Thank you, my twilight~the pillows解散に寄せて~
the pillowsが解散した。
the pillowsを応援してくださっている皆さまへ
— the pillows monument (@thepillowsJPN) February 1, 2025
To all fans of the pillows, pic.twitter.com/PrObDArrAb
the pillowsの存在を知ってから20年弱。
断続的に彼らの音楽を聴いてきたが、正直に言えばここ数年の楽曲についてはほとんど耳にすることはなかったから、熱心なファンとは言えない。
それでも、自分の人生の一定期間を切り取った時、そこにpillowsの音楽が背景として流れていたことは間違いない。
その証明として、時系列で振り返ったこの文章を書こうと思った。
Freebee Honey
私が中高生だった05年~10年頃は、いわゆるロキノン系バンドの人気が高く、音楽好きを自称する大半の男女はBUMP OF CHICKENやRADWIMPSなどを聴いていた。
そこからマイナーバンドに流れ、各々「自分だけが知っているバンド」を愛好し、機会を窺っては誰かに勧めるということを不文律にしていたように思う。
私もその流れの中でBUMPを好きになり、オリコンで100位にギリギリ入るか入らないかくらいのバンドの音楽をいくつも掘るようになった。
その中で手元に入って来たバンドのひとつが、the pillowsだった。
現代バンド文化の基礎に貢献した、レジェンド的な存在なことを知ったのは少し経ってからだったが、pillowsを好きになる人は他に誰もいなかった。
この曲は、中3の時に友人たち5人くらいとカラオケに行った時に、初めて歌ったpillowsの曲である。
誰も知らずに白けた記憶は、今でも鮮明に残っている。
パントマイム
「誰も知らないけれど、自分だけは良さを知っている」
というのは、多かれ少なかれ、誰しも経験する自己陶酔の代表であるというのが持論である。
恋愛に近い。
『Freebee Honey』で滑る経験をして以降も私はpillowsの曲を続けて聴いていて、次第にそのファッション的な嗜好にpillowsを含めていた。
ところが、ある日そのニワカ心が一転する時が訪れる。
そのきっかけが『パントマイム』という曲だった。
この曲はpillowsのインディーズアルバムに収録された最初期のもので、メジャーリリースのない、知る人ぞ知るレア曲である。
そんなことを知らずに耳に留まった音に惹かれるものを感じて、気づけば何度も再生を繰り返した。
夕闇に向かって独り吠えるような
「パントマイム演じるよ みんな笑ってよ」
というフレーズの抒情感に、たしかに心が動かされることを感じた。
その気持ちをブログに綴ったところ、たまたま長年のファンの目に留まり、
「聴き始めでこの曲を好きになれた経験が羨ましいです」
と、思春期の少年を得意気にさせるに十分なコメントをもらったことを覚えている。
アーティストのファンになるということにはしっかりその瞬間があると思っていて、私にとってそれは「作業中にBGMとして雑に流していた曲が気になり、自ら聴きに行ってしまった時」だ。
これもまた持論の一つである。
そんな風に過ごしたい
『パントマイム』で付いた夕闇のイメージは、そのままpillowsの印象となった。
長年の活動の中で音楽性が変化していくのも差し置いて、私はpillowsの音楽にそれを求めていく。
初めはそれこそ、最新のロキノン音楽を思わせるような激しいアップテンポな曲を好んでいたが、気づけばどこか陰のある曲が再生リストに溜まっていった。
その時までにリリースされていた曲のほとんどを聴き、「pillowsが好きだ」と自信を持って言い出す頃に気に入っていたのが、この『そんな風に過ごしたい』だった。
「誰に何を言われてもかまわない こわくない」
と歌い上げる声に、『パントマイム』からの洗練と、それでも残るpillowsの魂を感じた。
英訳された『I want to live like that』という題は、素直にとてもかっこいいと思った。
バビロン天使の詩
時は流れて高校生となり、pillowsの音楽を聴いてから数年が経っていた。
数年に渡ってそのアーティストの音楽を聴いていれば、ひとまずファンと自称しても良いだろう。
当時交際していた恋人と、音楽を共有する時間があった。
彼女も音楽が好きで、彼女は私にRAD WIMPSやmou moonを、私は彼女にthe pillowsや赤い公園を贈った。
彼女が気に入っていたのがこの『バビロン天使の詩』だった。
「世界一ダサイ」と静かな話題を呼んだ低予算のPVを、私は彼女とipodの画面で見ながら笑った。
くだらない画面に視線を向ける横で、触れる体温と、彼女が密かに付けていた香水の薄い芳香を感じていた。
Runners High
高校の終わり頃にもなると、自分が如何に音楽が好きかを自覚するようになってきた。
かつてバンドを追っていた友人たちも、気づけばそれほど音楽に熱を持たなくなっていた。
私の方は嗜好が自然と広がり、特に渋谷系音楽を好んで聴くようになった。
そうなるとバンドを聴く頻度も減っていき、ひいてはpillowsを聴く機会も、ipodからランダム再生させる時くらいに減っていた。
意識的に聴く期間は過ぎ去っていた。
それが再び熱を取り戻すようになったのが、2年間の浪人を経て大学に入った頃だった。
一人暮らしする地は実家から40kmほどのところで、その気になればいつでも行き来ができた。
その道中の中古CDを扱う店で、端から順に眺める棚に見つけたのが、pillowsのトリビュートアルバムである『シンクロナイズド・ロッカーズ』であった。
ケースの裏面を見て、そこに記された名だたるアーティストたちに改めてpillowsの客観的な偉大さを感じた。
購入から10年以上経った今、体に浸み込むほどに聴いてきたアルバムである。
どの曲も愛おしいが、スタートを飾るストレイテナーカバーの『Runners High』を挙げておく。
この曲から始めるドライブの、どれほど爽快なことか。
Sunday
大学生活は比較的真面目に学業に励み、演劇部での課外活動にも精を出していた。
退屈しない日々を送る中で、かつて気が狂ったように時間を費やしていたゲームはほとんどやらなくなっていて、私の身体から剥がれていた。
それでも、音楽だけは生活に密着するように、常に傍に置いていた。
高校1年の頃、初めてのアルバイトの給料をもらった日に、その足で買いに行った第3世代のipodを携えて。
大学2年の頃、スマホを買い替えた友人が、いつまでもガラケーを使い続ける私を見かねて、古いiphone6を譲ってくれるということがあった。
私はそんな好意に背いてガラケーを継続し、iphoneはwifi環境でのLINEの使用とipodの後継として使用した。
ケーブルの伸びるポケットは少し重たくなったが、拡大された容量いっぱいに音楽を詰めに行く作業は、何時間かかっても苦でなかった。
休日の大学の構内。
銀杏並木を抜けて図書館へ向かう中、コカコーラのスマホケースと『Sunday』の軽やかさはよく似合っていた。
サードアイ
大学生活はそれまでのゲームに染まった18年間と、勉強漬けだった浪人2年間の鬱屈を晴らすかのようだった。
この時期にしかできないと思うたくさんの経験をして、あとどれだけ過ごしても時間は足りないだろう感じた。
演劇部の活動は四半期ごとの公演が主で、文化祭の時期は模擬店の出店も重なって特に忙しい日々だった。
私は早朝のバイトをしていたから、幸か不幸か活動には支障がなくて、それ故に動ける時間のすべてを遣って動く羽目になっていたのだ。
そんな奔走に疲労困憊していた大学3年の文化祭の3日目、夕暮れ時に流れてきた聴き馴染みのあるメロディに、重くなった身体が反応した。
音は軽音部の野外ステージから流れてきたもので、pillowsの『サードアイ』が演奏されていた。
私は音楽を愛しているけれども、演奏の技量の良し悪しはわからない。
後にドラムを叩いていたゼミ生に尋ねると、「上手くないよ」と言っていた。
夢中になって聴いてしまったことを伝えると、「pillowsいいよな」と笑っていた。
モノクローム・ラバーズ
社会人になり、私は2年間地元で働くと、恋人と同棲するために東京に出た。
東京の空気は田舎の地元とは大きく違って、情報の多い空間は私にとっていつも刺激をもたらしてくれた。
通勤のための移動ですら、聴き慣れた音楽を一味変えてくれるには十分に機能した。
無数の背景を持つ人で溢れる満員電車、直角に聳え立つ箱舟のようなビル群、暗闇の集積された路地裏。
何度も聴き返したアルバムの曲たちを取り出して、また新しい色を添えていくようだった。
「"この店のチェリーパイ少し味が落ちたわ"って 悔しそうな顔してるキミ」
こんな青臭さのあるシティな歌詞を、実際にその空気の中で聴く経験をするなんて。
想像することのない未来にあった未知なる生活の中にも、pillowsはいた。
Tiny Boat
この曲の歌詞にはいつもどことなく違和感を感じていた。
渋谷系音楽のように、あまりに臭くストレートすぎるのだ。
日本の歌詞偏重のラブソングをあまり好まない私は、バンドの姿を好きになったpillowsのこの曲を、pillowsらしくないと感じて遠ざけていた。
ところが、7年連れ添った恋人と別れることとなり、深い悲しみと底の見えない茫漠とした未来への不安の中で、こんな私でもセンチな気分の答えを音楽に求めた。
思えばずっとそうして音楽に甘えてきた人生なのかもしれないが、意識的に行ったのはこの時が30年近く生きていて初めてだったろう。
微生物でも見るかのように虚空を眺め、耳から入って来る音を身体に溶かして薬にしようとしていた。
『Tiny Boat』は、そんな時によく効いた。
「あさぎ色したベンチで秋を吸い込んだら 日が暮れても寂しくない 月明かりに抱かれたい」
昭和歌謡のような黴臭いこの歌詞を、平成に聴いて、令和になっても聴いて、その先の元号でも聴いていることを想ってしまったのだった。
この曲はpillowsの代表曲でもある『ストレンジカメレオン』の1つ前にリリースされたシングルだ。
嘘か誠か不明だが、『ストレンジカメレオン』は売れることを意識して作った快作のはずの『Tiny boat』が不調に終わり、その苦汁の経験を「まわりの色に馴染まない出来損ないのカメレオン」にたとえた曲だという話がある。
絶望の淵にいる私が、pillowsが絶望の淵に立つことになった曲と波長が合うのは、なんだか因果なものではないだろうか。
『Tiny Boat』を何度も何度も繰り返して聴き、時間をかけてそうした思いに至っていくと、この曲に抱いていた青い苦みが、ふと深みのある馴染みの味に変わっていくような気がした。
おわりに
この記事はpillowsの解散を知った当日から書き始めて、20日以上もかかってしまった。
当然その間かかりきりだったというわけではないが、勢いのままに冒頭書いた「自分の人生の一定期間を切り取った時、そこにpillowsの音楽が背景として流れていたことは間違いない。」という言葉が真実であることを確認できる時間となった。
この数百時間の間に、私はまた何週目かわからないpillowsの音楽の周遊を行っている。
恥ずかしながら、この期間に初めて知って、しっかり後悔の気持ちを持たせてくれた曲もある。
やはり熱心なファンとは言えないだろう。
これから時間をかけて、ゆっくりでも確実に、pillowsが残していったものを拾っていこうと思う。
そして、いつか心からのファンとして、この文章を読み返したい。
pillowsの時間は止まってしまっても、私の終わりに向かう有限の時間に、その影は残っていくに違いない。
