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自分を生きるための「境界線」|出雲・岡山一人旅 ダイジェスト


今年の春、意を決して19年ぶりの一人旅(2泊3日)に出かけてきました。自分の欲や、しがらみ、自分の感性を抑え込まずに表現することに向き合った主婦の心の解放の記録です。

旅の中で自分を守る境界線を引くことを覚えた私は、相変わらずブレながらも以前よりは一歩ずつ自分の道を進めるようになってきた気がします。

この記事では旅の記録を「境界線」というテーマでまとめました。9700文字超える長さになってますが、記事の下部、太字にした神前で浮かんだ言葉は私自身とても大きな気づきを得られた場面です。もしよければ、ぜひそこだけでも読んでいただけたら嬉しいです。



迷いと葛藤を断ち切る旅へ

4月は結婚記念日と私の誕生日がある。「何か欲しいものある?」と聞かれ「一人旅」と伝えたら、「今もまぁまぁ自由だと思うけど、これ以上自由になりたいんだ」と夫は絶句した。

今まで、「自分だけが楽しんじゃあいけない」と夫や子どもに気を遣い、こそこそと家族に許される範囲内で人生を楽しもうとしてきた私にとって、2泊3日一人旅はかなりの挑戦だった。夫に堂々と一人旅を宣言すること自体が儀式のようなものだった。

一度心を病んだ経験を持つ私にとって、お金は不安から貯めておくより、元気なうちに生きる喜びのために使いたい派だ。どこまで心が自由になれるか試してみたかった。

「日本の神様カード」で一人旅の行き先を検討してみた。スピリチュアリストと思われるのは恥ずかしい、やばいやつと思われたくないという変な羞恥心や不安から、これまではスピリチュアルな感性は隠すか小出しにしかできなかったけれど、もうそんなこと言っていられなかった。物語はここから始まった。


出てきたのは、刀剣の神様・経津主神(フツヌシノカミ)。あなたの目覚めを邪魔しているのは、自分の中の迷いと葛藤。それから未知なるものに対する恐れ」と解説にあった。不要なエネルギーをバサッと切って、本来の自分に戻っていくとイメージした。

日本の神様カード 左から。
ふつぬしのかみ
あめのみなかぬし
あまてらすおおみかみ

カードを引いた翌日、たまたま見かけた名古屋のお初の神社「春日神社」をお参りしたところ、看板にフツヌシさんの名前があって驚いた。



その日の午前中は、熱田神宮の八剣宮をお参りしていたのだが、手を合わせると、御帳(白い布)が、勢いよくバサッとこちら側にめくれあがって、またバサッと引っ込んでいかれた。え、今日激しい。と、ただならぬ空気を感じた。

調べると、スサノオがヤマタノオロチを討った剣の霊力が「フツヌシ」で、ヤマタノオロチの中から出てきた宝剣が熱田神宮に祀られる「草薙剣」だと知った。

さらにその翌日は、空を見上げると、鋭い牙を見せて口を開けているヤマタノオロチの頭のような雲を見た。オロチは「もっと良い母、良い妻でいるべき」「正しくあるべき」「ちゃんとお金を稼ぐべき」……八つでは足りない恐れやエゴの象徴だと直感した。

「あるべき理想」「こう見られたい私」が頭の中に無数にあって、現実とのズレに葛藤して苦しんできた自覚がある。

そういう迷いや葛藤を断ち切り、本当の私を生きるサポートをしてくれるのがフツヌシさんなのだと理解した。揺るぎない「内側の宝剣」にたどり着くために、私はフツヌシさんの力を借りて「外側の剣」である行動力と決断力を育てていく。そこが今まで弱かった自覚がある。

行きたい神社、場所を検討して、出雲と岡山を巡る旅にすることに決めた。

いざ出発


名古屋から出雲へ向かう夜行バスは満席だった。隣は少し年上のサラリーマン。隣が知らない男性というのは緊張する。ビジネス席だけについている半身の仕切りだけが私を守る頼りだった。

0時のサービスエリアを過ぎるまでは消灯されず、シートを倒せなかった。
一番前で、隣とも仕切りがあって、周りの人の動向がわからないから不安。後ろの人に倒しますよの一言が言えず様子を伺った。そういうとこあるんだよなぁ。チキンな自分を感じた。

途中のサービスエリアでトイレに立つとき、隣の寝ているサラリーマンの足を跨ぐことになってしまいドギマギした。今思えば声をかければよかったのに、跨ぐなんてどうかしていた。休憩が終わるとようやく消灯されて、なんとか秘密兵器のカイロで体を温めて眠りについた。

緊張で不眠気味ながら朝を迎え、二階の先頭の車窓から見えた素晴らしい宍道湖ビューに歓喜!


一人を噛み締めてテンションが上がる。
少しの緊張を抱えたまま、バスは朝7時半、肌寒い出雲市駅へ到着した。


出雲編:ありのままの私の許可と境界線

出雲大社の参拝は、まずは稲佐の浜からスタートした。



少し雨を纏った弁天島が神々しかった。


祀られていた豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)は、夫に本来の姿を見られてしまったことで海へ帰った神様だ。「自分自身の境界線」をはっきり持ち、自分にとっての真実を守る姿は、今の私のテーマにぴったりだった。

砂浜に座ると波の音に心のトゲが溶けていくようだった。「私の中に溜まった悪いものをすべて流してください」と思ってみた。

海鳥が一羽飛んできて、波打ち際から波乗りを始めた。


浜でお砂をいただき、持参した袋に入れた。人がいなくて心細い中「神迎の道」を探す。


いよいよ出雲大社へと向かった。


まず参道にある祓社(はらえのやしろ)へ。


ここで手を合わせた時に、自分が名乗るより先に「よく来ましたね」と優しい声がした。瀬織津姫さんだと思った。妄想だよと言われたら反論できないけど、自分の中では真実。嬉しかった。

ようやく本殿へ。

出雲の参拝ルールである、2礼4拍手1礼し、心の中で「愛知から来ました」と唱えた瞬間、頭の中に響いた声は一言。

「パジャマ」

うっ、と面食らった。これが神様のお告げならシュール過ぎる。

「はい。パジャマです。すみません。朝寒かったからこれになってしまいました」
一人うすら笑いした。

本殿の真裏にあるスサノオさんを祀る「素鵞社(そがのやしろ)」では、背筋がスッと伸びるような清々しさを感じた。

「熱田神宮の草薙剣のご縁から、フツヌシさんをめぐる旅をしています」と告げると、強めの風が吹いた気がした。

そして、浜で持参したお砂を手に、いよいよお砂交換だ。ここでも私のエゴが首をもたげる。

「今誰かが持って来たばかりのお砂は嫌だ。なるべく長く納められていた神聖なお砂がいい!」

スコップを持ちながら箱の中をじっくり見定め、奥の方の砂をすくう私。

とそこにやってきた隣の女性は、指一本分くらいの小瓶のフタをさっと開けて、迷いなく砂を納めると、近くの砂をさらっとすくい、ふわっと去っていった。なんて素敵なプロの参拝だろう……。素敵すぎて、自分が急に卑しく思えた。

参拝後は、「おいしい出雲そばとぜんざいを食べたい」という執念から、お店を二軒ハシゴして「出雲そばとぜんざいのセット」を一日に二度注文するというやりたい放題を敢行した。


荒木屋さん

みずみずしいお蕎麦と優しいぜんざいの甘さに大満足でお腹を満たしていた私は、ある決意をしていた。

この旅の間、家族への逐一の連絡を思い切ってやめよう。それは冷たさではなく、誰かのエネルギーを取り込まず、自分の感性に100%集中するための「境界線」だった。

おいしいものを食べても、きれいなものを見ても、「一人だけで楽しんでいていいのか」という気持ちがどうしても上がってきてしまう。そして罪悪感でモヤモヤしてくる。せっかくの一人旅なのだから、そういう呪縛をバサッと断ち切りたかった。贅沢なハシゴを楽しめたのも、この境界線のおかげだと思う。

(因みに、蕎麦ハシゴを家で事後報告すると責められるどころか笑いが取れた上に尊敬もされた気配だった。意外すぎる反応で嬉しかった)

お腹いっぱいで歩いていると、普段からの迷いの多さとか、どんくささとか、どうしようもない自分のネガティブな側面が次々頭の中に浮上してきた。

神聖な地に来たからといって、清らかな気持ちになるとは限らないのだ。自分の駄目さ、醜さ、卑しさが止めどなく浮かんでくることを、私はただ受け入れていた。むしろ、手放すために、こうしたドロドロした気持ちが浮上してきているのだと受け入れた。



夕方「ばたでん」に揺られて出雲市駅に戻り、ホテルへ。狭いシングルの部屋を閉め切った瞬間に、ものすごい解放感が満ちてきた。なぜか泣きそうになる。パソコンを開いて憧れのノマドワーカーごっこを楽しんだ。

その後、駅前の温泉に浸かった。鉄分をたっぷり含んだお湯だった。ヤマタノオロチを表しているといわれる斐伊川に沈む砂鉄が「草薙剣」のメタファーだと言われるらしい。熱田さんで草薙剣を普段お参りしている私が、この鉄色のお湯に浸かることは、暴れるエゴ(ヤマタノオロチ)の奥にある、ゆるぎない宝剣の存在を感じさせてくれる儀式のようだった。

しかし、混み合う脱衣所で、またエゴの迷いが出る。ポケットの多すぎるリュックから化粧水が見つけられない。いつも「必要最小限」が分からず荷物が増えてしまう私。この身の回りの重さは、そのまま私のエゴの重さだと思った。「もっと身軽になりたい!」と切に願いながら、私はノーメイクのまま、居酒屋へと向かった。



本当は、「飲み屋のカウンターで一杯」なんて緊張する。ドキドキしたけど挑戦したかった。日本酒発祥の地で日本酒を呑まずに帰るわけにはいかない。翌日に響かないようにしたくて、おちょこでの3種飲み比べをあきらめ、「やまたのおろち」というお酒を1合注文した。


私の右隣りには、ものすごく話しかけて欲しそうなオーラを放つ男性がいた。おしぼりでペンギンを作る人を久しぶりに見た。「かわいいですね」待ちをされているような気がした。以前の私なら相手の意図を察して話しかけていたかもしれない。けれど、この時の私は「話しかけないでおこう」と決めた。「心を許したらころされる」そんな変な言葉すら頭に浮かんでいた。前世の因縁?笑

一人旅の心地よさを守るために、静かに心の境界線を引いた。それが自分の中でその時できるベストな選択だった。

海鮮丼を食べ終える頃、角にいた私の左向いに、一回り年上の60代の男性(以下、一回りさん)と、二回り年上の70代の男性(以下、二回りさん)が相次いで座られた。

二回りさんが、「このお酒あんまり口に合わなかったな。やっぱり奥出雲が間違いないよ」と大将と話していた。
「やまたのおろちも、なかなかいいですよ」と大将。すかさず私の隣の一回りさんが、「これ、やまたのおろちですよ」とお話されたので、「私もです!」と会話の輪に飛び込んだ。

ここからの時間が、私にとって楽しくもあり「境界線」の実験場でもあった。二回りさんは「せっかくだから3人で飲みましょうよ」とおすすめの「奥出雲」や美味しいおつまみを次々と分けてくださった。



3種飲み比べを諦めた私は、結局ありがたいことに5〜6種ものお酒をいただくことになり「わぁ!いいんですか!」とうれしくて喜んで素直に甘えた。でも一方で隣の一回りさんは、「ごちそうになってばかりでは悪い」と、すぐに別のお料理やお酒を頼み返していて、イーブンな関係を保とうとしていた。私はといえば、お酒の楽しさと「早く帰らなければ」という焦りの間で、自分から追加注文してお返しするタイミングを逃してしまっていた。

私はもう大丈夫です、と一度、二回りさんのお酌をお断りしたとき、少し寂しそうな顔をされた気がして気になり、次のお酌はありがたくいただいた。しかし一回りさんは、「今は何でもハラスメントになりますから」と、笑顔ながらも「お酌は自分でお願いしますね」と、境界線を守っておられた。

私は「次の日が早いので」と一足早く席を立ち会計を済ませた。一回りさんから、「(二回りさんに)しっかりお礼を言ってくださいね」と強めに促された。私は本当にありがとうございましたとお礼を申し上げた。二回りさんは、「さみしい夜が楽しくなりましたよ。こちらこそありがとうございました」とにこやかに言ってくださった。

二回りさんの優しい笑顔にほっとしつつも、一回りさんのちょっと強めの言葉は私の中で、時間が経つほどに心に深く刺さる感覚があり、なかなか消えなかった。多分、一回りさんの中でも、「あの女性、全然支払わなかったな」もしくは「言い過ぎたな」と、なんらかのモヤモヤをしばらく抱えていたのかもしれない。人間関係において相手に何か消化できない思いを持っていると、その思いは見えなくても響き合うものじゃないかなと思う。

その後1週間ほど経つ頃、私は古代ハワイの英知「マナカード」の「アヴァ」というカードのことを思い出していた。「供物か生贄か」を意味をするこのカードは、相手が見返りを求めていると思えば返さなければいけないけれど、純粋な贈り物であれば、ありがとうで十分だと教えてくれる。

マナカード アヴァ(供物か生贄か)

二回りさんのあの笑顔は、見返りのない純粋な贈り物だった。そう確信できたとき、自分の「ありがとうございます」に、ようやく納得できた。同時に、「受け取ったらちゃんとお返しする」「お酌はしない」という一回りさんの誠実な境界線の引き方も、また深い学びだった。

見返りを期待されていると感じると、受け取ること自体が怖くなる。だからこそ、すごく話しかけて欲しそうだった右隣さんには境界線を引いたのだった。

優しく境界線を飛び越えて交流してくださった二回りさんと、誠実な境界線をしっかり見せてくださった一回りさん。

一回りさんも二回りさんと同じ気持ちだと思い込んでいたので、別れ際まで一回りさんの気持ちに正直気付けていなかった。だから意外な反応にモヤモヤが残ったのだが、とても勉強になった。「境界線」を学ぶためのものすごく完璧な神の采配だなと感じた。

知らないお兄様たちと居酒屋で日本酒を飲んできた高揚感で満たされていた。

ホテルに帰って、自分がノーメイクだったことを思い出す。そもそも外見の境界線を作らず、無防備すぎた私だった。

岡山編:魂の個性を守る境界線

翌朝、案の定二度寝して危ないところだった。

普段は考えられないような光の速さで支度し、駅へと向かった。改札で切符を発券した瞬間、帰りの新幹線の日付を二度見した。間違えて翌日の夕方の新幹線を取っている。幸い変更は一回まで可能だ。このミスのおかげで、帰りの新幹線の時間に縛られずに動ける安心感が手に入った。「すべてはうまくいっている」。飲み過ぎてお腹を壊していたけれど、私のメンタルは無敵だった。


日曜の早朝6時半の「やくも」の私の車両には誰もいなかった。優雅すぎる。普通なら、これから朝風呂や朝食をゆっくり楽しむ時間だろう。でも私は独自のスケジュールでいいのだ。「みんなと違っていてもいい」をまた自分に確認した。それが心地いいと感じられたのは少し成長だったのかもしれない。

ヤマタノオロチに見立てられているという斐伊川を通過しながら、暴れるエゴを手懐けたいと祈った。


車内から、30年ぶりに大山を眺める。昨夜、一回りさんが「大山って、伯耆大山(ほうきだいせん)って言うらしいですね」と教えてくれた言葉が蘇る。フツヌシさんを祀る春日神社に訪れた時、神主さんが「ほうき(箒)」で神前を掃除していた光景と繋がった。「伯耆(ほうき)」と「箒」の語源は、古語の「ハハキ」。地面を撫でることで悪いものを払う儀式の意味があるという。30年ぶりの大山の景色は、私の過去を清算する「お祓い」の瞬間のようだった。

途中、米子駅のホームでは、行きの夜行バスの隣の方に酷似した男性を見かけた。一回りさんに出会えたことで、私の中に新しい想像力が芽生えた。

「知らない男性が隣で怖い」と、私は一方的に警戒の境界線を強固にしていたけれど、あちらだって、「痴漢と間違われたら人生が終わる」そういう危機感をもって境界線を守っていたのかもしれない。一方的な被害者意識を恥じ、「サラリーマンと呼び捨てしてごめんなさい、サラリーマンさん」と心の中で頭を下げた。

岡山駅では、香水の漂う素敵なお兄さんからレンタカーを借り、山の中にある神社を目指して車を走らせた。

解放感の中で、ふと思った。かつて他者に対して自由に開いていた心の扉を、私は結婚を機に閉ざしてしまったのかもしれないな。「妻として、母として、境界線を絶対に守らねばならない」と自分をガチガチに縛り、いつの間にか心まで苦しくさせていた。けれど、日常で感じるときめきや自由な心まで滅する必要はなかったはずだ。香水のお兄さんいい匂いって喜んでいたってなんの罪もないはず。

境界線を引いて自分を守る世の中であったとしても、心はどこまでも自由でいい。そんなことを考えていた。



「石上布都魂(いそのかみふつみたま)神社」に到着すると、駐車場は満車。お祭りの赤い旗が立っていた!


お祭りだったため、参拝後は境内でお寿司やお茶をいただけた


神様に歓迎されている!とワクワクした。授与所でお姉さんのアドバイスをもらいながら、「攻め(必勝)」の赤と、「守り(護身)」の青、二種類の剣のお守りを授かった。


本殿でのお参りを済ませると、15分ほど山登りした先にある本宮を目指した。これが、なかなかの山道。

ようやく境内へ辿り着いたその瞬間、あまりのタイミングに息を呑んだ。神主さんが、大幣(おおぬさ)をバサッバサッと左右に振られてお祓いし、祝詞が始まったのだ。「待っていてもらえた」そんなことを思わずにいられなかった。

人気がなくなってから本宮の神前でゆっくりと手を合わせると、頭の中に言葉が降りてきた。


「自分と他者の魂を切り分ける。明確な境界線を設け、お互いの領域を侵さない。それぞれの魂を守る。それが、調和。共存、共栄」

ハッとした。なるほど、調和とは自分を消して周りに溶け込むことだと思い込んできたけれど、自分の魂の形をハッキリと保つことが、本当の平和への一歩なのだ。そして、個性の違いを認め、戦わず、傷つけ合わない。そのためには、「ここからは私の聖域」という明確な境界線が必要なのだ。

これまで私は、「調和」を履き違えてきた。周りとうまくやっていき、平和を保つためには、「明確な自分」を打ち出してはいけないような気がしていた。親や教師が求める「いい子」の型にはまらなければ価値がないと突き付けられた記憶。誰かに評価されるために、パズルのピースである自分の凸凹を削り、形を不本意にぐにゃぐにゃ変えてきた気がする。でも、本当の調和とは自分を消すことではなく、自分の魂の形(凸凹)をハッキリと保つこと。そのために、私には道を切り開く「攻めの剣」と、干渉を跳ね返す「守りの剣」の両方が必要なのだ

剣の霊力、フツヌシさんの力は、誰かを打ち負かす暴力ではなく、迷いや不要な縁を鮮やかにバサッと振り払うもの。もっと知的な、「断ち切る力」だった。

私はもう、自分を信じてもいいのかなと思った。誰に何を思われてもいいや。自分の持っている感性を打ち出してしまおう。

私という凸凹のパズルのピースが、ようやく本来の輪郭を取り戻そうとしていた。

その後は「サムハラ神社(奥宮)」と、参拝者の方から教えてもらった「中山神社」にも足を伸ばした。ネットの文字情報ではなく、旅先での見知らぬ人との生きた交流から新しいルートが広がっていく。心を開いて境界線を緩めたところから新たな道ができて経験値が上がっていくように思えて嬉しかった。

サムハラ神社の展望台に立った瞬間には「もう遠慮しなくていい。自由に感じて表現しよう」という思いが溢れた。




中山神社は、まっすぐな参道が印象的な、清らかな神社だった。


歩いているだけで、心が整っていくような、凛とした場所だった。ゆっくりと手を合わせると、色々な言葉が頭に降ってきた。

自分の感性をもっと大切に磨くこと。

人と向き合うとき、表面的な【反射】ではなく、自分の奥底からくる本能や感性で【反応】する。

強さとは、自分の本能を押し込めるような不要なものを祓い、内にある力をスムーズに表現できるよう道を整えること。

整えれば、勢いをつけずとも、自然と、内にある無限の宇宙の力が発揮される。


ほう!外側を整えることが、内側の強さにつながるとは。

いつも迷いが多く、周りに自分の軸を揺らしてしまってきた自分にとって、今回の旅行の肝になるようなメッセージだと受け取った。

車に戻ると、17時を過ぎていた。新幹線を間違えて翌日のを取っていたおかげで、帰りの時間を気にせずに中山神社に寄ることができた。ありがたい。「安全運転!」と気合を入れて、岡山駅を目指した。

日常での境界線の変化

すっかり日の暮れた岡山駅に到着し、レンタカーを返却。デジタルが苦手な私は、プライドを捨ててみどりの窓口のお兄さんにスマホ操作をサポートしてもらい、無事に新幹線を振り替えて名古屋への帰路についた。

名古屋駅に着くと、夫が車で迎えに来てくれていた。
家に帰り、夫が作ってくれた唐揚げをいただいた。サラダにドレッシングまでかけてくれた。だいぶ心配をかけていたらしい。驚くほど手厚い歓迎を受けた。そして言われた。「連絡が全然来なかったね」と。

少し前までの私なら、罪悪感から、逐一連絡し、帰宅後も「心配かけてごめんね」と平謝りし、機嫌を損ねないようにと小さくなっていたと思う。もしくは、逆ギレして旅の余韻を怒りや罪悪感で真っ黒に塗りつぶしていたと思う。ずっと、ずっと、そういうことを繰り返してきた。でも、今回は違った。出雲で決めた通り、今回は連絡は最小限にした。

夫は、楽しめるようにと連絡を遠慮してくれたのだと思う。その優しさを受け取ったとしても「連絡しなくてごめんね」と言うのはやめようと思った。今までは自分の中の罪悪感を、勝手に「夫から責められている」と脳内変換することも多かったが、そういうことはもうやめたいと思った。

お迎えに来てもらって、唐揚げがおいしくて、ドレッシングをかけてもらったとしても、これは貸し借りじゃない。だから、罪悪感を感じなくていいと自分に言い聞かせた。やってくれたことには感謝を持ちつつ、自分の心までは明け渡さない。そういう、健全な境界線が引けるようになったと感じる。少しだけ強くなったのかもしれない。


あれから、どんな時も自分の気持ちを大切にすることを意識している。自分や周りからネガティブな声を感じても自己価値を揺らさないように気を付けている。家庭内での線引きは結構うまくなってきた。おかげで結構平和な日々が過ごせている。

今回の旅行記では、お金のことも、自分の醜さも卑しさも、隠さずに書いてしまった。スピリチュアルな感覚についても、これまではやばいやつと思われたくないという不安から隠してきたが、今回はかなりさらけ出したように思う。文章にして表現したことで、逃げ場がなくなり、ごまかせなくなった。そして、自分が発した言葉が自分に深く染み込んできた。

実は、旅行記を書いている間、記事のビューやスキの数で自己価値を上げ下げし、感情も揺らしている自分がいた。中山神社で「表面的な反射ではなく、自分の奥底からくる本能や感性で反応する」と気づいて書いたはずなのに、「外側の評価を気にし続ける」という表面的なことばかりやっていることに、深く気づいてしまった。

だから私は、一旦外側との境界線を作るためにスマホの通知を切ることにした。日々のルーティンを見直し、家計簿や筋トレを再開。

あの中山神社の長くて清らかな参道のように、自分の内側に太くて安定した道を作ることに集中し始めた。エゴの迷いは掃き清め断ち切っていこうと思ったのだ。

境界線を引くことは、他者を拒絶することではなく「優しさ」なのだと知った。私が自分を守り、私を生き、優しい気持ちが満ちてくれば安心して心から人を尊重することができる。それが本当の「優しさ」として相手に届き、安心して人とつながれる。そんなことに気づけた。

家族に対しても、適切な境界線で自分を守れているおかげで、かえって穏やかな感謝を持てるようになったように思う。あれから私の中に確実に新たな風が吹いている。

今回の旅は、一人の冒険を楽しみながらも、迷ったり失敗したり、ドロドロしたエゴにも向き合う時間になった。遅い歩みではあるけれど確実に何かが変わりつつあるのを感じている。勇気を出してみて本当によかった。

フツヌシさんの力を借りて手に入れた内側の宝剣を胸に、私はこれからもブレながらも殻を破り、自分だけの道を一歩ずつ進んでいきたい。




最後までお読みいただきありがとうございました。


細かい記事はマガジンにまとめました。


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