日曜の渋谷ハチ公広場で地下アイドルとデレデレしながら話すようなオッサンには○んでもなるな――承認欲求を搾取される男たちへ――
はじめに 「俺はああはならない」と笑った男へ
日曜日の渋谷。
スクランブル交差点を渡る若者たち。観光客。買い物帰りのカップル。待ち合わせをする学生。外国人旅行者。
そんな喧騒の中、ハチ公広場の一角には、独特の空気が流れていることがある。
簡易的なステージ。
手作りの看板。
カラフルな衣装を着た地下アイドル。
そして、その前に集まる男たち。
年齢はさまざまだ。
大学生くらいの若者もいる。
だが、目立つのは四十代、五十代くらいの男性たちだ。
仕事帰りなのか、くたびれたスーツ姿の人もいる。
休日らしいポロシャツ姿の人もいる。
少し太った人もいれば、痩せた人もいる。
そして、ライブが終わると「特典会」と呼ばれる時間が始まる。
チェキ会だ。
一枚千円、二千円。
地下アイドルとツーショット写真を撮り、数十秒ほど会話をする。
「○○さん!今日も来てくれたんだ!」
「髪切った?」
「この前の仕事どうだった?」
「また来てね!」
その数十秒のために、男たちは列に並ぶ。
そして、自分の番になると。
さっきまで無表情だった中年男性が、驚くほど柔らかい笑顔になる。
「いやぁ、今日も可愛かったよ。」
「この前おすすめしてたアニメ見たよ。」
「今度のライブも行くね。」
「無理しないで頑張ってね。」
デレデレした顔。
まるで恋する少年のような表情。
その光景を初めて見たとき。
正直に言えば、俺は思った。
「うわぁ……。」
「絶対、ああはなりたくない。」
と。
男として終わっている。
人生の敗北者。
承認欲求を搾取される弱者男性。
そんな言葉すら頭に浮かんだ。
だが。
少し歳を重ねると、別の感情も芽生える。
「あの人たちは、どうしてあそこにいるんだろう。」
という疑問だ。
なぜ、日曜の渋谷で。
若い女の子の前でデレデレしながら笑う四十代、五十代の男になったのか。
生まれた瞬間から、そうだったわけではない。
彼らにも、十代があった。
二十代があった。
夢があった。
恋愛もあったかもしれない。
仕事に打ち込んだ時期もあっただろう。
友達と朝まで飲んだ日もあったはずだ。
それなのに、なぜ。
人生の終盤に差しかかった男が、数十秒の会話のために何千円も払い、若い地下アイドルの前で満面の笑みを浮かべるのか。
この問いを、「キモい」の一言で終わらせるのは簡単だ。
だが、それだけでは何も見えてこない。
むしろ危険なのは。
「あいつらは自分とは違う。」
そう思った瞬間なのかもしれない。
第1章 男はなぜ「たった数秒の優しさ」に金を払うのか
考えてみてほしい。
大人の男が、誰かから名前を呼ばれる機会はどれくらいあるだろうか。
職場では。
「この資料、今日中にお願いします。」
「会議室押さえておいて。」
「確認しました。」
家庭では。
「ゴミ出して。」
「お風呂洗って。」
「これ買ってきて。」
友人関係も、三十代を超えると減っていく。
独身ならなおさらだ。
既婚者も、子ども中心の生活になる。
学生時代のように、「お前さぁ」とくだらない話をする機会は減る。
気づけば。
誰からも必要とされていないような感覚になる。
もちろん、実際にはそんなことはない。
働いている。
税金を払っている。
家族を養っている。
社会の一員として役割を果たしている。
だが、人間は合理性だけでは生きられない。
「認められたい。」
「必要とされたい。」
「歓迎されたい。」
そんな感情を持つ。
これは弱さではない。
人間として、ごく自然な欲求だ。
だからこそ。
「○○さん!今日も来てくれた!」
という一言は強い。
名前を呼ばれる。
来てくれたことを喜ばれる。
笑顔を向けられる。
目を見て話してもらえる。
それだけで、人は救われてしまう。
たった数十秒なのに。
たったそれだけなのに。
「また明日から頑張ろう。」
と思えてしまう。
笑うだろうか。
だが、笑えない。
会社で評価されない。
家庭でも感謝されない。
恋人もいない。
友人とも疎遠。
そんな男にとって。
数十秒でも、自分の存在を歓迎してくれる場所は貴重なのだ。
もちろん。
地下アイドル側も仕事でやっている。
プロだ。
笑顔も営業だ。
会話も技術だ。
「○○さん、この前言ってたやつどうだった?」
そうやって前回の話を覚えている。
あるいは覚えているように見せる。
それは接客であり、努力であり、才能でもある。
悪いことではない。
だが。
ここで問題になるのは、「受け取る側」の姿勢だ。
この続きを、次章で書こうと思う。
地下アイドルそのものが悪なのではない。
本当に危険なのは。
自分の人生の主導権を、他人に明け渡してしまうことだからだ。
第1章(後半) 問題は地下アイドルではなく「自分を失うこと」
ここまで読んで、「じゃあ推し活って全部ダメなのか?」と思った人もいるかもしれない。
そういう話ではない。
むしろ俺は、「趣味」そのものは人生を豊かにすると思っている。
野球観戦だってそうだ。
サッカーだってそう。
アニメだって、ゲームだって、旅行だって、アイドルだっていい。
誰かを応援すること。
何かに夢中になること。
日々の生活の中に楽しみがあること。
それ自体は素晴らしい。
実際、「推しがいるから仕事を頑張れる」という人はたくさんいる。
ライブの日まで仕事を乗り切る。
推しに会うために身だしなみを整える。
遠征するためにお金を貯める。
友人ができる。
人生に彩りが生まれる。
これは健全な趣味のあり方だ。
問題は、ある一線を越えたときに起こる。
「推しが人生の一部」だったはずなのに。
いつの間にか、「人生そのもの」が推しになってしまうのだ。
本来なら。
仕事があって。
健康があって。
家族や友人との関係があって。
恋愛があって。
自己成長があって。
その上で、趣味として推し活がある。
これが正常なバランスだ。
ところが、逆転する。
朝起きて最初に見るのが推しのSNS。
昼休みに確認するのも推しの投稿。
夜も配信。
休日はライブ。
給料日にはチェキ。
ボーナスは遠征費。
予定表はすべて推し中心。
気づけば、人生の意思決定のほとんどが「推し基準」になる。
「来週の資格試験、ライブとかぶるな……。」
「まあ、試験はまた受ければいいか。」
「今月ちょっと赤字だけど、推しの生誕祭だから仕方ない。」
「ジム行こうと思ってたけど、配信あるしな。」
「婚活? 今は推しがいるから別にいいや。」
少しずつ。
少しずつ。
人生の優先順位が入れ替わっていく。
本人には自覚がない。
なぜなら、楽しいからだ。
むしろ、「こんなに夢中になれるものがある自分は幸せだ」とすら思う。
しかし、ある日ふと気づく。
三年経っていた。
五年経っていた。
十年経っていた。
通帳の残高は増えていない。
体型は崩れた。
資格も取っていない。
恋人もいない。
友人とも疎遠になった。
何も積み上がっていない。
残ったのは、大量のチェキとグッズだけ。
そのとき初めて、人は愕然とする。
「俺、この十年間、何してたんだろう。」
と。
もちろん、推し活そのものを否定するつもりはない。
問題は、人生の中心軸をどこに置くかだ。
推しは人生を豊かにする“添え物”であるべきだ。
主食ではない。
デザートは素晴らしい。
だが、デザートだけでは生きられない。
男としての人生の土台。
健康。
仕事。
人間関係。
恋愛。
経済力。
教養。
そうしたものを削ってまで推し活をするようになったとき。
それは趣味ではなく、「依存」に変わる。
そして依存は、往々にして本人が一番気づかない。
「俺はちゃんとコントロールできてる。」
「別に生活に支障ないし。」
「趣味なんだからいいじゃん。」
誰もがそう言う。
だが、本当にコントロールできている人は、自分でブレーキを踏める。
今月はお金が厳しいから行かない。
試験前だから配信は見ない。
今日は筋トレを優先する。
恋人との予定を大切にする。
そうやって、推しよりも自分の人生を優先できる。
それができなくなったとき。
黄色信号だ。
いや、もしかすると赤信号かもしれない。
第2章 男の承認欲求ビジネスは、想像以上に多い
そして、もっと怖い話をしよう。
実は、この構造。
地下アイドルだけの話ではない。
世の中には、「承認欲求ビジネス」が山ほど存在する。
ガールズバー。
キャバクラ。
ホスト。
コンカフェ。
ライバーへの投げ銭。
VTuberへのスパチャ。
配信アプリ。
果ては、一部のオンラインサロンですらそうだ。
構造は驚くほど似ている。
「○○さん、来てくれた!」
「○○さん、さすが!」
「○○さんのおかげ!」
「○○さんって優しい!」
そして、お金を払う。
また承認される。
もっとお金を払う。
もっと承認される。
ドーパミンが出る。
やめられなくなる。
もちろん、サービスを提供する側を悪だと言うつもりはない。
彼女たちも仕事だ。
生活がある。
努力もしている。
笑顔を作るのも技術だ。
客の名前を覚えるのも仕事だ。
だから、「騙している」と一括りにするのは違う。
ただし。
受ける側は、構造を理解しておかなければならない。
これは恋愛ではない。
友情でもない。
あくまでサービスだ。
こちらが代金を払っているから成立している関係だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
しかし、人間は不思議なもので。
お金を払えば払うほど、「特別な関係だ」と思いたくなる。
「俺だけは違う。」
「向こうも本当は俺のことを……。」
「営業じゃない気がする。」
そうやって境界線が曖昧になる。
冷静に考えればわかる。
もしお金を払わなくなったら。
その関係は続くだろうか。
連絡は来るだろうか。
休日に会うだろうか。
誕生日を祝ってくれるだろうか。
ほとんどの場合、答えはNOだ。
だからこそ。
勘違いしてはいけない。
お金で買えるものはある。
楽しい時間。
会話。
エンタメ。
癒やし。
元気。
それらは確かに存在する。
だが、「本物の人間関係」だけは買えない。
恋愛は買えない。
友情は買えない。
信頼は買えない。
金銭を介した疑似親密さと、本当の関係性は違う。
ここを履き違えると。
人はどこまでも落ちていく。
実際、人生を壊した人もいる。
借金をした。
貯金を使い果たした。
仕事を辞めた。
家族と縁を切られた。
そういう極端な例も存在する。
もちろん、そこまでいく人は少数派だ。
だが、「自分は大丈夫」と思っている人ほど危ない。
アルコール依存症の人も。
ギャンブル依存症の人も。
最初はみんな、「自分はコントロールできる」と思っていた。
依存とは、そういうものなのだ。
だからこそ、男は常に問い続けなければならない。
「俺は、何を得るためにここにいるんだ?」
「これは人生を豊かにしているか?」
「それとも、人生から何かを奪っているか?」
「もし明日、これがなくなっても平気か?」
この問いを忘れた瞬間。
人生のハンドルは、自分の手から離れ始める。
そして気づけば。
日曜の渋谷。
ハチ公広場。
若い地下アイドルの前で。
財布を握りしめながら。
「○○ちゃん、今日も可愛かったよ。」
そう言って笑う男になっているかもしれない。
それが悪だと言いたいわけではない。
だが、少なくとも。
俺は、お前に一度立ち止まって考えてほしい。
お前の人生の主人公は、本当に誰なのか。
その問いから逃げ続けた先にあるものを。
日曜の渋谷は、ときどき静かに教えてくれるのである。
第3章 推しのために生きるな。自分の人生を生きろ。
ここまで読んで、不快に思った人もいるかもしれない。
「推し活を否定するな。」
「好きなものにお金を使って何が悪い。」
「他人の趣味に口を出すな。」
その気持ちもわかる。
実際、他人に迷惑をかけず、自分の収入の範囲内で楽しんでいるだけなら、誰にも文句を言われる筋合いはない。
地下アイドルが好きでもいい。
アニメキャラが好きでもいい。
VTuberにハマってもいい。
プロ野球選手を応援してもいい。
趣味は人生を豊かにする。
ただ、俺がこの記事で伝えたいのは、もっと根本的な話だ。
「お前は、自分の人生の主人公でいろ。」
ということだ。
推しは、お前の人生を代わりに生きてはくれない。
当たり前の話だ。
だが、人は簡単に忘れる。
推しのライブスケジュール。
推しのSNS。
推しの配信。
推しの生誕祭。
推しのランキング。
推しのイベント。
いつの間にか、自分の時間のほとんどを「誰かの人生」を支えるために使うようになる。
もちろん、応援すること自体は悪くない。
だが。
自分の人生が止まっているのなら、一度考え直した方がいい。
例えば、十年後の自分を想像してみてほしい。
四十五歳。
五十歳。
そのとき、お前は何を持っていたいだろうか。
健康な身体。
十分な貯金。
仕事のスキル。
信頼できる友人。
恋人や家族。
趣味。
思い出。
「この十年、頑張ってきて良かったな。」
そう思える何か。
それとも。
チェキが何百枚も入った段ボール。
昔のイベントTシャツ。
推しのアクリルスタンド。
使い切ったクレジットカードの明細。
「あの頃は楽しかったな。」
という後悔混じりの思い出。
どちらが良い悪いではない。
だが、後者しか残っていないなら。
それは少し寂しい。
人生は長い。
そして、驚くほど短い。
二十五歳は、あっという間に三十五歳になる。
三十五歳は、気づけば四十五歳になる。
「まだ大丈夫。」
「来年から頑張ろう。」
そう言っているうちに、十年なんて一瞬だ。
だからこそ。
推しに会いに行く前に、自分を磨け。
筋トレをしろ。
散歩をしろ。
健康診断を受けろ。
本を読め。
勉強しろ。
資格を取れ。
副業を始めろ。
仕事のスキルを磨け。
恋愛しろ。
友達と遊べ。
家族を大切にしろ。
人生の土台を作れ。
その上で、余った時間とお金で推し活を楽しめ。
順番を間違えるな。
デザートは最高だ。
だが、主食にはなれない。
推し活は人生のスパイスであって、人生そのものではない。
もし今のお前が、推しの機嫌で一喜一憂しているなら。
推しの通知ひとつで気分が左右されるなら。
推しに認知されることが人生最大の目標になっているなら。
一度スマホを置いて、鏡を見てほしい。
お前は今、どんな顔をしているだろうか。
お前は、自分の人生をちゃんと生きているだろうか。
第4章 「孤独なオッサン」を笑う社会は残酷だ
さて。
ここまでかなり厳しいことを書いてきた。
だが。
ここで、ひとつだけ伝えたいことがある。
それは。
あのハチ公広場のおっさんたちを、俺は心の底から笑えない。
ということだ。
二十代前半の頃の俺なら、笑っていたかもしれない。
「キモい。」
「終わってる。」
「男として負け組。」
そう思ったかもしれない。
でも。
歳を重ねると、少し見え方が変わる。
あの人たちも、昔は若者だった。
高校生だった。
大学生だった。
部活をしていたかもしれない。
文化祭ではしゃいだかもしれない。
初恋をしたかもしれない。
失恋して泣いたかもしれない。
就職活動で必死になったかもしれない。
新人時代、怒鳴られながら仕事を覚えたかもしれない。
家族を養ってきた人もいるだろう。
介護をしてきた人もいるだろう。
病気で人生が変わった人もいるだろう。
離婚した人もいるかもしれない。
大切な人を失った人もいるかもしれない。
人は、思った以上に簡単に孤独になる。
仕事だけを頑張ってきた人ほど。
気づけば友達がいない。
趣味もない。
家庭もない。
誰かと話す機会もない。
「お疲れさま。」
「頑張ったね。」
「また会えて嬉しい。」
そんな言葉をかけられることすら、ほとんどなくなる。
そして。
たまたま地下アイドルに出会う。
たまたまライブを見に行く。
たまたまチェキを撮る。
たまたま名前を覚えられる。
「○○さん、今日もありがとう。」
その一言で救われる。
それだけのことなのかもしれない。
だから。
俺は、彼らを単純に見下すことはできない。
人間は弱い。
孤独に弱い。
承認に弱い。
愛情に飢える。
それは誰だって同じだ。
もし環境が違っていたら。
もし人生のどこかでボタンを掛け違えていたら。
明日のハチ公広場に立っているのは、お前かもしれない。
俺かもしれない。
「自分は違う。」
そう思った瞬間、人は油断する。
「俺は弱者男性じゃない。」
「俺は依存なんてしない。」
「俺はもっと賢い。」
本当にそうだろうか。
人は疲れる。
傷つく。
孤独になる。
誰かに認められたくなる。
それが人間だ。
だからこそ。
あのおっさんたちを見るとき。
優越感だけで終わってはいけない。
同情だけでもいけない。
必要なのは。
『あれは他人事ではない』という感覚だ。
「俺も、気を抜けばああなる。」
「だから、自分の人生をちゃんと作ろう。」
そう思えるかどうか。
それが大切なのだ。
日曜の渋谷ハチ公広場。
そこは単なる待ち合わせ場所ではない。
地下アイドル文化の現場でもない。
ある意味で。
現代日本の男たちの孤独と承認欲求が、もっともわかりやすい形で可視化された場所なのかもしれない。
そして、その光景を見たとき。
「気持ち悪い」と切り捨てるのか。
「かわいそう」と憐れむのか。
それとも。
「俺は、自分の人生のハンドルを離さない。」
そう静かに決意するのか。
その違いが。
十年後、二十年後のお前の人生を、大きく変えていくのだと思う。
第5章 それでも俺は、お前に「ああなるな」と言いたい
ここまで読んでくれた人なら、もうわかると思う。
俺は別に、地下アイドルを憎んでいるわけじゃない。
地下アイドル文化を否定したいわけでもない。
推し活そのものを悪だと言いたいわけでもない。
あのハチ公広場にいるオッサンたちを、人間として見下したいわけでもない。
むしろ逆だ。
俺は、彼らの中に「自分自身」を見る。
疲れ果てた会社員。
誰からも感謝されない日々。
年齢とともに減っていく友人。
終わりの見えない仕事。
恋愛の挫折。
結婚できなかった現実。
離婚。
介護。
病気。
孤独。
承認されない苦しさ。
「お疲れさま」と言われることすら少なくなった人生。
そんな中で。
若い女の子が笑顔で、
「○○さん、今日も来てくれてありがとう!」
と言ってくれる。
それだけで救われる気持ちは、たぶん誰にでも理解できる。
だから。
俺は、彼らを笑えない。
だが。
それでも。
それでも俺は、お前に言いたい。
ああなるな。
厳しい言い方かもしれない。
残酷だと思う人もいるかもしれない。
だが、男にはときどき残酷な言葉が必要だ。
なぜなら。
人生は、放っておけば簡単に流されるからだ。
気づけば四十歳。
気づけば五十歳。
気づけば六十歳。
「本当はもっと勉強したかった。」
「本当はもっと挑戦したかった。」
「本当は恋愛したかった。」
「本当は結婚したかった。」
「本当は身体を鍛えたかった。」
「本当は起業したかった。」
「本当は海外に行きたかった。」
そんな「本当は」で人生が埋まっていく。
そして。
現実を直視するのが苦しくなったとき。
人は、誰かの人生の観客になる。
自分で戦うことをやめる。
推しの成功を自分の成功のように感じる。
推しの恋愛に嫉妬する。
推しの成長に涙する。
推しの人生を追いかける。
もちろん、それ自体は悪ではない。
だが。
自分自身の人生が止まっているなら。
それは危険信号だ。
お前は観客じゃない。
お前は主人公だ。
人生の主人公だ。
誰かのライブを見ているだけで終わる人生でいいのか。
誰かのSNSを追いかけるだけで終わる人生でいいのか。
誰かに認知されることが最大の目標でいいのか。
違うだろ。
本当は。
本当はお前も、自分の人生を生きたいはずだ。
筋トレをして、身体を変えたい。
勉強して、頭を良くしたい。
稼げるようになりたい。
好きな女性と付き合いたい。
友達と笑いたい。
家族を作りたい。
旅行したい。
挑戦したい。
誰かに誇れる自分になりたい。
そういう気持ちが、どこかに残っているはずだ。
だったら。
今日から少しだけ動け。
いきなり人生は変わらない。
明日から毎日五時起きしろ、とは言わない。
いきなり年収一千万円を目指せ、とも言わない。
ただ。
スクワットを十回やれ。
十分散歩しろ。
本を五ページ読め。
資格の勉強を十分やれ。
マッチングアプリに登録してみろ。
美容院を予約しろ。
歯医者に行け。
親に電話しろ。
友達を飲みに誘え。
それでいい。
人生は、大きな決断よりも、小さな選択の積み重ねで変わっていく。
そして。
もし推し活をするなら。
胸を張ってやれ。
人生の土台を整えたうえでやれ。
健康もある。
貯金もある。
仕事も頑張っている。
恋愛もしている。
人間関係も大切にしている。
そのうえで、
「俺、この子のライブ好きなんだよね。」
と言えるなら、それは素敵な趣味だ。
誰にも文句を言われる筋合いはない。
だが。
人生を差し出すな。
自尊心を差し出すな。
未来を差し出すな。
お前の時間は有限だ。
お前の金も有限だ。
お前の愛情も有限だ。
それらを全部、他人に捧げるな。
少なくとも、一番最初に注ぐべき相手は。
お前自身だ。
自分の身体。
自分の心。
自分の人生。
まずはそこを満たせ。
その余裕の中で、誰かを応援すればいい。
そういう順番を忘れるな。
おわりに デレデレするな。笑え。そして前を向け。
日曜の渋谷ハチ公広場。
チェキを持って笑うオッサンたち。
昔の俺なら、ただ見下して終わっていた。
今の俺は少し違う。
「人間って弱いな。」
そう思う。
そして同時に。
「だからこそ、自分を律しなきゃいけないな。」
とも思う。
孤独になることもある。
傷つくこともある。
誰かに認められたくて仕方ない日もある。
逃げ出したくなる日もある。
そんなとき。
承認をお金で買うことはできる。
疑似的な親密さを手に入れることもできる。
一時的に心を満たすこともできる。
でも。
最後にお前を救うのは、お前自身だ。
積み上げてきた筋肉かもしれない。
積み上げてきた勉強かもしれない。
積み上げてきた仕事かもしれない。
築いてきた人間関係かもしれない。
愛してくれる家族かもしれない。
自分で選び、自分で歩いてきた人生だ。
それだけは、誰にも奪えない。
だから。
日曜のハチ公広場を通ったら、少しだけ立ち止まってみてほしい。
若い地下アイドルと、嬉しそうに話すオッサンたちを見るかもしれない。
そこで、ただ笑うな。
ただ見下すな。
ただ憐れむな。
「明日の俺かもしれない。」
そう思え。
そして。
「だから俺は、自分の人生を生きよう。」
そう決意しろ。
デレデレするな。
……いや、たまにはデレデレしてもいい。
人間なんだから。
好きなものがあってもいい。
推しがいてもいい。
弱さがあってもいい。
ただし。
最後の最後まで、自分の人生のハンドルだけは離すな。
誰かの人生の観客で終わるな。
お前自身の人生の主人公として、生きろ。
それが、日曜の渋谷ハチ公広場が、俺たち男に教えてくれる、一番大切なことなのだ。
