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よか家族1

はじまり 家族と青い閃光


これは母の原爆記です。!!!私は(芳野)は明治40年末広町(出島)に生まれました。主人は三菱電機ノ鋳物士で岩川町の工場におりました。子供は7人おりましたが、病気たなんかで死んでいまは5人です。

原爆のときは西坂の本蓮寺の裏手に住んでいました。娘が4人男の子が二人おりました。ちょうど1ヶ月前の7月7日、青年学校に行っていた長男が肺炎で死んだばかりでした。残った子は上が国民学校を卒業して徴用で長江醤油に努めとった、1番下の子は2歳の子でした。

原爆が落ちた時は奥の8畳の間で末の子を寝かしつけていました。ほかの子供たちもそばに下りました。

爆音が下ですが、解除になっているから遊軍機じゃろうてそのままにしよりましたら、パーッと着たでしょうが、後ろの石谷さんの石垣にパーッと青か火のさしましたとですよ。

そしてその辺の物とんで、布団でも何でも細長い家を通ってほおり出されてしもうたとです。

続きはよか家族2で。 


よか家族2 ~甕に鍋・お金とフスマ~

引き続き読みに来てくれるとおばあちゃんが喜ぶと思います。
よろしくお願いします^^


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