とても倫理的とは言えない、優しい世界「僕と深夜ラジオ」|エッセイ
僕の趣味を挙げてください、と言われたら、収集するものはメガネとデジタル時計。自分でやるものはnoteと論文。見るものはプロレスと格闘技。
そして、ラジオ。
このなかで一番長く続いているものは何かと聞かれたら、間違いなくラジオである。
特に、芸人の深夜ラジオが好きだ。
「あなたの倫理観は何によってつくられましたか」なんて大げさなことを聞かれても、僕はたぶん、深夜ラジオと答える。
だからこんな、ガバガバな倫理観を持ったデタラメな子ども大人になってしまったのかもしれない。
大抵のことは、まあ笑って見過ごせばいいんじゃない。
僕には、そういうところがある。
深夜ラジオを聴き始めたのは、小学三年生の頃だった。
きっかけは、地元の福島で経験した東日本大震災である。
震災のあと、テレビが見られない時期があった。外で遊ぶこともできなかった。
小学生にとって、テレビも見られず外にも出られないというのは、かなり困る。
仕方がないので、一日中ラジオを聴いていた。
朝から晩までラジオを流して、やることもないから昼寝をする。昼寝をするから、夜になっても眠れない。
そうして僕は、深夜ラジオに出会ってしまった。
夜中のラジオでは、大人たちがずっとくだらない話をしていた。
誰かの悪口を言ったり、自分の失敗を話したり、昨日と言っていることが違ったりする。どう考えても間違っていることを、自信満々に喋っている人もいた。
小学生の僕には、それが新鮮だった。
大人というものは、もう少し完成された生き物だと思っていたからだ。
でも、ラジオの向こうにいる大人たちは全然完成していなかった。
しょうもなくて、間違っていて、それでも楽しそうだった。
たぶん僕が深夜ラジオから教わったのは、「正しく生きなさい」という倫理ではない。
むしろ、人間はそんなに正しくなくても、一緒にいられるということだった。
深夜ラジオは、寛容な世界だと思う。
別に、誰も否定しないわけではない。
むしろ、かなり否定する。
「あいつ嫌いなんだよ」と言うし、「いや、それはお前が悪いだろ」とキッパリ言う。
でも、そのあとにガハハと笑う。
意見を否定することと、その人そのものを拒絶することが、ちゃんと別になっている。
少なくとも、小学生の僕にはそう聞こえていた。
だから僕はいまだに、人が多少めちゃくちゃなことを言っていても、それだけでその人を嫌いにはならない。
「何言ってんだよ」と思いながら、一緒に笑えれば、それで済むことも結構あると思っている。
昨日と言っていることが違ってもいいし、格好悪くてもいい。くだらない失敗くらい、する。
もちろん、人を本当に傷つけてはいけないところはある。
でも、人間同士の会話まで、一言一句を裁判にかける必要はない。
ずいぶん都合のいい倫理観である。
立派でもないし、たぶんかなり雑だ。
それでも僕は、この雑さに何度も救われてきた気がする。
夜中の暗い部屋で、顔も知らない大人たちの声だけが聞こえている。
くだらないことで怒って、誰かをいじって、自分もいじられて、最後にはガハハと笑っている。
とても倫理的な世界だとは思わない。
でも、僕にとってはずいぶん優しい世界だった。
正しくなくても、人とは喋っていられる。
僕は小学三年生の夜からずっと、そのことをラジオに教わっている。
だから今でも、どうしようもなく深夜ラジオが好きなのである。

