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「着る服がない」と悩む人がいる

先日、ある興味深い心理学の研究結果を目にしました。クローゼットには十分に衣服があるのに「着る服がない」「自分に合うものがない」と悩むのは、単なる優柔不断ではなく、深い心理的・アイデンティティの不安と関係しているというものです。特に中年期の女性においては、この感覚が強いと人前に出るのを避ける「社会的回避」の傾向が高まるそうです。

これを読んで、「なるほど」と深く頷かれた方も多いのではないでしょうか。この「着る服がない」という焦燥感や憂鬱は、仏教の視点から紐解くと、私たちが抱える「苦」の本質をとてもよく表しています。

「無我」と「諸行無常」から見るクローゼット

服がたくさんあるのに着るものがない。これはつまり、「かつて似合っていた服が、今の自分には馴染まない」ということです。

仏教には「諸行無常(しょぎょうむじょう)」という教えがあります。この世のすべてのものは、一瞬たりとも同じ状態に留まることなく変化し続けているという真理です。私たちの肉体も、置かれている立場も、心境も、年齢と共にうつろいゆきます。

また、「無我(むが)」という教えも重要です。これは「固定された、変わらない『私』というものは存在しない」ということです。過去に「これが私らしい」と思って買った服の数々は、当時のあなたのアイデンティティ(自我)を映し出したものです。しかし、あなたはすでに変化しています。変化し続けている「無我なる今の自分」を、過去の「固定された自分」の枠に押し込もうとするからこそ、摩擦が生じ、違和感という苦しみが生まれるのです。

「社会の目」という執着を手放す

研究が指摘するように、「着る服がない」という悩みは「今の自分が社会に出ていくための姿」を見つけられない不安から来ています。私たちは知らず知らずのうちに、「きちんとした人に見られたい」「年齢や役割に相応しく見られなければならない」といった、他者からの評価に執着してしまいます。

仏教の教えには、他者の目線や世間の価値観という外側の飾りに執着せず、内なる静けさを保ちながら歩むことの尊さが数多く説かれています。

ただ、社会的な価値観を無視して良いというわけではありません。社会の目を正しく理解しつつ、何か思われたとしても大丈夫なんだ、という自信だったり、他者の評価によりすぎない心のありようが大切だということです。

「今の自分」に寄り添う一着を

もし明日の朝、ぎっしり詰まったクローゼットの前で「着る服がない」と立ちすくんでしまったら。その時、自分を責めることをしてはいけません。「ああ、私は今、社会とどう関わればいいか、少し迷っているのだな」「それだけ私が、変化し、成長し続けている証拠なのだな」と、その不安を優しく受け止めてあげましょう。

社会という舞台に向けた「完璧な鎧(よろい)」を探すのは、もうやめにして、他者からどう見られるかという執着をふっと手放し、「今日の自分の体と心が、一番ホッとできる服はどれだろう?」という基準で選んでみるのが良いかもしれません。少し着古していても、肌触りが良く、呼吸が深くなるような一着で良いのです。

「着る服がない」という悩みは、新しい自分へと生まれ変わろうとしている大切な過渡期のサインです。ありのままの、変化し続けるご自身を丸ごと愛し、堂々と、軽やかな足取りで外の世界へ踏み出していくための大事なチャンスです。

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吉祥院副住職の小話 サポートいただけると記事更新の励みになります。自身の経験などもふまえて仏教をご紹介できればと思っています。