⅠ)にLSDを分類する米連邦法(規制物質法)に署名した。これにより、LSDの所持・使用・流通のすべてが(現在にまで至る)連邦刑事罰の対象になったわけだが、こうした厳しいLSD規制には上述のような背景があることも加味されなければならないだろう。

第2回へ続く……

脚注

  1. 生井英考『アメリカのいちばん長い戦争』集英社新書、二〇二五、六〇‐六二頁。

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執筆者プロフィール

木澤佐登志(きざわ・さとし)
1988年生まれ。文筆家。
著書に『完全版 ダークウェブ・アンダーグラウンド』、『加速主義 [増補新板]ニック・ランドと新反動主義』、『闇の精神史』、『失われた未来を求めて』、『終わるまではすべてが永遠』などがある。
X:https://x.com/euthanasia_02

著書