『ルックバック』(ネタバレあり)存在証明としての「描く」
先日、実写映画『ルックバック』を観てきました。原作の漫画もアニメ版も未見のまま、タイトルと評判だけを頼りに劇場に足を運んだのですが、今このタイミングで観られたことには、何か意味があったように思います。
物語の進み方自体は、じっくりと人物を描くための丁寧な時間なのだろうと感じつつも、序盤から中盤あたりまでは大きな起伏に乏しく、正直どこか退屈に感じる瞬間もありました。けれど観終えてみると、この作品の核にあるのは「あなたは何をしているのか」という、ごくシンプル、けれどまっすぐな問いなのだと感じています。宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』にも通じるものがあり、自分というものを見つめ直させる作品なのだと思いました。
物語の中に、なぜ漫画を描いているのかを問われる場面があります。詳しくは書きませんが、主人公の一人、京本にとって絵を描くことは、人とのつながりそのものなのだと思います。絵を描くこと、絵が上手くなることで人とつながり、さらにその先へも進んでいける。一方でもう一人の主人公、藤野にとっての「描く」は、誰かに認めてもらうこと。自分がここにいてもいいという存在証明なのです。つまり、どちらも人とのつながりを求める行為だと思います。物語が問うているのは、その本来の目的を、いつのまにか見失っていないか、ということなのだと思います。
そしてそれは、私たち自身にも向けられた問いです。今、自分がやっていることは何のためなのか。手段だったはずのものが、いつのまにか目的そのものにすり替わっていないか。
私自身、4コマ漫画を作成しています。始めた頃は、読んでくれた人にほんの少しの安堵感や幸福感、ささやかな喜びを届けられたら、という気持ちがありました。けれど今、それがいつのまにか義務のようなものになっていないか。「やると決めたから、描いている」というだけの状態になっていないか。そう問われている気がしてなりません。
仕事に於いても、与えられた仕事だからとか、今は勤務時間だからといった仕事をこなすことが目的になっていないだろうか。
同じような感覚を抱いたことのある人は、少なくないはずです。『ルックバック』は、創作の本質や人生の目的を見失いかけている人に向けた、静かなメッセージなのではないかと、私は思います。

