🍳一人暮らし編⑦|お嬢様は独りを知る
夕方、少し寒いと思った。暖房をつければ済む話。そのはずだったが、寒気は一向におさまらない。
湯を沸かす気力が、ない。
体温計は、38℃を指していた。
動く元気もなく、隣の壁をトントンと叩いてみる。テキパキとシレットはどうやら不在のようだ。
ベッドに横になる。
部屋の静寂がいつもより気になった。
屋敷なら、もう誰かが気づいている。
額に手が当たり、薬が用意され、スープが運ばれているだろう。
「薬も……準備が必要なのね」
水を飲もうとしてコップを持つ。
それだけでも腕が重だるい。
口元まで運ぶ途中に少しだけ手元が揺れた。
「ああっ……」
水がこぼれてシーツに染みていく。
拭く気力もなく、数口飲んでそのままコップを置いた。
冷蔵庫には昨日の肉と卵もあるけれど、焼く気力など到底ない。
「……一人とは、こういうことですのね」
涙は出ない。
ただただ、しんどい。
その日はそのまま眠りについた。
◆
翌朝。熱は少し下がっていた。
台所に立つが、体はまだ重く、
調理をする気は起きない。
冷蔵庫を開けると、視線の先に豆腐があった。
開けて、そのまま食べる。火を使わずに口にできるものがあると、こういう日は助かる。
「……これで十分ですわ」
数口食べてまた布団に入る。
片付けはできなかった。
◆
午後、静かなノックがあった。
「お嬢様?お静かですけど、大丈夫ですか?」
テキパキの声。
シレットはカレンの顔をのぞきこむ。
「熱が出ましたか?」
カレンは小さく笑う。
「……なんとか、一人で過ごせましたわ。
料理も、片付けもできていませんけど」
二人は目を合わせる。
「素晴らしいです」
「初期対応、適切」
カレンは照れくさそうに笑う。
「一人暮らしの自立は、“全部できる”ことじゃありませんからね」
テキパキの言葉にシレットが続ける。
「倒れない範囲でやれることだけやる」
カレンはゆっくり頷いた。
「でも。次にまた熱が上がったら呼んでくださいね」
そう言って二人はお粥を作っていってくれた。
体温38度。強さの証明ではない。
ただ、辛い日の過ごし方を少し覚えた夜だった。
🧺 テキパキ&シレットの一言メモ

辛い日の過ごし方
・動けない日は、無理をしない
・水と食料を手の届くところに置いておく
・食べられるものを、少しでいい
・片付けは元気になってから
テキパキ
「元気な時の基準で動かなくて大丈夫ですよ。
倒れないことが優先です」
シレット
「動く回数を減らすと、消耗も減る。
まずは回復優先」
翌朝。
昨日より、体は軽くなっていた。
起き上がってカーテンを開ける。
静かな部屋で一人お粥を食べる。
食欲も少しずつ戻ってきた。
でも片付けの途中で、また少し息が上がる。
手早く終わらせ、そのまま布団に戻る。
「寝てばかりですけど……
まぁ、こんな日も、ありますわね」
布団の中で、昨日言われた言葉を思い出す。
(倒れない範囲でやれることだけやる)
小さく笑って、目を閉じた。
この部屋で、一人暮らしを始めたばかりの頃を思い出す。
『──屋敷に帰りたい』
そんなことを考えていた日もあった。
でも今は、その言葉が随分遠いことのように思える。
カレンは小さく笑った。
「……少しは慣れましたわね」
─ 完 ─
#お嬢様の一人暮らし
#守られすぎたお嬢様
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