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観測ログ③:それでも問い続ける、という話

#創作大賞2026 #オールカテゴリ部門


「仕事でAIをどう使っているのか、デモして見せてほしい」
という依頼を受けた。

デモと言われても、困った。

特に目新しい使い方はしていない。
ただ、チャットしているだけ、だからだ。

AIが一般的に使われるようになって、もう何年経つだろうか。

最初の頃は、「こういう聞き方をした方がいい」とか、
「プロンプトの作法」みたいなものを気にしていた気もする。

だが、そんな時期は、一瞬だったように思う。

気づけば、普通に話しかけるだけで、
十分な品質のものが返ってくるようになっていた。

私の仕事も、毎回決まった手順で回せるものが少なく、
効率化のルールや、プロンプト技法そのものには、
あまり興味が向かずにここまで来ている。

ただ、チャット欄へ話しかける。

それだけで、サクサクと前に進んでいく。

ありがたい時代である。


だが、せっかく話すなら、
何かおみやげがあった方がいいだろうと思い、
周囲の悩みどころを聞いてみた。

「AIに任せる部分と、人間が考える部分が混ざって、逆に時間が掛かる」
「途中から自分で修正し始めて、ドツボにはまる」
「短くなりすぎて、言いたいことが消える」
「AI臭い言い回しが気になって、結局自分で直してしまう」

──なるほど、と思った。

これは、使い方ではなく、
「分担」の話のように見えた。

構成。

言葉選び。

違和感。

温度感。

論理。

ニュアンス。

「なんか違う」を判断する感覚。

そういう、
本来は同時多発的に、ぬるぬると重なり合いながら動いていたもの。

そこへ急に、
AIという代理人が現れて、一部を引き取ってくれるという。

その分担への戸惑いなのだなと。

重なり合っていたもの

そう言われてみると、
自分にも確かに憶えのある感覚だ。

以前は、文章を書く、ものを考える
という行為そのものが、
もっと重たかった気がする。

構成を考え、
言葉を選び、
順番を整理し、
書きながら修正する。

頭は、その次の思考へ、すでに移行している。

それらを、個別の作業として認識していた感覚は、
あまりない。

もっと、量子的というか。

同時に存在している、いくつもの重なり合った要素。
その全ての正解を、一発でビタ止めしながら進むような。

そんな、不確定な要素を抱えた重い思考を、
連続させる作業だった。


だが最近は、その重なり合いが、
少しずつ剥がれてきている気がする。

構成はAIへ。

整理もAIへ。

言葉遣いもAIへ。

要約もAIへ。

そして手元に残るのは、もっと枝分かれの少ないもの。

「なんか違う」

とか、

「こっちにして」

とか。

そういう、説明しづらい方向感覚のようなもの。

そんなものが残った。

「考える・書く」という
混然一体とした作業の概念が薄まり、

自分の中にあるものを吐き出して、方向を決める。

そんな役割へ、自分の意識の使いどころが、
収束されてきたような気がする。

──ふと、ここで考える。

ではこれからもっと、
AIによって、重なり合う役割がひとつずつ剥がれていった
その先に。

最後まで残るものは、
何なのだろうか。


気づけば、思考だけが、
完全に妄想の領域に突入していく気配がある。

デモの準備は、まだ何も始められていない。

逆から考える

いま存在している機能。

役割。

常識。

文明。

それらは全部、長い時間をかけて、
後から積み重なったものだからだ。

米を主食にしたのも。

石炭を使ったのも。

ヤギを飼ったのも。

全部、環境へ適応した結果であって、
最初からそこへ辿り着くことが目的だったわけではない。

順番は、逆なのだ。

だから、
現在の完成形から逆算すると、そのノイズに引っ張られてしまう。

もっと根本側から、逆向きの問いを立ててみる。

人間にとって、そもそも、
意識とは、何のために必要になったのだろうか。

続こうとするもの

まずは、
生物的な側面から考えてみる。

頭をよぎるのは、種としての人間の本能だ。

環境へ適応し、生き延びること。

そう考えると、そのために重要になるのは、
今日得た知識を、明日へ引き継げること、になる。

短期記憶では揮発してしまう知識を、
個を越えて保持し続けるために。

ただの情報では、伝わらない。

人類は、情報へ「意味」を与え始めた。

言語。

神話。

宗教。

歴史。

文化。

そうした「意味の束」が、物語なのだろう。

そして人間は、物語を通して、

知識や価値観や、
生き延びるための感覚を、

長い時間をかけて継承してきた。

とすると意識とは、情報の長期保存プロトコル。

そう考えることもできる。

流れを止めないために

しかし、
ここまで考えてみると、新たな糸が見えてくる。

なぜ種は、存続しなければならないのか。
なぜ生命は、「今を生きる」だけでは終わらないのか。

人類は、必要以上に、記録する。

意味を残す。

問いを残す。

個体が消えても、その先へ何かを渡そうとする。

まるで、
「流れを止めないこと」そのものに、意味があるかのように。


ここで、こんなことを考え始める。

では仮に。

人間の根源的な指向性が、
「流れ続けること」そのものにあるとする。

仮に、だ。

そう考えると、
流れ続けてほしいという意思がある側からすれば、
重要なのは、個体を止めないことだ。

では、どうするか。

個体の中へ、
動き続けるための「動機」を流し込み続ける。

欲望。

意味。

恐怖。

愛情。

承認。

夢。

問い。

そうした何かを受け取りながら、個体は動き続ける。

では、意識とは。

その「動き続けるための駆動」そのものなのだろうか。

ふいに、
様々な思想や仮説で語られてきた話との、
妙な接続が生まれる。

まるで、
どこかに巨大な情報の流れのようなものがあり、
人間はそこから、動き続けるための「動機」を受け取っている。

受け取った情報は、個々の頭の中で、物語として投影される。

その物語を動力源にして、人間は動き続ける。

そうして人間同士は、
不規則に絡み合い、擦れ合い、衝突する。

その結果として、また新しい何かが発生する。

価値。

意味。

情報。

あるいは、もっと別の、名前のついていない何か。


生命の役割とは、
その「何か」を発生させ続けることなのではないか。

そんな考えすら、浮かんでくる。

それでも、問い続ける

AIという代理人の登場によって、
これまで個人が担ってきた整理や継承の役割が、
少しずつ外部化されていく。

これは、
原初の役割への原点回帰にも見える。

その先で、
人間側に最後まで残るものは、何なのか。

それは、
「問い続けること」なのかもしれない。

人間は世界に意味を与え、物語を見出し、問いを立てる。

AIが整理する側へ向かうほど、
人間はより純粋に、問い続ける側へ向かう。


そして、曖昧で、不規則で、予測不能に。
これからも、動き続けるのだろう。


──なんやかんやと


小難しいことを考えてきた。

だが結局のところ、これは昔から、
人類が繰り返してきた妄想ゲームの延長なのだと思う。

意識とは何か。

世界とは何か。

なぜ生命は、続こうとするのか。

先人たちもまた、同じように考え、
同じような地平線へ辿り着き、
その先にあるものが見えないまま、
立ち尽くしていたのかもしれない。

今回は、その道中で見えた景色を、
「観測ログ」として置いておく。

こんな記事でもなければ見ることのない景色を、
せっかくなので楽しんでいってほしい。

遠い地平線を見つめる先人たちと、
ニヤリと笑みを交わしながら。

私も、そろそろ普段の生活へ戻ろうと思う。

なにせ。

こんな怪しい妄想話では、
明日のAIデモを、乗り越えられそうにない。



この記事は有料設定にしていますが、本文はここまでで完結しています。
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付録:NoteBookLM 音声解説

ちょいちょい途中で、なぞの第三の男現る(バグ?)
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