平行線②
こんにちは。高校5年生です。
前回に引き続きお届けしております。母と口論になってしまったので、反省のために話したこと、思ったことを書き出しているのですが、愚痴っぽくなってしまったら申し訳ございません。
今回も一応お断りしておきますが、内容は明るいものではありません。少しでも「読んで暗い気分になるのは嫌だな」と思われる方は、ぜひ他の方の素敵なnoteを読みに行かれてくださいませ。
さて、帰ってきた私は図書館で借りた大量のハードカバーの本(卒業論文用)を詰め込んだリュックサックを下ろし、内心疲れておりました。しかし、635回目の記事『悪条件が重なる日』でお話しした通り、母は疲れや具合の悪さを見せられることを極度に嫌がります。ゆえにいつも通りを心がけました。とはいえ食事もろくに取っておらず、あまり眠れていない私にそれほど余裕はありません。母が別の部屋に籠っているのを見て、少し休んで夜に備えようと部屋で横になりました。
迂闊でした。横になってすぐ、母が見に来てばれてしまいました。「ゴロゴロして!!」と起こされ、そこから火がついたように、堤防が決壊したかのように母の言葉は止まらなくなりました。
母は感情で話す人なので、話は行ったり来たりします。その場に関係ないこと、昔のことも繰り返し持ち出します。そのためいつも言いたいことを掴むのは容易ではありませんが、言われたことをなるべく短く、6つにまとめました。
・私の一挙一動に傷ついている
正確には「言うことなすこと」だったと思いますが、同じですね。私がやること、言うことは全て母を傷つけているそうです。申し訳ないながら私には自覚がなく、「例えばどういうことですか」と聞いても「それを自分で察して、考えるのが当たり前」と言われたので、関わる時間を減らすぐらいしか解決策が思いつきません。
自分では、割と昔から母の様子に気を配ってきたつもりです。外すことも多いですが、地雷を踏まないように敬語で話しかけたり(機嫌が良いときだけタメ口を混ぜる)、母の機嫌が悪そうなときは先回りしてやって欲しいことを探ったり、距離を取ったりしてきました。それでも「ずっと傷つけられてきた」と言われてしまったら、もう私がここにいること自体が母にとって不快なのだと思うので、手の打ちようがありません。なるべく関わらないようにして、私がなるべく早く家を出るしかないです。
・文通相手に先に「就職活動が終わった」と伝えるのはおかしい
この場に関係ないことではありますが、「私にはありがとうの一言もなかった」と母は怒っておりました。私のペンフレンドから来たハガキに「就職活動終わったんですね。おめでとう」と書かれていたのを読んだのだと思います。私は就職活動を終えると決めた日に、母に報告をしましたし、そのときにお礼を言ったと記憶しているため、なぜ怒られるのか分かりませんでした。母によると、お礼は「言われていない」そうです。
ペンフレンドに伝えた理由は、ペンフレンドから前の手紙で「就活はどうなりましたか?良ければ次の手紙で教えてください」と言われていたからです。就活中もペンフレンドは気にしてくれていたので、「無事終わり、入社先が決まりました」と伝えました。書いていておかしなところはないと思いますが、母としてはお礼を言われていないと認識しているため、自分にお礼を言う前に他の人に報告をしたことが納得できないということでしょうか。音声を録音していたわけではありませんが、言ったと思うんですけどね。言ったときは母も、「ああそう。だから?後のことは自分でやって」みたいな感じで、あまり興味なさそうにしていたので、てっきりそれほど重要視していないものと思っておりました。
・なぜ自分で食材を買って作らないのか
2020年にオンライン授業に切り替わった際、母が「昼食は自分で買って準備して」と言いました。1年間は従っており、毎日もやしやうどんを安いスーパーまで3、4キロ歩いて買いに行き、食べておりました。しかし、毎食作るわけではないので買ったものがすぐ傷んでしまうことと、所持金が全部昼食代に消えてしまい、洋服も文房具も本も化粧品も買えなくなってしまうことから、対面授業に切り替わった頃からは家の食材で使っても良いものを聞いて調理し、食べるようになりました。それでも一応、食べさせてもらっている気持ちがあったので、朝炊いたごはんの残りだけ白おにぎりにするなど、遠慮して食べているつもりでした。
しかしながら、母にとっては「自分が言ったことをやらない」ということで、怒るポイントになってしまっております。「昼食代だけでお金がなくなるから」と話すと、「この間、遊びに行っていたじゃないか、あんなお金が出せるなら昼食だって出せるはず」とのご返答。「この間」というのは4週間前、東京に遊びに行ったときのことです。確かにあのとき、航空機代やチケット代は出せましたが、それはアルバイトをして貯めていたからです。それも、平日の1番運賃が安い時間帯を選び、東京の交通機関も1番安いコースを調べていき、道中で母へのお土産以外は一切何も買わず、家で炊いたごはんをおにぎりにして持っていき、飛行機の中で食べることで食事代を浮かせた結果です。背伸びして、ずっと行きたかった夢を叶えたつもりでした。
アルバイトをして貯めたからだと話すと、「じゃあアルバイトに行けば良い」と返されました。けれども前回書いた通り、母は「昼ごはんや夜ごはんを毎日家と同じ時間に食べられるアルバイトでなければ入れるな」と言っております。深夜や早朝のアルバイトは規則正しい生活が送れないのでダメ、特別な資格も持っていない、伝えた時間より数十分帰りが遅くなると「遅い」と連絡が来るので時間がなるべく不規則でない仕事となると、大学4年の私が入れるアルバイトはそうそう見つかりません。私は支出を変えずにアルバイトを増やすより、支出をできるだけ抑える方が今の私が取れる最善策ではと考えているのですが、私自身も確信は持つことができておりません。
・私は縛ってない
上記の、入れるアルバイトを見つけるのが難しい理由を母に伝えました。すると、「それはあんたが決めたことで、私はそうしろと言ってない」とのこと。確かに言われてはいません。直接「そうしろ」とは言われておりませんが、そうしなかったときに母からマイナスな反応が来るので(夜6時に終わると伝えていたアルバイトを6時半頃に終えたら、「遅かった」と言われるなど)、予防線を張っている状態です。母の許容範囲は明確には分からないので、怒りを買わないよう、何となくここら辺かなと思う許容範囲の内側で生きてきました。それを、「私はそこまで縛ってない」と言われるのは、確かにそれはそうなのでしょうが、「それってアリ?」という気持ちになります。
・昼間からテレビを観ている姿がイライラする
授業が午後2時からだったり、全休の日だったりするときの話です。私は昼食のときに1、2時間テレビを借り、録画した番組を観ることが多いのですが、母にとっては怒りのポイントだったそうです。
私の言い分としては、やるべきことを終わらせた後であり、観る前に「テレビをお借りしても良いですか」と必ず許可を取りに行っており、自分が作った自分の食事を取る時間であるので、迷惑をかけている自覚はありませんでした。母が「ドラマ観るからダメ」と言ったときはテレビは観ずに、ごはんだけ食べて戻るようにしております。
母の言い分としては、「大学生が昼間からテレビなんて観て良いわけないでしょ」とのことですが、正直、どうしてダメなのか分かりません。また「他の家と比べるな」と怒られるかもしれませんが、「昼の空き時間にテレビを観ることを咎められている大学4年生」は私だけだと思います。
我が家は長らくテレビ禁止だったので、テレビを観ることが解禁されたのは最近のことです。「テレビは観られないものだった時代」の方が圧倒的に長いので、母が「好きな番組を好きに観ている私」にイライラするのは分からなくもありません。けれども私には、信じて欲しい気持ちの方が大きいです。
・子どもが親を選べないように、親も子どもを選べない
ヒートアップしているさなかに言われた一言です。私が反論したところ、「親が悪いと思っているんだろう。子どもが親を選べないように、親も子どもを選べない」(実際には方言が入っているので多少きつい言い方になります)と言われました。「私の22年間は何だったの?」とも言われて、何だか、自分が外れくじになったような気がしました。
こういう状態の母と話していると、あったこともなかったことになっていたり、言ったことが急に飛躍したりすることがあり、なかなか建設的な話し合いができません。私も冷静でいられなくなってしまうのでお互い様ですが、「落ち着いてから話しましょう」と言うと「逃げるのか!!」と怒られるのが目に見えているので、言われたら答えるしかありません。本当はお互い気持ちを落ち着かせて、言いたいことをまとめてから話した方が今後に繋がるのでしょうが、母がしたいのはそういうことではないのです。
ここまで愚痴っぽく色々書いてきてしまい、それを薄めるつもりではありませんが、母は四六時中こういう状態であるわけではありません。優しいときもあります。小中学校の頃は毎回授業参観に来てくれましたし、中学のときは毎日お弁当を作ってくれました。優しいときと、手の打ちようがないほどピリピリしているときははっきりと分けられず、ムラがあります。さっきまで笑っていたのに、だんだん声色が変わっていくときもあります。そういうときに「あ、もしかしてやばいかも」と察する力は、昔よりは磨かれました。それでも未だに完全には衝突を避けられていないのが、私の欠点です。
また、私もこうして発信する場があって本当に救われております。小中学生の頃、テレビもラジオも漫画もアニメもゲームも携帯電話もインターネットも触れられる環境になかった頃、私が発信する場はありませんでした。ノートに鉛筆でひたすら物語を綴ることはできましたが、母とたびたび衝突することを誰かに見える場で書く方法を知りませんでしたし、誰かに伝えようともしておりませんでした。怒られても納得いかず、理由を聞いたら家から出される、それが当たり前でした。団地の階段に座って裸足で泣いていた私が見たら、いざとなればアルバイトをしてお金を稼ぐことができ、それでごはんを食べることもでき、何よりあと半年したら家を出ることができる今の私は、なんて恵まれているんだろうと羨ましがると思います。
なんだかんだ言って、私がこの家にいるのは長くて半年です。生まれてからこれまでの22年間よりずっとずっと短いです。大学という居場所もありますし、卒論の完成や卒業単位の取得といった明確なやるべきことがあります。無理なことに神経をとがらせず、やるべきことにだけ淡々と向き合って半年を過ごす、それが1番賢いやり方ではないでしょうか。
母には「もう喋りかけないで」と言われているので、昨日から「台所をお借りしても良いでしょうか」など、必要最小限しか声をかけておりません。口論の後、母はいつもそう言うのですが、大抵しばらくすると言ったことを忘れて楽しそうに話しかけてきます。今回はいつまで話さない期間が続くでしょうか。
小学校・中学校時代は友達がものすごく少なかったので、家族と話さないと本当に誰とも話さない毎日になっておりましたが、今はこうしてnoteに自分の気持ちを勝手気ままに残すことができますし、SNSも始めたので寂しさは軽減されますね。インターネットやSNSに出会ったのはものすごく私の中で考え方が変わったきっかけです。母と口論になった後、Yahoo!知恵袋など相談サイトを検索すると、私と同じような困りごとを相談していらっしゃる方が見つかります。「私だけ」と思ってきたので、そうではないと分かっただけで安心します。
あまり考えすぎると、また神経をとがらせてお腹が痛くなってしまうかもしれないので、この件について考えるのはここまでにします。
こんなに長い文章をここまでご覧くださった皆さんに、感謝申し上げます。
以上、「平行線②」でした。
最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。
また、次の投稿でお会いしましょう!
