トイレでパンを食べていた私に
私はトイレでパンを食べたことがある。
一回ではない。何度かある。
私の人生最大の黒歴史かもしれない。
その時私はどん底にいた。
惨めだった。
でもその時の私は、
まだ知らなかった。
数年後、
私は英語教師になり、
結婚し、
娘を産み、
そして今、
幸せに生きていることを。
・私なんかいなくなればいいの?
母に泣いているところが見つかれば、
さらに怒りに火をつけ、叩かれるかもしれない。
「私がいなくなったら、絶対後悔するんだから!!」
「死んで後悔させてやる!!」
うぇ、うぇ、うぇっ、うぇーーーーーん、、、
小学生の私は奥の部屋に行って、布団に顔を押し付けて泣いた。
・荒れ狂う祖母
祖母はヒステリーだった。
一番小さな時の記憶は、幼稚園だろうか。祖父が大切にしていた分厚い書物を大きな本棚から全て出し、縁側の戸を全開にし、気が狂ったように、外に投げ捨てた。
びっくりした。怖かった。悲しかった。。。
おじいさんが大切にしている本が、バラバラぐしゃぐしゃと庭に散らばった。祖母がいなくなったのを見計らい、一生懸命本を拾った。
ところがそれを祖母に見つかり、怒り狂って罵倒された。
幼い私はおばあさんがとても怖くなっていった。。。
いつ荒れ狂うか分からない祖母。
中学生の時は、皿を数枚投げつけられた。
悲しくて悔しくて、家を飛び出し、夜空の下、畑に転がりながら泣いた。
中学生になると、家に帰りたくなくなっていった。
・暴力のループ
母は祖母の長女。父は婿養子だった。
小さな時の方が祖母のヒステリーは凄まじかったらしい。母が言うことを聞かないと、母の髪の毛をわしづかみにし、引きずり回した。
暴力を受けて育った母親は、怒ると私を叩いたり、飛び蹴りをして私を飛ばした。悲しかったし、悔しかった。
しかし私が成長したある日、私は無意識に母の飛び蹴りをかわした。私はびっくりしたが、同時に喜びを感じた。母も呆然としていたが、私が大きくなり反撃できるまで成長したことに気付いたか、そこから暴力をしなくなった。
・祖母の生い立ち
ある時、私はある事実を知った。それは祖母が小学校低学年の時に、母親を亡くしたということだった。
家に帰ると母親が心臓発作を起こし死んでいて、大泣きしたそうだ。もしかすると祖母のヒステリーは、過去の悲しい体験が元になっているのかもしれない。
その時私は悟った。祖母は可哀そうな人なのかもしれないと。突然母親を亡くして、どんなにつらかっただろうか、、、愛情がほしい時に受けられなかった絶望、、、
同時に私は怖くなった。母が祖母から受け継いだ暴力、この激しい気性を私も受け継いでいて、自分も将来産んだ子どもにこの暴力をしてしまうのではないか。暴力は繰り返す、そんなことを本で読んでいた。
ううん。私は母とは決定的に違う。なぜなら、この事実に気付いている。私は絶対、この負のループを断ち切ってみせると誓った。
・誰か私を愛して!
優しくて大好きだったおじいさん。一緒のお布団に寝て、幼い私が眠りにつくまで、日本昔話を子守歌代わりに毎日話してくれた。
祖父は私を本当に可愛がってくれた、、、
5歳下の弟が生まれてくるまでは。
弟は我が家のアイドルになった。
祖父はまるで母親のように弟を育てるようになった。おじいさんの幸せなお布団は弟に奪われてしまった。
母親は、2歳離れた穏やかで優しい兄と、年の離れた末っ子の弟ばかりを可愛がっているように思えた。
私はだんだん誰にも愛されていないように感じるようになった。
「誰か私を愛してほしい!」
中高生の私は日記をつけていた。そこにはいつも悲痛な心の叫びが記されていた。
・中学2年生。学校を1週間ずる休み。
私はとてもコミュ障だった。
中学生になると街の小学校と一緒になった。8年間、1クラスしかない田舎の小学校で過ごした私は、友だちの作り方が分からなかった。
中学2年生のクラスには仲の良い友だちがいなかった。
「あの子、一人じゃない?」そう見られるのが怖かった。
自意識過剰。
母には体調が悪いと言って学校を休んだ。家族は何も言わず、1週間まるまる休ませてくれた。
私は薄暗い畳の部屋で妄想ばかりしていた。
ここは王国。
王子様がなぜか私を愛してくれて、大切にしてくれる世界。
でも、妄想世界と現実世界を行ったり来たりすることに脳が疲れてしまった。学校に行かないことにもだんだん罪悪感を覚えていった。
「もう一人でもいいや。家で妄想しているよりは。」そこからはずる休みをやめて、学校に行った。結局は登校していると、だんだん友だちができて、クラスで一人になることはなかった。
・理想と現実
私は、自分が完璧でないから、家族からも、同級生からも愛されないのではないかと考えるようになっていった。自己肯定感が低く、いつも自分に自信がなかった。
兄や弟ばかりに注がれていると感じた愛情。それは、私が良い成績を取ったり、リレー選手に選ばれたり、表彰されたり、、、私は頑張ることによってのみ、褒められ、認められているように感じた。その時だけは、私は家族の注目を奪うことができた。
また家族だけではない他者から認められていくことでも、穴の開いた私の心が満たされるような気がした。「もっと、完璧にならなくては」と思うようになっていった。
高校からは街に出た。コミュ障のため、新しい環境はストレスだった。
毎日学校帰りにポテチを食べ始めた。ニキビが増え、体重も増える。私はどんどん醜くなっていった。
理想と現実。このギャップが大きければ、大きいほど、苦しむ。
ありのままの自分を受け入れることができれば、ありのままの自分を好きでいられれば、悩むことはないのに。。。
・高校生、親友と出会う。
運命の神様は、私を救ってくれた。
私は祖母について悩んでいること、母親は兄と弟ばかりをかわいがっているように見えることを恥ずかしく感じ、誰にも言えないでいた。
愛されないのは私が完璧じゃないせい。
おじいさんの愛を私に向けるには、お母さんに愛されるには、友だちに好かれるには、勉強もできて、スポーツもできて、かわいくなって、「なんでも完璧にならなくちゃ!」と思っていた。
つらい気持ちを彼女になら言える気がして、勇気を出して手紙に書いた。
親友は言った。
「何言ってるの?りんちゃんが完璧だったら、私は友達にならないよ!」
「『人』っていう字さ、2画で書くでしょ?片方がなかったら、倒れちゃうんだよ。」
「『人』は完璧じゃないから、支え合って生きてるの。」
「私はりんちゃんが完璧じゃないからこそ、友だちなんだよ!」
私は衝撃だった。完璧じゃないからこそ、友だちだなんて。
私はこのままでいいの?このままの私と友だちになってくれるの?
確かに私も友だちに完璧なんて求めてない。完璧だったら、気後れしちゃう。
この出会いに一生感謝する。私には信頼できる一生の親友ができた。
・人生を決めた本との出会い。
私は英語がずっと大好きだ。高校1年生の時に、『ある本』と出会った。その本を読んでから、「英語を話せるようになりたい」と強く思うようになった。
アメリカの映画を見たり、洋楽を聞いたりするようになった。アメリカ映画ってすごい!迫力もあるし、ストーリーもおもしろい。
俳優さんたちも素敵!洋楽も音の響きがかっこいい!
英語ってかっこいい!!英語が話せるようになりたい!!
ドラマや映画、ホームステイの噂から聞くアメリカ。"I love you."と家族に気軽に声をかけ、ハグし合う文化。憧れた。私も「愛してるよ。」って言われて、抱きしめてほしい。
私はつらい現実から、こう思うようになった。
この場所では私は家族に愛されていなくて、友だちもあまりできないかもしれない。でも、世界に行けば、いろいろな文化やたくさんの人がいて、私を認め、私を愛して、私を抱きしめてくれるかもしれない。
きっと、世界中を探せば、こんな私でもありのままを認めてくれて、幸せに生きられる場所があるはず!
英語を話せるようになって、ここを抜け出し、世界で私の本当の居場所を見つけたい!!
・浪人を決める。人間関係の鎖から逃げ出す。
私は大学に進み、英語を勉強することに決めた。「英文学科」は英文学を学ぶところで英語は話せるようにならないと聞き、一浪して「英語学科」に入ることにした。
これももちろん本当の理由だったけど、、、私はなぜか同年齢の人間関係、学校という場に疲れていた。自分に自信がなくて、深い人間関係づくりから、逃げ出したかった。
私を無意識に縛って苦しめる人間関係の鎖、私を閉じ込める狭い箱の中から飛び出し、何者からも解放され、自由になりたかったんだ。
「英語を話せるようになりたい!」
私にとって、浪人時代は、初めてバイトをして自分でお金を稼いでみたり、初めて英会話に通ったり、自分の目標に向かって精一杯頑張った1年。なぜか苦しかった学校生活で、心が疲れ切っていた私にとって、必要な1年だった。
・東京に出る
私は「英語学科」に無事合格し、東京の寮に住むことになった。
だが結局、私はコミュ障だった。相部屋の子はとても良い子だったが、2人部屋は好き勝手はできないし、心が休まらず、つらかった。
さらには、大学教授の言葉に愕然とした。
「大学は英語を学問として学ぶところです。英語が話したいなら、専門学校に行きなさい。」
え?
一浪して東京まで出てきたのに?
私はパニックになった。
バイトを探してめっちゃお金を稼いで、通訳学校に入り直す?
私は大学に真面目に勉強しに来た。将来のために。
しかし、大学とは私の想像していた学問の場所ではなかった。みんな受験勉強を乗り越えたから、今度はいかに遊ぶかで頭がいっぱいの人だらけに見えた。
1人でファーストフードに入った。トイレに首無し死体が見つかり犯人を捜していますという、等身大のようなポスターが貼ってあった。東京はなんて恐ろしいところかと思った。
寮の屋上で洗濯を干した。田舎育ちの私は「東京には空がない。」そんなセリフが思い浮かび、悲しくなった。広大な田んぼに囲まれた田舎の実家の、地平線上まで一面に広がる青い空が懐かしくなった。
・トイレでご飯を食べる
私は迷走した。
どうしたらよいのか分からなくなっていった。
英語を話せるようにならなくては!
大学に行っている場合ではない。
通訳学校に行かなきゃ!
お金はどうする?
バイトを探さなきゃ!
自意識過剰。
大学の授業時間に近くの駅ビルでご飯を食べようとしたけど、、、
誰かに見られたらどうしよう。。。
授業をさぼっていることがバレてしまう。
学校に行けていないなんて、恥ずかしい。
、、、私はどうしたらよいか分からなくなった。
お腹がすいた。。。
誰にも見られない場所は??
寮にも帰れない。
お腹、すいた。。。
私はトイレでパンを食べた。
誰も来ないような駅ビルの端っこのトイレ。
平日のお昼は、静かだった。
誰が用を足したかも分からない。
ばい菌がうようよしているかもしれない。
便座の蓋を閉めて座ると、
前後左右の壁が高い塀に思えて、
鉄壁の要塞のようだった。
せまい、せまい、箱の中。
ここなら、誰からも見られない。
私の心の要塞。
汚い、臭い。
惨めだった。
つらいよ。
、、、でも同時に、こう思ったんだ。
私はいつか成功する。
成功した時に、笑って言うんだ。
「私にはトイレでご飯を食べた時がありました。」って。
「でも今はこんなに成功しましたし、幸せです。」って。
きっと、誰かの励みになるよ。
そして今、全世界に向かって発信している。
成功はしていないけど、、、
こうやって、笑って話すことができるようになったよ。
うそ。やっぱり、恥ずかしい。
友達にも家族にも言ったことないよ。
まだ公表するのに抵抗を感じてる。
でも、嬉しい。
私はこんな内緒の話をできるまで、幸せになったんだ。
トイレでご飯を食べていた、かよわい私に言ってあげたい。
大丈夫だよ。自分を信じて生きて。
あなたは将来幸せに生きているよって。
・大学中退
私は迷走していた。大学に行っても英語は話せない。
通訳専門学校を探し、情報を集め出した。
大学はどんどん行けなくなってしまった。。。
バイト先を探し始めた。
寮はつらい。共有の台所も行きたくない。お弁当を買って食べる。
誰にも見つからない所を探し、お昼を食べる。
もうどうしたらよいのか分からなくなっていたある日、、、
ハッとした。
びっくりした。
私はなんと無意識に、、、
線路に落ちようとしていた。
(( こわい!! ))
(( 死にたくない!! ))
もう限界だった。
私は死ぬのが怖かった。
痛そうだし。とにかく怖い。
私は勇気がなくて、死ぬこともできないのか?
そうか、、、
私には死ぬのは無理だ。死ぬことより大変なことなどあるか?
だったら、、、
どんなに恥ずかしくとも、私は生きる。
・輝いて見えた母
あの時の記憶はあまりなくて、でも私は実家に電話した。母が東京まで、私だけのために、迎えに来てくれた。
お母さんが、日の光を浴びて、輝いて見えた。
お母さんが、わざわざ新幹線に乗って、私だけのために来てくれた。
私は最高に嬉しかった。心強かった。
・すべてが許されている
家に戻ると、お父さんが、「このバカ娘が。」と言って、ふざけて私の頭をこづいた。おじいさんもおばあさんも何も言わず、いつも通り「おかえり。」と言って優しく迎えてくれた。
怒られると思っていたが、誰一人怒る人はいなかった。
私をただただ心配していた。
全てが許されている。
私はこの事実に驚いた。
私は許されている。
そう、家族は、情けない、ありのままの私を、
ただありのままに、受け入れてくれた。
完璧である必要なんてなかった。
私はただありのままの自分でよかったんだ。
狭い地域には噂する人たちもいただろう。
家族は弱って翼が折れてしまった私を、温かいおうちの中で、外の世界の雑音から守ってくれた。
私がまた元気を取り戻し、外の世界に飛び立てるまで、ただただ温かく温かく守ってくれた。
居場所なんてないと思っていたこの日本に、私の居場所はあったんだ。
家自体は全く変わっていないのに、こんな心のもちようだけで、おうちへの気持ちが変わってしまうなんて。
ここが私の家族なんだ。
ここが私の安心できる居場所だ。
・二浪のコミュ障!人生再挑戦!
そこから人生が劇的に変わることなんてなくて。
突然覚醒して、コミュ障が完治!なんてことももちろんなかった。
現役でけった地元の私大に入学し直した私は、みんなよりも二個上。
大学に行きたくない病が発生しそうになった。正直つらかった。
でも、2年間もふらふらしていた私を一切責めたりせずに、いつも温かく見守り、応援してくれた家族をまたがっかりさせたくはなかった。
背水の陣だった。
なんとか頑張って大学に行き続けた。
そしたら、友だちも彼氏もできた。それが今の夫だ。
教育実習に行ったら、声をかけてもらえて、そのまま母校の講師となった。
もちろん、英語の先生だ。私は英語を使って、お金を稼げるようになった。
でも、実際は、順風満帆ではなかった。仕事はつらかった。大量の仕事に、うつ病になりそうだった。それでも、家族に心配をかけたくはなかった。8年間ほぼ皆勤賞で勤め上げ、結婚退職した。
私の人生は挫折だらけだ。いつもいつも、つらいことはたくさんあった。
でも、私には、心休まるおうちがあった。
私には帰る居場所があった。
ありのままの私を受け入れてくれる私の家族、私の友だち、私の夫。
そして、わたし、私自身。
トイレでパンを食べていた惨めな私。
それでもいいよ。私はどんな自分でも生きていく。
・トイレでパンを食べていた私へ
心からこの言葉を言いたい。
生きていてくれて、ありがとう。
線路に飛び込まないでくれて、ありがとう。
あの時から、ずっとコミュ障だけど、つらいことは度々あるけれど、それでも私は、愛する夫と、愛する娘と、毎日幸せに生きている。
大学で出会った彼は、素敵な言葉でプロポーズをしてくれるよ。ありのままの私を愛し、結婚して何年経っても、いつも楽しく笑わせてくれる。
私は暴力のループに完全勝利した。慈しみ育てている娘は、幼稚園になると、「ママちゃん、私の宝物。大好き!」って、私の真似をして、毎晩言ってくれるようになるよ。私が家族に言ってほしかった言葉を。驚いた。震えた。嬉しかった。
花好きな私は、春には桜を見て綺麗だな~って思う。今の季節は咲き乱れる薔薇の高潔な香りを楽しみながら、地球に生まれてよかったな~って、そんな小さな幸せに喜びを感じながら生きている。
さぁ、トイレの狭い箱の中から、ドアを開けておいでよ。
一緒に、生きていこう。
完璧じゃなくていい。
私はどんなに恥ずかしい自分も愛する。
これからも、ずっと一緒だよ。
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