Photo by
rukaku
”なめらか”さを立体的にしたら仏様?
めずらしく仏像を検索する機会があった。
仏像の展覧会に行かれた方の記事を読んだことがきっかけ。
初見でウットリ。PC画面越しでウットリ。
特に信仰心があるわけでもない。美術品としての鑑賞のつもりだった。
でも、私は感じてしまった。
この穏やかになる気持ちはなんなのか。
なめらか
たおやか
初見でなめらか。表情をなめらかというのは違う?だろうが、存在自体がなめらかなのである。
なめらかな存在なのである。私はなめらかに惹かれている。そしてなめらかに包まれている感じがした。見えないはずのなめらかが見える。
存在がなめらか
いや、なめらかがそこに存在している。
なめらかを3D化にしたら、固めたら仏像? なめらかはつまり仏様?
遥か昔から存在する仏像。皆を穏やかな気持ちにさせる仏像。
でもその気持ちの根源はなめらかだったのでは?なめらかさに惹かれて、なめらかさで穏やかな気持ちになる。
だって昔の人が目の粗い、ざらっとしたものに囲まれていたとすれば、なめらかは異世界であり、憧れであり、ぜいたくだっただろう。
極楽浄土に行くことは、なめらかな世界にいくことだったのでは。
ぱっと思いついた私のなめらかは
とろけるチョコレート
濃厚なクリーム
なめらかな肌
シルクが腕をゆっくりとすり抜けていく瞬間
うーん。実になめらかだ。実に贅沢だ。かるくてふわふわしたものでは出せない魅惑の世界。それに包まれると想像しただけで、ふわーとした気分になる。
まずいな。これからなめらかなものに触れるたびに仏様を感じてしまうかもしれない。私だけ、ガチで八百万になってしまう。(神様じゃないけどね)
