東京裁判と腕時計
今から7-8年前、仲良しの日本人仲間と西ロンドンに中華料理を食べに行くことにした平日の夕飯時のこと。
約束の時間よりもずいぶんと早くレストランに着いてしまった私は、入り口脇のソファでテーブルが用意されるまで待つことにした。ソファの反対の端には、かなりお年を召したイギリス人のおじいさんがこぢんまりと座っていた。どうやら持ち帰りのオーダーができるのを待っているようだった。
「きみは…中国人かい?」
木製の杖を持て余すように手の中で遊ばせていたおじいさんが、しばらくたったところで声をかけてきた。
「いいえ、日本人です」
昔は「どこの国の人間か」という質問に緊張することはなかった。
しかし、今は、この質問には少しドキドキする。それは、911のテロ当時のアメリカで、自分が「かつての敵国に暮らしている敗戦国の人間だ」と思いしらされた経験があるからだ。
あのとき、たくさんのひとやメディアが「第二の真珠湾攻撃だ」と形容した。愛国心がどんどんと強まる中、外国人への殺伐とした感情が目立つようになり、出身国を訊かれるのは怖かった。レストランの予約で「NはナチスのNね」といわれたこともあった。
それはアメリカだけではない。セントラルロンドンから帰宅する地下鉄の中で、泥酔したイギリス人の青年に「おまえ、日本人だろ!俺の大叔父さんはアジアでお前らに殺されたんだ!俺らの国からでていけ!」と絡まれたこともあった。車内の人たちは体中を耳にしていたけれど、あえて割り込んできてくれる人はなく、私は、次の駅で逃げるようにその車両から降りた。
怖かった。
言いがかりなら言い返せる。強盗なら金銭を渡す。でも、敵対国だった事実を責められたら、それは歴史的事実だから。
その地下鉄の恐怖感がまだ鮮明に残っていたから、中華料理屋のソファで「日本人だ」とこたえたとき、同時にからだが強ばった。おじいさんがあの戦争に行っていた可能性は高いし、厳しいことをいわれても仕方ないかな。そう思いながら、身を固くした。
「そうか。日本人か。どうもこのあたりには結構たくさん住んでいるみたいだしなあ」
おじいさんの反応は、まったくもって温和でそこに突然棘が現れるようなこともなかった。
「きみは、トーキョーからかい?」
体はまっすぐに伸ばし、でも語尾のところでちろっとこちらを見る姿に、おじいさんも私と同じように緊張していて、ためらいながら会話をしているように思われた。
そして、私が東京出身だと知ったおじいさんは、シンガポールに駐留していたときに終戦を迎え、そこから軍事裁判の書記として東京に送られたんだよと語った。極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判だ。
私の故郷の、私の知らない時代を知っているひとなんだ。そう思いながら、次の言葉を待った。
「日本人は残虐非道なやつらだって、戦争中、ずっと聞かされてんだ。シンガポールに着いたときにはもう戦局はほぼ見えていて、だから前線を知らなかったし、行かずに済んでよかったと正直思っていたところに、よりによって、敵国の首都だろ?そんなところに行くなんて、とっても怖かった」
おじいさんの目は、少し遠くの、そこにはないものを見ているような顔つきをしていた。
「でも」
おじいさんの目がふたたび私の方を向いた。
そのときにはもう私は両肩をおじいさんにむけて、しっかり聴きますというメッセージを全身から発していたと思う。
「でも、東京に着いて、自分の目で実際にみたのは、貧しくて、でもきちんと行列するような秩序のある人たちで…。ああ、自分もこの人たちも同じ人間じゃないかって思ったんだ」
そこでおじいさんの目は、私を、今を、捉えた。
「だけど、そんなことを日本人に話す機会はこれまでなかったんだよ」
責められるのではないかと体中緊張させていた私は、自分の中側から暖かく溶けていくのを感じていた。思いもかけない話の展開が嬉しかった。
「それはとても貴重なお話をしてくださってありがとうございます。」
アメリカでナチスを持ち出した予約のおねえさんに、ロンドンのあの地下鉄の青年に、私がずっと云いたいと思っていた気持ちが、堰を切って流れ出した。
「歴史は歴史です。事実は変えられないし、教訓として、決して忘れてはならないと思います。そして、私が日本人なのも事実です」
聞いているおじいさんの表情はあくまで静かで変わらない。
「ただ、かつて敵国だったその日本からきた私が、いまこうやってこの国で仕事をし、普通に暮らすことができるのも、それは今が平和だからです。その平和は、あなたのように『実際にそこにいた方』が、恨みを箱の中に納めることでようやく達成できたものだと思うのです。もしあなた方が、恨みを語り継ぎ、呪いとして次の世代に持ち越していたら、きっとそれは叶わなかったと思うのです」
ソファの間の距離は縮まっていた。
「こうやって、直接、そのお話を聞かせていただいたのが私で、本当に光栄です。ありがとうございます」
持ち帰りのおじいさんの料理はもう目の前に置かれていた。
常連らしいおじいさんにウエイターやバーテンダーが会釈しながら通り過ぎて行った。
おじいさんの話はその後アジアから戻ったあとの暮らし、長年連れ添った奥さんが数年前に亡くなったことなどに移った。どちらかといえばそちらの話のほうが長いくらいで、きっと話し相手がいなくて寂しいのだろうなと思っていると、まるでその気持を見透かすように、おじいさんは
「息子夫婦と同居したくないから断り続けている代わりに、夕飯はこうやって一人分の持ち帰りばかりだよ」
と寂しい笑顔で料理の入った袋を指差した。
「さあ、弁当が冷め切ってしまわないうちに帰るよ。お時間をありがとう。お友達との夕飯を楽しんでおくれ」
ゆっくりと杖を使い立ち上がり、白いビニール袋を手に、おじいさんは去っていった。
先に着いていたはずの私がダイニングエリアに用意されたテーブルについた時、もう友達はみんな揃って座っていて、メニューを手に、入り口のところでずいぶん年上の男性にナンパされてたねと冗談をいい皆で笑った。
注文した前菜が運ばれ、私たちが食事をし始めたころ、私は自分の目を疑った。あのおじいさんがダイニングエリアにいる。
あれ、なんで?
ごはんが冷めちゃうからと帰ったはずなのに、と驚く私の姿を確認すると、おじいさんはゆっくりとテーブルへやってきた。
「これは亡くなった妻のものだったんだが」
と古い婦人物の腕時計を差し出しながらおじいさんは続けた。
「僕には息子しかいないし、その嫁なんかより余程キミにこれをもっていてもらいたいと思って取って来たよ。今日の素敵な会話の記念にね」
なんといえばいいのかわからなかった。
いうべき言葉を失って、ただサンキューと繰り返す私をあとに、またおじいさんはゆっくりとダイニングエリアから消えていった。
外国でガイジンとして生きる。もちろん自分で選んでその道を選択したのだから、文句を言うつもりはない。でも、ときどきつらいと思うことはある。
けれど。
ナニ人か、ということを越えて、「ニンゲン」としてハッとするような交流を持てたとき、ああ、外国で暮らしていてよかったと心から感じることができる。
♢
そのデリケートな時計が、一度壊れてしまったことがある。
なんだか引き継いだ時間をおびやかしてしまったようで、藁をもすがる気持ちで、日本に帰省したとき、いつもいく銀座の時計修理屋さんに持っていった。その時計の由来を興奮して話す私をよそに、冷静に時計屋さんはおじいさんの腕時計を分解した。
「だいじょうぶ。ほら」
チクチクチク…。あ、時間がまたつながった。
「古い時計だからね、あなたが他の自動巻きの時計を巻くようにギュッギュッとやっちゃうとネジが悲鳴をあげちゃうんだよ。ちゃんと戻しておいたから、大事に大事に。年寄りと話すように扱ってやらないとね。それと、いい話を聞かせてくれてありがとう」
自分自身も結構な年代物の時計屋のおじさんはニヤリとしながら、私に時計を差し出した。
♢
ジェフリー・アーチャーの「十二の意外な結末」という短編集のなかに、「ブルフロッグ大佐」という作品がある。第二次世界大戦終盤にタイ・ビルマ国境の捕虜収容所で出会った日本人将校とイギリス将校の終戦、東京での軍事裁判そして帰国後の交情を描いているお話だ。
おじいさんとのやり取りの間、私はその話のことを考えていた。初めて読んだときには遠かったビルマ、終戦、そしてイギリス。
でもそういうものが急にみんなぐっと近くなった。
♢
こうして、おじいさんの時計は、いまでも私のジュエリーボックスの中で大事にメッセージを送ってくれている。ときどき、丁寧に巻いて腕につけるとチクチクチク…と鼓動が聞こえる。
なんだかいろんな思いがこみ上げてくる。
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