【能楽関連】『黒塚』の謎
大上段に振りかぶってしまいましたが、オチはありません。
来年4月18日の厳島神社桃花祭御神能に向けて、『黒塚』を絶賛稽古中です。
今の進捗で言うと、「キリ舞」を教えていただき、何とか頭に入って(きちんと舞えるかどうかは別)、「イノリ」を少しずつ教えていただいております。かたや詞章の方は、まだ半分くらいでしょうか。
要するにまだまだ、ということです。
さて『黒塚』ですが、『葵上』『道成寺』と並んで「三鬼女」と言われている名曲です。
自分がこんな名曲を勤めていいものか、と稽古の度に不安に思うのですが、先生のお許しが出たのでよいのだと思っております。そうでないと気の迷いが出ますし……。
『黒塚』は分かりやすい能のひとつだと思います。
物語は単純です。
旅の僧たちが安達ケ原に到着するものの、日が落ちてしまいます。遠くに火が見えたので、そこを目指して歩き、一軒の庵を見つけます。その庵には人生に疲れたような中年女性が一人で住んでいました。
僧たちは女性に一夜の宿を請います。
女性は、
餘りに見苦しき芝の庵にて候程に お宿は叶ひ候まじ
と一度は断ります。しかし、晩秋の寒さの中、他に泊まるところもないであろう僧たちに同情して、渋々自分の庵に泊めてあげることにします。
最初は僧たちのご要望に応えて、自分がいつも使っている糸車を、
恥ずかしや 旅人の見る目も恥ぢず いつとなく。賤が業こそ物憂けれ
なんて言いながら、回してみせたり(面を着けて糸車の糸を左手で取れるかどうかがシテ的には前場の山場です)しております。
やがて、だんだんと冷えてきたので、女性は山から薪を取ってくると言って、庵を出ようとします。しかし、庵を出ようとしたその瞬間、
なうなう構えて妾が閨の内ばし ご覧じ候な
と言い残していきます。私の寝室、絶対見ないでねってことです。
見るなと言われれば、見たくなるのが人の性。
好奇心にかられて、閨の中を覗いてみたら、何と中には死体がゴロゴロ。
女性は人食い鬼女だったのです。
女性は閨の中を見られてしまったことで大いに怒り、僧たちを喰おうとしますが、僧たちの祈りに屈し、その場から消えていく……。
とまあ、典型的な「見るな/見ちゃった」物語です。
古くは、『古事記』のイザナギ・イザナミの黄泉の国の話、『鶴の恩返し』等々、世界中にたくさんあるモチーフと同じです。
観客の立場ではあまり気にならなかったのですが、自分がいざシテとして、この鬼女を演じるとなったときに、ひとつの疑問が生じました。
鬼女はいつ僧たちを食べようと思ったのか、ということなんです。
そもそも最初から食べるつもりならば、「はいはい、どうぞ。いらっしゃ〜い」と言いつつ、裏では「イヒヒ、ご飯が来たよ」とほくそ笑むはずです。
しかし、どうでしょう。
『黒塚』の鬼女は、どういうわけか、「お宿は叶い候まじ」と言って断っているではありませんか。この僧たちは粘り強く「泊めてくれ」と言ってきたので、泊めることになりましたが、あっさり「じゃ、いいです」と立ち去ったら、元も子もありません。餌はスタコラと立ち去ってしまいます。
しかも、僧たちを前にして糸車を回しながら、生きていくことの辛さ、寂しさを切々と謡うのですから、世の無常を嘆く中年女性がよもや人食い鬼女だなんて、考えもつかない……。
ということは、最初鬼女は僧たちを食べようと考えていなかった、というのが妥当です。
食べてしまった人間の死体を隠し置いてあった寝室を見られて、自分が人食い鬼女であるという事実がバレてしまった。その瞬間、鬼女はこう謡います。
いかに旅人 止まれとこそ
さるにても隠し置きたる閨のうちを
あさまになされ 申しつる 怨の為に来たりたり
胸を焦がす焔は 咸陽宮の煙 紛々たり
こういう詞章を前提に考えれば、閨の中を見られたことが分かった瞬間に、「コイツら、喰ってやる!」と思ったとするのが妥当でしょう。
鬼女からしてみれば、「餌が逃げてしまえば意味がない」はずです。
僧たちを餌として無理なく捕食するために、最初から策を弄していたと考えることもできると思います。
勿体つけて「仕方ないわね、泊めてあげるわよ」と恩を売り逃げにくくして、世の無常を切々と謡い上げて、「こんな人里離れたところで一人暮らすのも大変だろうなあ」と思わせ油断させ、彼らが寝入ったスキにがぶり!という戦術です。
しかし、どうでしょうか。
もしそうだとしたら、冷え冷えとした庵の中、僧たちが凍えるままにしておいても良かったはずなのに、なぜ彼女は山に薪を取りに行くなんて言い出したのか? そもそも食べてしまうのだから、やさしくする必然性などまったくないはすです。しかし、鬼女は薪を取りに行くと言う。
肉は温かい方が美味しいからか?などと考えてみたりもしますし、そもそも彼女が庵から出なければ閨を覗かれることもなかったでしょうし、色々と辻褄が合わない気がして、なかなか合点がいきません。
『黒塚』の鬼女は、一体いつから僧を食べようと思っていたのでしょうか?
最初からなのか。
それとも、閨を見られてからなのか。
自分がどう演じていくかは、稽古を通じて、鬼女の内面を想像しながら、来年4月18日まで、じっくりと考えていきたいと思います。
