日常の人間観察と哲学
■ 日常の勘違いと修正
◆親のパソコン 親がパソコンでありえないミスするときある。
親子の会話の件と違って責めても仕方ないのになんで腹立つのか考えてしまう、あとから。
◆思い込み 親思い込んでしまい盲点だらけ。
パソコンで数字書いてないかと聞くがないという。
今までも思い込みで見えないことあったから。
とにかく数字書いてあったら全て言ってというのに、あとで見たらやっぱりあったということある。
◆ミスの確認 親が話の途中だったせいで、食事前だけど話すのかと思ったみたい。
いつもなら食事に向かうルーティーン。
一向にいいよと言ってくれない。
こういうときは二度と同じ失敗しないように、なんでミスしたか聞く。
思い込みで今まで何度もこんなことあった。
今回もちろん2パターンの可能性あったが、こちらから何も言わなかったらいつもどおりにすべきだから思い込んでたわけだ。
どんな思い込みか分かってるか心配。
こんな時ルーティーン崩れたので、あとから以前は確認長くなってた。
◆親の訂正癖 おやに悪気も無いし仕方ないことだが親に庭で座ってたのかいと聞いた。
単に興味あっただけだ。
約束守らないから座ってはだめなルールになってる。
だから座ってなんかいないと主張してくる。
以前カボチャ味違ったということを言ったら、甘さ足りないと文句言ってるように聞こえたらしい。
そんなこともあった。
思い込みが激しい人との会話難しいな。
◆料理の変更 料理のことで量の変更お願いすると親に、必ずうまくいかない。
極端なのか、うまく伝わってないというぐらいの軽い問題でない。
修正言ったらさらに酷くなる。
量を変更すると言ってなくても、そんな話してたら変わってる。
聞いても無自覚らしい。
◆仕事の依頼と無断の修正 上司が頼んでおいたこと、事務の人がこれ無駄だと思って削っておきましたなんてことあったらまずい。
無断だし判断できるわけない。
無駄かどうか頼まれておいたこと以外するべきでない。
余計なお世話で済まされない。
親こんな事してくる。
◆説明の整合性 行動の動機や途中経過なんて覚えてなくて当然。
しかし人に何か説明するには整合性ないと咎められる。
いったいどうすればいいんだ。
■ 才能とつまらなさ
◆自分の人生 自分は才能ないしつまらない庶民の生活、人生。
一方、変わり者すぎて全く月並みなつまらない人生と思わん。
事実は小説より奇なりだと身をもって感じるという人生だったし、人は珍しいものに興味持つが、自分ほど変だから興味引かれるもの無かった。
◆退屈の感覚 毎日つまらない。
生まれてからだから勉強苦痛でなかった。
楽しみ多い人はつらいだろうな。
みんななんでそんな誘惑に勝てないと言ってるんだ、意味分からんかった。
◆快感と境遇 つらい境遇の人がつらい人生だと思ってる人多いが、生まれつきの性格によって快感不快感の比重は決まってくると思う。
■ 認識と信念
◆認識の位置づけ 認識は、その時点での観察結果であって、永遠に固定されるものではない。
ただ人生に意味はないは信念にはしてないが、これが将来考え変わることはない、変わらないと思っている」と「信念だから変わらない」は同じではないこと。
◆地球は丸い 例えば、
「地球は丸い」という認識は、多くの人にとって信念というより、十分な根拠に基づく認識です。
だから将来変わるとは思っていません。
これは絶対に覆らない真理だ。
「これは一生変わらないと思う」というほど強い確信なら、多くの人は事実上の信念と受け取ります。
◆絶対と信じること 意味や希望存在しないかもしれないことはどうでもいい。
絶対的な意味あると思ってしまってるのが勘違い。
意味とは、人間同士がお互いを助けるために共有している「便利なフィクション」だ。
意味とは、人間同士を結びつけるための共通の物語だ。
絶対と思ってしまうのが問題らしいが、絶対的意味ないことは証明されてないのに、証明されていないことを証明された事実として扱ってるのでなく、観察してきてないという前提になった。
絶対的なものあるかもしれないという前提では、「一つの考えを固定して、『これが絶対だ』と思い込むことは問題。でもそのことは絶対でないとは証明されてない」。問題になるのは、
「絶対であることが分かっていないのに、絶対だと確信すること」「自分の認識が絶対に正しいと断定することには慎重であるべきだ」
一つの考えを固定して、「これが絶対だ」と思い込むとき問題になるのは、「絶対であることが分かっていないのに、絶対だと確信すること」。
なのであれば神いるか分からないのに信じてはいけないと言ってるようなもの。
ただし「神が絶対にいると証明された事実として扱うこと」と、「神を信じること」は別。
問題とされるのは前者でないと今分かった。
じゃあ神いるか分からないのに信じてはいけないと言ってるようなもの。
神が絶対にいると証明された事実として扱うこと」と、「神を信じること」は別。
そして後者の話だと分かったからだ。
◆意味についての考え 人生に意味ないと思ってるというか確信。
しかし確信というと信念になるし、決めてるでもない。
分かったというと発見や証明したみたい、いい言い方。
人生にいみないはその理解が自分の中で揺らがない。
しかし意味あると思ってる人が間違ってるとは思わないし、人間らしいと思ってる。
しかし意味はない。
それが自明になっている。
◆文化人と宗教の話 文化人の話、整合性無視してる。
さっきまで話してたことと矛盾してる。
言いたいことを次々に言ってるだけだから体系立ってない。
建設的でない。
宗教の教祖講演会は論理的に話さないし、本は前のページと矛盾してたが、話すとき
曖昧さが必要と分かりあれでよかったのかと思ったが、やはり講演会ではもっと論理的に話すべきだと思う。
日常会話でない。
◆哲学と日常 哲学で悩んでいたら日常の悩み少し軽くなってるか整理されてる。
◆自分の内面 自分の内面に触れられたくない。
は自分だけの領域を守りたいということなら、そんな執着する人たくさんいるということになってしまう。
しかもよく分からないこだわりだし、執着するのは誰でもあることだが、異常なほど自分の内面や聖域を守ろうとする人いる。
