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無名な日本人がどうやってカンテラの監督になったのか。

プロ選手でも、強豪校出身でもない。
スペイン語も人脈もないまま、「行けば何とかなる」とスペインへ渡った。

そんな無名の日本人が、街クラブからスタートし、スペイン人選手を率いる監督となり、やがてプロクラブのカンテラへ。

どうやってスペインサッカーの世界に入り、監督として認められていったのか。

これは、何者でもなかった僕がスペインで指導者として歩んできた十数年間の物語。

すべての始まり

今でこそスペインでサッカーの指導者をしている僕ですが、もともと有名な選手だったわけでも、強豪校でプレーしていたわけでもありません。

本当にどこにでもいる、ただサッカーが好きな少年でした。

僕がサッカーを始めたきっかけは親の影響です。

小学校5年生くらいから地元のクラブに入って、本格的にサッカーをするようになりました。

とはいっても、ポジションが決まっていたわけでもありません。

ゴールキーパーもやったし、フォワードもやった。

とにかくボールを蹴るのが好きだった。

それだけだったと思います。

1回戦で負けるような、ごく普通の高校

中学校、高校とサッカーは続けました。

ただ、いわゆるサッカーの強豪校に進学したわけではありません。

高校を選んだ理由も、

「家から近かったから」。

近所の普通の公立高校です。

大会に出ても1回戦で負けてしまうようなチームで、サッカーの世界で名前が知られているような学校でもありませんでした。

そして、そんな環境だったこともあって、僕たちのチームには常にしっかり指導してくれる顧問の先生がいたわけでもありませんでした。

だから練習メニューも、自分たちで考えることが多かった。

「今日は何をする?」

「この練習をした方がいいんじゃない?」

そんなことを選手同士で話しながら練習していました。

今振り返ってみると、これが僕にとって最初の「指導」だったのかもしれません。

もちろん当時は、将来スペインで監督をするなんて1ミリも考えていません。

でも、

どうすれば上手くなるのか。

どういう練習をすればいいのか。

人に何かを教えるとはどういうことなのか。

そういうことには、自然と興味を持つようになっていました。

指導者=学校の先生だと思っていた

高校卒業後、僕はびわこ成蹊スポーツ大学へ進学しました。

この頃には、自分自身が選手として上を目指すという考えはありませんでした。

大学でもプレーヤーとしてサッカーを続けたわけではありません。

当時の僕が考えていた将来は、体育の先生になることでした。

今ならサッカーの指導者にもいろいろな道があることが分かります。

Jリーグのクラブで指導する人もいる。

街クラブで指導する人もいる。

海外へ行く人もいる。

でも当時の僕には、そんな世界はほとんど見えていませんでした。

僕の中では、

「指導者=学校の先生」

くらいのイメージでした。

体育の先生になって、学校でサッカーを教える。

それが一番普通の道なんだろうなと思っていました。

初めて本気で「指導者になりたい」と思った

そんな中、大学時代に地元のクラブチームで中学生年代を指導させてもらう機会がありました。

これが大きかった。

自分で練習を考える。

選手に説明する。

できなかったことが、少しずつできるようになる。

試合を見て、何が良くて何が悪かったのかを考える。

それをまた次の練習につなげる。

やっているうちに、どんどん面白くなっていきました。

そして、

「このまま本当にサッカーの指導者をやってみたい」

と思うようになりました。

ただ、ここで一つ問題がありました。

僕には何もありません。

プロ選手だったわけでもない。

全国大会に出たわけでもない。

強豪校出身でもない。

サッカー界に特別な人脈があるわけでもない。

言ってしまえば、

完全に無名です。

「本当のサッカー」を見てみたかった

大学4年生になり、いよいよ自分の進路を決める時期になりました。

体育の先生になる。

それまで考えていた道をそのまま進むこともできました。

でも、どうしても心の中に引っかかっているものがありました。

一度、本当のサッカーを見てみたい。

そして、

無名の自分だからこそ、どこかで本気でサッカーを学んでみたい。

そんな気持ちが強くなっていきました。

自分には選手としての実績がない。

だったら、指導者として学んだものを自分の武器にするしかない。

今思えば、「自分に箔をつけたい」という気持ちもあったと思います。

じゃあ、どこへ行くのか。

僕の中で出てきたのが、

スペインでした。

グティ、ジダン、ラウールを見ていた少年

昔からテレビでスペインサッカーをよく見ていました。

グティ。

ジダン。

ラウール。

当時テレビの向こうで見ていたサッカーは、自分が日本でやってきたサッカーとはまるで違う世界に見えました。

「このサッカーを、現地で見てみたい」

そう思いました。

そして、見るだけではなく、

「スペインで指導者の勉強をしてみたい」

という気持ちが生まれました。

スペインには指導者ライセンスがある。

だったら、それを現地で取ってみたい。

無名の自分が、サッカーの国スペインでどこまでできるのか。

試してみたい。

ただ、それだけでした。

とりあえず、スペインへ行ってみよう

とはいえ、当時は今ほど情報がありませんでした。

ネットで調べても、

「スペインでサッカー指導者になる方法」

なんて、ほとんど出てきません。

どうやってクラブを探すのか。

どうやって指導者ライセンスを取るのか。

スペイン語はどのくらい必要なのか。

そもそも日本人がスペインで指導なんてできるのか。

分からないことだらけでした。

でも、最終的に出した答えはものすごく単純でした。

「とりあえず行ってみれば、何とかなるんじゃないか。」

今考えると、結構無謀です(笑)。

でも、あの時は本当にそう思っていました。

親に「スペインへ行ってみたい」と話した時も、僕の挑戦を応援してくれました。

もちろん、

スペインに行けばプロクラブの監督になれる、

なんて思っていたわけではありません。

そんな具体的な未来は何も見えていませんでした。

ただ、

無名の自分がスペインに行って、現地の指導者ライセンスを取って、どこまでできるのか。

それを試してみたかった。

だから僕はスペインへ行きました。

スペイン語もほとんど話せない。

現地にサッカー関係のコネがあるわけでもない。

指導者としての実績もない。

もちろん、スペインのクラブに所属することが決まっていたわけでもない。

何もない状態でのスタートです。

そして、この時の僕はまだ知りません。

この「とりあえず行ってみよう」で始まったスペイン生活が、その後10年以上続くことも。

スペイン人の選手たちを率いて監督をすることも。

そして、いつか自分がテレビで見ていたスペインサッカーの世界で、プロクラブのカンテラを指導することになるなんて。

もちろん、想像すらしていませんでした。

無名な日本人が、どうやってスペインのカンテラで監督をするところまで辿り着いたのか。

ここから少しずつ、その話を書いていこうと思います。

次回は、

「スペイン到着。スペイン語もコネもないところから、どうやってサッカーの世界に入ったのか」

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