郊外育ちのオタク少女が遠回りしながら「K-POPゆりこ」になるまで
先日、人生2度目のフリーランスになりました。韓国エンタメウォッチャーでライター、ラジオパーソナリティもしているK-POPゆりこです。
最近、お世話になっている編集者さんから
最近、社内の人に「K-POPゆりこって……どんな人?」って聞かれました
と言われました。そうですよね、「何者?」って思いますよね。私が編集者という立場で「J-ROCK健太」とか「HIPHOPレイナ」なんてペンネームを見かけたら、専門分野は分かるけれど、ちょっと依頼するのに勇気がいる。
さらによく考えてみると、いつも記事を読んでくださっている方や、ラジオのリスナーさんにも、私のことをお伝えする機会が全然ありませんでした。
ということで改めての自己紹介をしつつ、なぜ「K-POPゆりこ」という名前で、この仕事をしているのかについて書きたいと思います。
K-POPゆりこは何をしている人?
「韓国エンタメウォッチャー」という肩書きで、K-POP・韓国映画・ドラマをはじめとした、Kカルチャー全般について書いたり、喋ったりしています。平たく言うと、ライターでラジオパーソナリティです。
現在はTOKYO FMで毎週月曜夜9時から「K-Monday Spotlight」をレギュラー出演中。不定期ですが「THE TRAD(TOKYO FM)」「STEP ONE(J-WAVE)」「START LINE(J-WAVE)」「アフター6ジャンクション(TBSラジオ)」などにもゲスト出演しています。誰かとエンタメの話をする、誰かの話を聞く、という行為自体がとても好きです。
ライターとしては2022年から続く「All About News」での連載と「文春オンライン」での日本人K-POPアーティスト特集のほか、Numero TOKYO、リアルサウンド、SPUR、ELLE JAPAN、現代ビジネス、Pen(同不順)などで書いてきました。最近では小学館のPreciousで岡村靖幸さんのインタビュー記事など、日本の著名人の取材も行っています。
そして最近は映画の公開イベントや、試写会トークイベントに登壇する機会も徐々に増えています。とても楽しかったので、そんな機会が増えるといいな。
MTVとスペースシャワーTVと深夜ラジオが親友だった少女時代
ここからは私の生い立ちや、「K-POPゆりこ」という、思わずフッと笑ってしまう名前で活動することになったのか、さらにライフワークについてお話しします。長いので、適宜おやつ休憩を挟むことを推奨します。
K-POPアイドルで言うとSUPER JUNIORと同世代。都会まで電車で20分、されど実家の周りは畑と田んぼとイオンな郊外で育ちました。気を抜くと、たまに訛りが出る「西の人間」です。
DAZNが無かった平成初期、スポーツ好きの父が野球やサッカー中継を見るために、当時珍しかったケーブルテレビを契約しました。その日から私はMTVとスペースシャワーTVという音楽専門チャンネルの夢中に。常にミュージックビデオを横目に宿題を終え、父が帰宅してテレビ画面がサッカーの試合に切り替わると、自分の部屋でラジオを聴きながら図書館で借りてきた本や「りぼん」を読んでいました。
中学で出会ったジョージ・マイケルと、音楽雑誌編集者の夢
中学時代、英語の成績があまりにも悪かったため、部活の顧問でもあった英語教師が「音楽を楽しみながら学んでほしい」とCDを貸してくれました。そこで出会ったのが、ジョージ・マイケル。以来ずっと、私の神です。こうして「英語の苦手な洋楽好き」が誕生しました。
高校時代は「土岐麻子とローリン・ヒルになりたいGIRL」。一面に広がる畑の中、通学用自転車をガシガシ漕ぎながら、知的な都会の女性に憧れる日々を送りました。
思春期の趣味は、今では懐かしいMD(知ってますか?)にお気に入りの曲を集めて編集して、友人に配ること。ルーズリーフに手書きで書いた「お手製ライナーノーツ」を一緒に渡したところ、「面白い」と喜んでもらえたことも、今の仕事につながっている気がします。その頃から「音楽雑誌の編集者になりたい」という夢が生まれました。
韓国エンタメとの出会い、そして「変わり者のオタク」として過ごした学生時代
そして突如ハマった韓国エンタメ。TSUTAYAで借りてきた『猟奇的な彼女』という映画を見たのがきっかけでした。これまで見てきたハリウッド映画や、日本の映画には無い質感と、ぶっとんだ面白さがあり、衝撃を受けました。
上京後に韓国にルーツを持つ親友と出会い、韓国語の勉強もスタート。大学時代のアルバイト先の出版社で、偶然「韓流雑誌」編集部に配属されたのも、運命的な何かを感じます。当時、ヨン様人気はピークを過ぎていましたが、それでも彼が表紙になるとバカ売れしたことを思い出します。
当時、韓国エンタメはまだ若者にとって「年配の人がハマっているもの」というイメージが根強く、少なくとも私の通うキャンパスにおいては、"イケてるカルチャー"ではありませんでした。卒論を韓国映画で書くと宣言したとき、ゼミ仲間の反応は「え、本当にそのテーマでいいの……?」というもの。どんなに流行りの服を買って、髪を明るく染めて擬態しても、確実に私の立ち位置は「変わり者のオタク」でした。
「いつかこの面白さを、老若男女に知らしめたい」
その沸々とした想いが、韓国エンタメの仕事を目指したきっかけのひとつです。
夢見た雑誌編集者になれたのに、韓国留学へ
新卒の就活では行きたかった出版社に全落ち。1年の就職浪人を経て、なんとか、夢だった雑誌編集者になりました。
私が入ったのは志望していた音楽専門誌ではなかったものの、当時の編集長は私の「エンタメへの熱意」を応援してくれました。アーティストの取材案件があれば必ず私を指名し、現場の経験を積ませてくれたことには、今でも感謝しています。このとき培った取材・編集の基礎と、若手の可能性を信じてくれた編集長のスタンスは、今も私の「コア」にあります。
一方、編集者として働く中で、ムクムクと芽生えた気持ち。「韓国エンタメに関わりたい」「韓国語を使う仕事がしたい」。入稿前の忙しい時期も、ほぼ徹夜明けの翌日も、韓国語の勉強は続けていました。今思えば、かなりストイックな生活。
さらに毎週末、タバコの匂いが充満するルノアールで、韓国人の先生から個人レッスンを受けていました。でも、このまま何年続けてもペラペラになる気がしなかった。認めたくありませんが、きっと私は外国語習得能力が低めなんですよね。今でもSNSで「たった半年でTOPIK6級合格しました!」なんて投稿を見ると、眩しすぎて辛くなります。
だから「もう現地に住むしかない」という結論しか出ませんでした。地元の同級生が続々と結婚していく中、憧れだった編集者の仕事も辞め、20代後半で単身ソウルへ語学留学。1年半暮らして、「ペラペラ」とまではいかないけれど「ペラぺ」ぐらいにはなって帰国しました。
韓国エンタメ企業での波瀾万丈すぎる会社員生活がスタート
帰国したきっかけは、ある日「韓国の某エンタメ企業が日本支社のスタッフを探している」という情報が届いたからでした。興味本位で話を聞こうと、ソウル市内の某所でお偉いさんと面談。その後、あれよあれよと話が進み、結局その会社には長い間勤めることになりました。
望んでいた「韓国エンタメ業界」でのお仕事が叶ったわけですが、楽しくもハードでクレイジーな日々。良くも悪くも、ネタだらけの会社員生活でした。noteを20本ぐらい書けそうですが、大半はお墓まで持っていくべきエピソードが大半。当時の同僚たちのことは、今でも「戦友」だと思っています。サランヘヨ。
ジョージ・マイケルの死で、「書かなければ」という勝手な使命感芽生える
ずいぶん遠回りしましたが、なぜ私が「K-POPゆりこ」という名前でライターや話す仕事を始めたのか、について綴りたいと思います。
韓国エンタメ企業に入社して数年経った頃、私は再びキャリアに迷い始めました。あんなに望んでいた仕事に就いたのに、「このままでいいのかな」「もっと別のスキルを身につけるべきでは」……完全にクォーターライフ・クライシスです。
突破口を探して、音楽関係者のコミュニティやマーケターの交流会に顔を出したり、企画塾に通うなど、新しい道を模索していました。
そして2016年12月25日の朝。目覚めていつものようにスマホを手に取ると、Yahoo!ニュースのトップにこんな文字が表示されていました。
「英国歌手ジョージ・マイケルが急逝」
「何これ、悪夢?」頭がクラクラしました。中学時代から憧れていた、一番好きだった歌手の急死。まだ53歳。いつかライブで会えたり、なんならインタビューできる日だって来るかもしれないと、能天気に信じていました。英語もロクに喋れないのに。
現実逃避するように、着替えてメイクをして、近所のカフェに行きました。よりによって、クリスマス当日。有線からは当然のごとく、ジョージの遺した名曲「ラストクリスマス」が流れるわけです。この日だけは「ラ〜ストクリスマス アイ ゲイブ マイハ〜♪」という甘い美声が心底憎かった。私は毎年ハートを捧げてきたのに……辛すぎるよ。カップルだらけの店内で、人目を憚らずオウオウ泣きました。周囲からはどう見たって「クリスマスにフラれた女」。
皮肉なことに、日本の報道はアッサリしたものでした。2009年にマイケル・ジャクソンが亡くなった時とは雲泥の差。数日後、唯一ともいえる、ジョージの追悼コラムに出会いました。筆者はノーナ・リーヴスのボーカル、西寺郷太さん。同じぐらいの熱量(?)でジョージの死を嘆き悲しみ、弔っているのは、この列島に私と郷太さんしか居ないんじゃないか……と再びさめざめ泣いたのを覚えています。
「やっぱりジョージって、日本で過小評価されている」
そこで沸々と湧いてきた感情は、かつて大学生の頃、大好きな韓国エンタメを小馬鹿にされた時の感情と、どこか似ていました。
「ジョージの魅力と曲の素晴らしさを、私も書き残さなければ」
掲載してもらえるアテもないし、文才もない。でも謎の使命感に突き動かされ、居ても立っても居られない。韓国エンタメの仕事をしながら、鹿野淳さん主催の音楽ライター塾「音小屋」に通い始めたのでした。
焼肉屋で「K-POPゆりこ」が爆誕
そんなある日、キャリア迷子時代に知り合った、コピーライターのDさんからこんなアドバイスを受けました。(ちなみにDさん、リナ・サワヤマさんの実兄だと後に知る)
「いま、韓国エンタメ企業で働いているんでしょ?個人で情報発信もしてみたら。今、ここでTwitterアカウント作ってさ。何か面白いことが起こるかもよ?」
「実名アカウントは抵抗あるって?じゃあペンネームを考えるよ……そうだねぇ、K-POPゆりこ!わかりやすくてイイじゃない、それでいこう」
聞いて思わず笑いました。いくらなんでもベタすぎやしないかと。Dさんもワハハと笑っていました。でも、それでいこう、と思えました。
焼肉屋でカルビを炙りながらペンネームが決まり、謎のK-POPオタクのTwitter(現:X)アカウントが爆誕。業務上知り得た機密事項は絶対漏らさないように気をつけながら、自分の見たライブの感想や、韓国映画のレビューを投稿し始めたのでした。あくまで一人の韓国エンタメオタクとして。
そして本当に面白いことが起き始めました。
笑える名前で、面白い仕事に繋がる
その後、いろんなご縁とチャンスがつながり、ジョージへの追悼コラムを書いた音楽家・西寺郷太さんのポッドキャストに出演させてもらうことになりました。郷太さんのポッドキャストをきっかけに、10代から憧れた土岐麻子さんとのお仕事も叶いました。強運すぎるぞ、自分。
そして別の場で知り合った翻訳家さんのご縁で、ラジオ番組のゲスト出演が決まったり、友人の紹介で執筆依頼をもらったり、ゲスト出演した番組のディレクターさんの推薦でTOKYO FMのレギュラー番組が誕生したり……周囲の人たちのご厚意で「K-POPゆりこのお仕事」が少しずつ生まれていったのでした。
運が良かったのはもちろん、信頼できる人に思い切って相談したこと、モヤモヤとした悩みの‟答え”を持っていそうな人に、自ら会いに行ったことが功を奏したように思います。
いろいろ気が済むまでやってみて、一番ハッキリ自覚できたこと
その後、韓国エンタメ企業を円満退社。日本の芸能関連のお仕事や、会社員としてのマーケティング職も経験しながら、気が済むまでいろいろ試しました。そこでハッキリ自覚できたのは、
「やっぱり自分にとって、韓国エンタメが一番面白い」
「ジョージ・マイケルの広報活動も本気でやりたい」
ということでした。
「言語の通訳」というよりも、「カルチャーの翻訳」を目指す
これからも「面白いものを面白いよね」と言い続けていきたい。みんなで分かち合いたい。
韓国での生活経験、そして韓国エンタメ業界で見てきたものをベースに、音楽・映画・ドラマをもっと楽しむための“スパイス的な情報”を提供していけたらと考えています。
さらに「ジョージ・マイケル」「WHAM!」の名前と魅力を広める仕事も、貪欲に探っていくつもりです。どちらも、私の人生を賭けたライフワークです。
長い自己紹介にお付き合いいただき、ありがとうございました。ここまで読んでくださった方は、きっと「面白いものを面白い」と言いたい気持ちを、どこかに持っている人だと思っています。
これからも一緒に、好きなものの話をしましょう。アンニョン!
