梅雨の朝、鏡で体型を気にした私に、夫が何も言わなかった。その沈黙が、昔の私とは違う意味だった。
梅雨の朝、鏡の前に立った。
最近、ジーンズの上にお腹がのっているのが気になる。肩甲骨のあたりも柔らかくなった。冬の間に、確実に何かが変わった。
鏡を見ながら、腹をへこませてみた。
その時、隣の部屋から夫が出てきた。朝ご飯の準備をする音がしていたはずなのに、ふと足を止めたのが分かった。
夫は、私の姿をちらっと見た。
そのまま、何も言わずにリビングに戻っていった。
その沈黙が、妙に心に残った。
婚活中の私なら、この瞬間を全く違う意味に受け取っていたと思う。
「あ、この人も『あ、太ったな』って気づいたんだ」
そしてその後に続く台詞を、脳内で先読みしていたはずだ。「でも何も言ってくれない。優しいのか、呆れているのか、もう興味がないのか」——そうやって、一秒の沈黙を何分も解釈していた。
あの頃の私は、相手の反応全てを「自分への評価」として受け取っていた。
28歳で婚活を始めた私は、常に『選んでもらえるかどうか』という軸で世界を見ていた。
相手の目が自分に向いた時間。向いていない時間。
笑顔の質。返信の速度。デートの誘い方。
全てが「自分の価値」を示すシグナルだと思い込んでいた。
だから、相手が何かをしない時——返信が来ない時、目が合わない時、何も言わない時——それは「拒否」の意味だと感じていた。
100人以上の男性と会った理由は、実績がほしいから、スペックを求めていたから、ではなく、多分こういうことだった。
「この人は私をどう評価しているか」を知りたくて、何度も何度も、新しい相手の反応を試していた。
結婚して6年かかって、そのループから抜けられたのは、ある日ふと気づいたからだ。
「あ、この人は、私の全てを知った上で、それでも横にいるんだ」
相手が何も言わない時、それは「拒否」ではなくて、ただの日常だった。朝ご飯の支度をしていたから、別の考え事をしていたから、または「そういえばごはんどうする?」くらいの軽い気持ちで見ていただけだった。
相手の反応は、決して「自分の価値判定」ではなく、その時その時の「相手の気分」「相手の時間」「相手の視点」だったんだ。
梅雨の朝、鏡の前で体型を気にした私に、夫が何も言わなかった。
その沈黙には、昔と違う意味が含まれていた。
「お前の体型がどうであれ、俺はここにいるよ」
言葉にしなくても、既に知られているもの、既に受け入れられているもの、その存在感。
婚活中の私は、この感覚を全く知らなかった。
いや、言葉にするなら、この感覚を『信じられなかった』んだと思う。
自分の価値は、外見で決まる。言葉で褒めてもらえるかどうかで決まる。相手の反応が全てだ——その前提が、当たり前すぎて、疑いようがなかった。
だから、黙っている人は、興味がない人だと思い込んでいた。
朝日が窓を通して、部屋に入ってきた。
鏡の中の自分は、冬の自分よりも少し丸くなっていた。でも、それは別に悪いことではなくて、ただ季節が変わって、体が変わっただけなんだ。
相手はそれを見て、何も言わない。
その何も言わない沈黙が、昔ほど怖くなくなった。
それは「終わり」ではなくて、「続き」の音だったんだ。
友人が最近、婚活を始めたと聞いた。その話を聞いた時、昔の自分がもう一度浮き上がってくるような感覚がした。
「頑張ってね」と言いたくなったけど、その言葉がどれほど重いものになるのか、ようやく分かった。
頑張ったって、選んでもらえるかどうかは分からない。頑張っても、相手が無言になることはある。
でも、その無言が、いつか「信頼」に変わる日が来る。
結婚6年目の梅雨の朝、鏡の前で、初めて気づいた。
私は、もう「選んでもらう側」ではなくなっていた。
ただ誰かの隣で、一緒に朝日を浴びているだけになっていた。
その変化が、どれほど大きなものだったのか。
同じ婚活の道を歩んでいる人、今も「選んでもらえるか」と鏡の前で考えている人がいたら、このnoteをフォローしてもらえると嬉しいです。
さくらのnoteでは、婚活時代の失敗と気づき、そして結婚後の日常から見えてくる「本当の変化」について書いています。
梅雨の季節、一緒に歩んでみませんか。
