知らなければ話が始まらない
図書館に行ってトラウマ関連の本を二冊借りてきた。書庫から本が出て来るまでの間、リーフレットの棚を眺めていた。美術館や博物館の展示の案内、区民センターなどで行われる催し物の案内など、さまざまなものが配架されてある中で、アルコール依存、ギャンブル依存などの問題を抱えている人の家族に向けた相談会の案内もあった。ヤングケアラーについて広く知らせるためのリーフレットもあった。そうか最近はこういう案内も一般的になっているのかと思った。わたしがこどもの頃にはもちろんなかったし、通院していた三十代半ば頃でも見たことがなかった。
家族(両親)への怒りと絶望で苦しんでいた十代・二十代の頃に、何らかの相談窓口につながることができていたらどうだっただろうか。
誰かに相談さえすれば、もつれた糸がするするとほどけるようにわたしの家族の問題が解決したとはとうてい思えない。相談したことが両親に知れたらわたしはもっと厄介な状況に巻き込まれただろう。それでも、わたしの家族、わたし個人が抱えている問題について知る、学ぶきっかけにはなったかもしれない。
とにかく、知らなければ話が始まらないのだ。自分に起きている問題が一体何なのか、ことばで言い表すことができなかったら、誰かに話を聞いてもらうこともできないし、インターネットで関連の図書を検索することもできない。
