「村上RADIO」80年代特集を聴きながら
毎月最終日曜19時からT-FM系列で放送されている「村上RADIO」。
今月の放送は、なんと80年代リクエスト特集。
(お近くの放送局でネットしていれば、多分2月5日19時までは「radiko」のタイムフリーで無料で聴けます!)
春樹さん御本人も、放送内で以下様に述べていたが。
村上RADIO、この番組、普段はリクエストはとってないんですが、
今日は打って変わって、ほぼオールリクエストでいきます。
1980年代、ヒットソング・オンパレード、
村上RADIO史上希に見るベタさで突っ走ります。
とのことで。
――うん、うれしいくらいに、「ベタ」選曲でした。(笑)
「80年代特集」を聴いていて、つくづく思う。
やはり自分にとって、一番純粋に「懐かしい」音楽体感は、80年代に凝縮されている気がする。
――一番、「流行歌」「ヒットチャート」に、ギンギンに興味をもって、「食い入る様に」カラダ中で聴いていた(ってどういう状態?笑)、小・中学生時代が、ちょうと80年代の10年間に収まる自分なのである。
どの曲も知っていたし、全身で「懐かしい!」と、のたうち回るような放送であった。
で、驚いたのが、番組内で(今回は)唯一の、春樹氏自身の選曲が。
カイリー・ミノーグ。
「LUCKY LOVE」。
――春樹氏、まさかのカイリー。まさかのユーロビート。(笑)
いや、多分あえて「ベタ」なものを今回の番組主旨を踏まえて自身のリクエストに設定したのだろうな?とも思うのだが。
それにしたって意外過ぎて、また、のたうち回りました。(笑)
で。
それより更に驚愕したのが。
本日の放送回の最後のナンバーが。
(今放送回、唯一の邦楽曲。というか、この番組で、J-POPがかかるのって、普段からほとんどないです。)
小泉今日子。
我らがキョンキョンの!
それも!
「夜明けのMEW」!!
ええええええええええええ??????
ってなりますがな、そりゃ、もう!
(うれしい悲鳴を上げました。笑)
いや、でもこれにはちょっとしたエピソード(番組内でもリスナーのメッセージからこのエピソードが紹介された)が絡んでいるのである。
この本から抜書き。
(と、言いつつ、私は同エピソードをこちらで読んだのだけど。)
一九八〇年代半ばに、何年かローマに住んでいた。村上龍(さん)が仕事でイタリアに来ることになり、「なんか必要なものがあったら持っていくよ」と親切に言ってくれたので、「じゃあ、日本語の歌のカセットテープがほしいな」と言った。ソニー・ウォークマンがまだ新製品だった時代の話だ、あれこれ五本くらいテープを見つくろって持ってきてくれた。
その中で僕は井上陽水と小泉今日子のものが気に入って、よく聴いた。『ネガティブ』と『バラード・クラシックス』。
『Ballad Classics』とは、87年リリースの、小泉今日子氏の楽曲の中でも、タイトル通り、割とゆったり目の曲をコンピレーションしたアルバムであった。
このアルバムには、「木枯しに抱かれて」も、「The Stardust Memory」のアコースティックバージョンも入っている。
その中で。
「夜明けのMEW」を選んだ、春樹氏に、やはり驚きを隠せない、村上春樹ファンでありながら小泉今日子ファンでもある、アタクシだったのである。
(以上、ラジオ感想文でした!笑)

「村上RADIO」のこの回の最後に、ロシアのプーチン大統領の、ある発言を紹介している。
以下、その部分の聞き書きです。(たびたびスミマセン!)
ニューヨークタイムズの記事によれば、彼(プーチン)は、ウクライナとの戦争で息子が戦士したある母親に、面と向かってこう言ったそうです。
「このロシアでは、年間何万人もの人がアルコール乱用や交通事故で命を落としています。
あなたの息子さんは、ウォッカの飲み過ぎなんかで死ぬより、ずっと意味ある死に方をしたのです。」
――うーん、まったくすごい事を言いますよね。
でもね、こういうのって、巧妙なロジックのすり替えなんです。
だって、ウォッカや自動車は本来、人を殺すために作られたものじゃありません。あくまで付随的な、アクシデンタルな結果として、不幸にして人が亡くなる、という結果が生まれるわけです。
でも、戦争はそうじゃない。
戦争は基本的に、人を殺傷することを目的として、行われる行為です。
そういう、本来は同じレベルに置くべきではない事柄を並べて比較することで、物事を捻じ曲げて、正当化していく。
これは何もロシアだけはでなく、戦争に携わる国の指導者が、しばしば行う「ごまかし」です。
そして彼ら自身はけっして戦場には行きません。
みなさんもそういう連中に言いくるめられないよう、十分、気をつけてくださいね。

*
今回の「村上RADIO」を聴きながら、私も考える。
例えば。
「人、対、人」で、喧嘩が起ころうとしている時。
――それも、「殺し合い」にも発展しかねないような喧嘩なら、尚更。
「やっちゃえ、やっちゃえ!」なんて、けしかけるような人間は、最低だと私は思うし。
そして、そこに(どちら側につくのだとしてもだが、しかし特に「強い」側に)「手を貸す」なんて名目付けて、「一緒になってやっつけてやれ!」なんてやらかすのも、最悪だと思う。
「何とか争い自体を回避できないか。」
ただただ、それに、頭を捻り、知恵を使い、手を、全力を尽くすのが、人としてあるべき姿だろう。
意図していなくても。
「結果的に」だとしても。
――これから起こり得る「ケンカ」の、「やっちゃえ」側に、回ってやしないか?
――「無意識の中で暴力をふるう」ということに、陥ってはいないか。
そういう問いかけは、繰り返し、自分に対してもしていこうと思う。
「私は、一切、戦うつもりはない」
という「ホールドアップ」の姿勢は、はたして「弱い」ということになるのだろうか。
私はそうは思わない。
むしろその「逆」だと思うのだ。
――「力」というものに対抗し得る、唯一の、「オールマイティ」の姿勢とも、それは言えるのではないか?
うまく均衡を保ちながらのその「非暴力」の姿勢こそが、戦いに巻き込まれることを未然に防いでいる(これまで防いできた)部分は、大いにあると、私は思っているからだ。
※カバー画像はお借りしました!
