岡田謙三展を観て考えたこと
目黒区美術館でやってた岡田謙三展を観たのだけど、何かモヤモヤしている(ちなみに毎度のことながらこの画家の事は知らなかった。SNSで知って興味を持って出かけた次第)。つまらなくはなかった。むしろ一枚一枚時間をかけて観れたしセンスの良さも感じたのに何でだろうと考えていた。
展示は大きく戦前と戦後に分かれていた。岡田は戦前はパリに留学し、戦後はニューヨークで活動した。意地悪な見方をすれば当時の最先端を追いかける人だったとも言える。パリ留学中はわかりやすく誰かの影響をうけていますという画風ではない。人物の配置の仕方とか構図は緻密で上手いし、抑制された色や筆致がセンス良くまとまっている感じ。多分誰からも嫌われない絵を描ける人だったのだろうと思う。
ナビ派とは全然違うけど、ゴーギャンの影響があるように思われた(戦後まもなく描かれた『シルク』という作品はゴーギャンの『我々は何処からきたのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか』と横長の画面構成と絵画空間の構造が似ていると思った)。戦後は明らかなマティスの影響が見られた。
戦後渡米してニューヨーク時代は抽象画になる。(ロスコとも親交があったらしい)。画家としては50年代後半から60年代辺りに代表作が多く、チラシやHPもこの時代をメインとして扱っている。もともと原色を使わない作風だったが抽象画になってもそれは変わらなかった。ニューヨークではオリジナリティをアピールするため抑制された色彩を「幽玄」からとった「ユーゲニズム」と呼び好評を博したようだ。
確かに抽象表現主義はどぎつい色が多く、ポロックをはじめ動きの激しいアクションペインティングのような作風が話題をさらっていた。その中で岡田の作風は地味である。自分の個性を残したまま他の作家と差別化を計るのは正しい戦略だと思うが、日本や東洋をアピールして「幽玄」とか言い出すのはあまり好きではない。結局は欧米人の安っぽい「神秘的な東洋」のイメージに乗っかってる感じがするからだ。
会場の解説に岡田は最初抽象が分からなかったと書いてあった。それではどうして抽象画を描き始めたのだろうか?最先端のアートを理解したいから始めたのだろうか?岡田が抽象を描き始める必然が腑に落ちなかったのも今回のモヤモヤの原因である。
晩年の大作『ダブル・ランドスケープ』という作品は完全に大和絵や琳派に着想を得た作品。画面は大きく左右で二つに分かれていて大和絵の山水図を思わせる。左側はほぼ琳派。水の流れを筆触で琳派風に描いてたり、八ツ橋や琳派的な植物が描かれていた。画面全体がコラージュ的に仕上げられ画面全体をオールオーバーに観れるようにも設計してある。破綻の無い見事にまとまった画面。とてもセンスの良い作品。
同時に僕は強烈な違和感を感じた。アメリカでオリジナリティを出すために東洋的な抽象を求めて行った結果、琳派や大和絵みたいになるというのはあまりに安易過ぎないか。しかも豪華で派手な所もある日本画のイメージを「幽玄」や抑制された「侘び寂び」でステレオタイプな日本を表現するのはちょっと政府主導の「クールジャパン」みたいじゃないかと思わずにいられなかった。
基本岡田の作品は「心地良い」。あんまり好きじゃないと思う作品が無かった。それは才能だと思う。ただこれって絵画というよりグラフィックデザインの心地良さではないのかと感じてきたのだ。僕が岡田に抱いた違和感は「違和感が無いことの違和感」なのではないかと思った。僕はアートには「ナンダコレ?」が欲しいのだ。
僕はこの展示を観ながら日本画家の福田平八郎のことを思い出していた。福田は自然観察を深めて行った結果、日本画のアイデンティティを保ちながら抽象に近づき、傑作『漣』のような作品を残している。アプローチの仕方は違うけど抽象画を描きながら日本画に接近していった岡田と結果的に目指していたものは近かったのだろうか?ただ僕は福田作品を観た時激しく心を揺さぶられたけど岡田では正直それを感じなかった。
ただ福田も晩年はグラフィックデザイン化していたように思う。晩年二人ともデパートの包装紙をデザインした事は偶然ではないような気がしている。
ちなみにこの辺のことをマティスの切り紙絵や熊谷守一などと絡めながらChatGPTとトークセッションしていたのだけど、我ながらかなり面白いやりとりだった。
今回の写真1枚目は岡田の『ダブル・ランドスケープ』。他の数枚は目黒区美術館の帰り道に撮った写真(こんだけ絵の事を語っているけど一応写真家なので自分の写真も載せます)。抽象画を観た後、世の中の色んなものが抽象画に見えるのは僕だけだろうか?
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