黒魔法令嬢とお呼びください~初恋の魔王さまに再会するため、黒魔法で世界を革命します!~
■あらすじ
禁忌の黒魔法をこよなく愛する伯爵令嬢リリアンは、黒魔法を使い続けた結果、弱肉強食の魔法学園へ転校することになる。そこで猫好きで気弱な一年生ジルと出会い、自らの配下に迎える。物騒な学園を黒魔法で改革していくリリアンだが、学園の実権を握る学生会は彼女を危険視して決闘を挑んでくる。リリアンは策を弄して学生会に見事勝利。敵も味方も魅了してしまう。彼女は世界に黒魔法の美しさを広めようと心に決める。そんな彼女を見守る一年生のジルは、実は魔法学園に潜入した第一王子なのであった。
■プロローグ――リリアンの館
私の初恋は、魔王さまだ。
あれは多分、私がまだ六歳くらいのときだったと思う。
由緒正しい伯爵家のお父さまとお母さまはいつも忙しく、使用人たちは私を放りっぱなし。私と遊んでくれるのは、いつだって、本だった。
しかも、魔法書。
おとぎ話の代わりに地下図書館の魔法書を読んで育った私は、ある日、初めてスライムの召喚に成功した。
「すごい……かわいい……!!」
召喚したスライムは、まだ小さくて、手のひらにのっかるくらい。
ぷるぷるしているだけで、ろくな魔法も使えない。
でも、確かに私が呼び出したもの。
私が呼びかけると、ぷるぷるの中からきらきらした黒い目が私を見た。
「ルキス。あなたはルキスよ。私はリリアン」
「り…………り、あん」
「……!! うそ、名前を呼んだ!?」
「りりあん。りりあん。りり~~あん」
「ルキス……!! 私たち、友達だね!」
ぎゅう、と抱きしめると、ルキスはぶるりと震えたのち、とろんとゼリー状のまぶたを閉じた。すごく気持ちよさそうで、可愛くて、私は思わず笑ってしまった。
その翌日のこと。
久しぶりに、父が館に帰ってきた。
「魔物を館に連れ込んだ!? なんということだ!」
響き渡る、お父さまの怒声。
一ヶ月ぶりに出張から帰ったお父さまは、メイドからスライムのルキスの話を聞いたらしい。
「黒魔法は国の禁忌だ! 伯爵家の娘が関わっているとなれば、大罪!! 今すぐ捕らえろ、焼き払う!!」
お父さまの命令で、館は騒然とした。
「お嬢さま、出てきてください!! どうぞ、魔物をこちらへ!」
「子供部屋にはいない!! 手分けして探せ!」
悪夢みたいな声が響き渡る。
腕の中ではきゅうきゅうとスライムのルキスがおびえている。
「大丈夫、大丈夫だから……! 絶対、守るからね……!」
だってあなたはお友達だもの。
私の初めてのお友達。
私が自分の力で呼び出した、可愛い魔物。
でも――駄目だったのかな?
私、間違ったことをしたのかな?
私って、悪い子なのかな。
お父さまに嫌われて、もう、仲直りできないのかな……。
じわり、と涙がにじんだ、そのとき。
私の目の前には、真っ黒な靄が広がった。
「きゃっ!」
びっくりして、私は転んだ。
廊下を走っていたはずなのに、どうしてこんなに暗いんだろう?
混乱する私に、手が差し伸べられる。
「大丈夫?」
誰? 男のひとだ……。
綺麗な、声。
辺りは相変わらず暗い。
目の前には見知らぬ男のひとがいる。
黒いローブにフードをかぶっていて、容貌は全然わからない。
ただ、すごく優雅な立ち姿で、綺麗な声だ。
私は一瞬ぼうっとしたが、すぐに我に返った。
「だ……大丈夫に決まっていますわ! ただ、ルキス、ルキスは……」
腕の中のルキスは、無事だった。
私を見上げて、瞳をうるませたまま、きゅう、と鳴く。
「元気そう。よかった……」
私は泣きそうになりながら、ルキスを頬にすり寄せる。
ルキスも目を閉じ、すり、すり、と頬にすり寄ってくる。
そうしていると、ローブ姿の男のひとが、目の前にひざまずいた。
「あなたは気高い。うつくしいひとだ」
「え……?」
何を言われたんだろう。
理解できないうちに、ローブ姿の男のひとは、私の片手を取った。
そのまま、手の甲にキスをされる。
完璧に優雅なキス。
まるで、王子様のような。
でも――きっと、違う。
王子様は、スライムを抱いている女の子のことを、うつくしいなんて言わないだろう。だからこのひとは、きっと、魔物の国のひとだ。
たとえば、魔王とか。
「しばらくスライムはこの闇に隠してあげます。あなたは出入り自由だ。いつか自力でスライムを守れるようになったら、連れていってください」
「ありがとう、ございます……でも、なんで、そんな親切を?」
「あなたのことが、好きだから」
「…………!!」
「わたしはあなたに永遠に忠誠を誓う。あなたは、大人になっても、僕を覚えていてくれますか」
美しい魔王は、私をまっすぐに見つめて言う。
(なんてきれいな、青い瞳)
フードの影から、宝石みたいな青い瞳が見えた。
青い目の奥には、星みたいなマークが見える。
そのきらめきは、私の胸を震わせる。
こんな瞳を見たことがない。
こんな、私のことを、私だけのことを、大好きな瞳は、はじめて。
私は、恋に落ちた。
私の初恋は、魔王さまだ。
■お嬢様学校、学長室
十年後。
ローズマリー王国、王都。
おとぎの国のような白亜の街に、お城のようなお嬢様学校がある。
そこでは由緒正しい貴族のご令嬢たちが、お上品に学んでいる――はずなのだが。
「リリアン・ホワイトローズ、あなたは、退学です!!」
美しく整えられたお嬢様学校の学長室。
眼鏡をかけた女性学園長が叫ぶ。
私、リリアン・ホワイトローズ伯爵令嬢は、腰に手を当てて、堂々と叫んだ。
「断固、拒否いたしますわ!」
「きょ、拒否っ……!?」
あまりにも自信たっぷりに返されて、学園長の眼鏡はずりっとズレる。
私は真っ黒なドレスの腰に手を当て、つん、として告げた。
「当然でしょう。私が退学になるわけがありません。成績優秀、容姿端麗、さらに、黒魔法の大天才! リリアン・ホワイトローズですわよ?」
「そこがっ! 問題なのですっ!」
怒りでぶるぶる震えながら、学園長は執務机を拳で殴る。
「由緒正しい生まれでありながら、禁忌の黒魔法にどっぷり!」
「私、読書家ですから」
「気に入らない教師の鞄に毒虫を詰め!」
「淑女のたしなみですわ」
「同級生のシャンプーをスライムにし!」
「靴に泥を詰められたお返しね」
「しまいには、婚約者に魔物をけしかけて婚約破棄!!」
「浮気が発覚したので当然です」
「どうして、よりによって黒魔法なんです!?」
「理論も効果もうつくしいからです。偏見はやめてくださる?」
学園長の言葉を、私はかたっぱしから打ち返す。
六歳のころなら、目上のひとに怒鳴られるだけで涙目になっていた。
でも、今は違う。
あの日から、魔王さまに出会ったあの日から、私は生まれ変わった。
彼にうつくしいと言われた私。
好きだと言われた私。
私は、私のままでいい。
誰に何を言われても、泣いたりしない。逃げたりしない。
だって私は、魔王さまに見初められた、黒魔法令嬢なのだ。
余裕の微笑みをうかべる私に、学園長は人差し指を突きつけてきた。
「とにかく退学っ!! 禁忌を犯した罰は、国外追放か、魔法学園への転校です! 最後の慈悲として、どちらか選ばせてさしあげます!!」
「魔法学園? そんなものありましたっけ?」
「ただの学園ではありません。弱肉強食の魔境、年間行方不明者は数知れずです」
「ふーん」
私は派手な扇の下で考え込み、にっこりと笑った。
「いいでしょう! この挑戦、受けますわ。魔法学園に、リリアンの黒魔法のうつくしさを見せつけて参ります!」
「は……?」
唖然とした学園長を置き去りに、私は学長室を出た。
廊下には、漆黒の髪を肩まで垂らした美男子が立っている。
「お疲れさまでした、リリアンさま。どうなりましたか?」
「私は退学だそうです」
「そうですか。では、学園長を殺しましょう」
美男子は、しれっとそんなことを言う。
私は小さなため息を吐き、背伸びして長身の彼の頭を撫でた。
「必要ないわ、ルキス」
そう、この美男子は、ルキス。
私が呼び出したスライムだ。
十年間一緒に暮らすうちに魔力を蓄え、最近では人間にも変身できる。
心は昔のままだから、撫でようとすると真顔でかがんでくれるのも、とってもかわいい。
「ですが、リリアンさまに対して、あまりに不敬では?」
よしよしされながら、ルキスが言う。
私は小さく微笑んだ。
「今回は許すことにしました。転校先に興味がありますの。表には情報が出回っていない、弱肉強食の魔法学園……私ほどの実力者を送り込める場所となれば、きっと面白い学園ですわ」
「なるほど、それはわくわくしますね」
真顔で答えるルキス。
彼は私のことがよーくわかっている。
私は、ルキスを連れて学園の廊下を歩きながら続ける。
「でしょう? ここより、黒魔法の実力を発揮できるかも」
「ですが、ひとつ気になることが」
「なんですの?」
ちら、と見ると、斜め後ろを歩くルキスが真面目な顔をしていた。
「これ以上黒魔法をお使いになられるなら、いよいよ伴侶のことをお考えください」
「あら、またその話」
「黒魔法は、術者の心に宿る光を消耗します。ひとりで黒魔法を打ち続けるには限界がある。心と心で繋がった伴侶を作り、光を補充せねば」
「わかってますわ。でも、今は要らない」
視線を逸らし、私は廊下の先を見る。
消耗しようが、なんだろうが、私の心は変わらない。
「私の伴侶は、魔王さまですもの」
「例の、黒い霧の中から現れた美男子ですか」
ルキスは少し、渋い顔をして言う。
なんでかよくわからないが、彼は魔王さまの話がちょっと苦手だ。
「そう。あなたのことも助けてくれたんですのよ。そのあと、すぐに消えてしまわれたけど」
「わたしは覚えていませんね。そもそも魔物は気まぐれです。再会できるかどうか」
「あなたは一途じゃありません? ルキス」
「私は特別です」
むすっとして言うルキス。
私は彼に言い聞かせる。
「魔王さまも特別です。私が黒魔法の素晴らしさをこの世界にとどろかせたなら、きっと迎えに来てくれますわ!」
そう。
その第一歩として、魔法学園とやらに私の黒魔法を見せつけるのだ!
■魔法学校、ブライアグレイヴ学園
お嬢さま学校を引き払うのは簡単だった。
私に恨みがあるひとたちは仕返しをしようとしてきたけれど、私は使用人なんか使わない。ルキスをはじめとした使い魔たちをわんさか呼んだら、それだけでみんなちりぢりになってしまった。
「本当に、歯ごたえのない方々でしたわね。新しい学園の方々には、もう少し骨があるといいですけれど」
つぶやく私の肩で、スライム姿に戻ったルキスが答える。
「一応、骨はありそうですよ」
「どのへんに?」
「あのへんに」
あのへん、と言われて、私は顔を上げた。
おどろおどろしい空の下にそびえ立つ、鉄格子の門。
そこには骨の装飾が施され、新しい学園の名前が書かれていた。
その名は「ブライアグレイヴ学園」。
「あら本当。なんて立派な頭蓋骨と上腕骨」
「偽物ですがね。どうせなら本物を使えばいいのに」
「さすがに本物だと、近所から苦情がくるんじゃなくて?」
指でルキスを撫でながら訊いてみた。
ルキスは、ぷるる、と震えて言い返してくる。
「恐縮ですが、その可能性はございません。この学校、ど田舎すぎます」
ルキスが言う通り、学園の周りは見事な荒野だ。
荒野の向こうには尖った山脈が見え、人気がない。
ふつうのお嬢さまなら震え上がりそうな環境だが、私は満足げに笑う。
「ふふ。ここなら、どんな黒魔法を実験しても周囲に被害が出ない――悪くない環境ね」
「前向きですね、リリアンさま」
「私の百の美点のひとつですわ」
ルキスと語り合いながら、私はいよいよ学園の門の前に立った。
コルセットで締め付けた腰に手を当て、堂々と宣言する。
「門を開けなさい! 偉大なる転校生、未来の黒魔法の女王が来ましたわ!」
巨大な門はしばし沈黙したのち、すーっと開いた。
ルキスが伸び上がって声をあげる。
「おお、門も魔法で」
「どこかから、遠見の魔法でのぞいているのね」
さすが、と感心しながら門をくぐる。
門から入ってすぐは、立派な噴水のある広場だった。
その先には、広大な学園都市が広がっている。
緑豊かな敷地内には、校舎や温室など、ぽつぽつと立派な建物が並んでいるようだ。
これだけ見ると、お嬢さま学園と大して変わらない。
「さて、二年生の宿舎はどこに……」
私は辺りをきょろついた。
適当な学生か教師を捕まえて、案内をさせようと思ったのだ。
と、横手の森から声がする。
「ほーら、やってみろよ!」
「一年でもできるよなぁ? 魔法で猫を殺すくらい!」
「まあ、物騒」
私は、抜き足差し足、そーっと森に近づいた。
木の陰からのぞいてみると、森の小広場に男子生徒たちがたむろしている。
内訳は、三年生らしき生徒が四人。
おびえた金髪の生徒がひとり。
おそらく、この金髪が一年生なのだろう。
前髪を重くして、瓶底眼鏡の目元を隠している。
いかにも気弱そうな一年生は、教科書と魔法の杖を抱えて地べたに座り込んでいた。
そんな彼の彼の前には、黒猫が一匹。
猫は一年生を見上げ、にゃーん、と鳴く。
周囲の男子生徒は、へらへらと笑って続けた。
「ほら、殺せよ。一年でもそのくらいできるだろ」
一年生はぎゅうっと魔法の杖を握りしめ、涙声で抵抗する。
「でもでもっ、ね、猫、可愛いですよ……っ?」
「かわいかったら殺せねえのかよ、いくじがねえなあ~!」
ドッ、と笑う三年生たち。
私は険しい顔になって、彼らを見つめる。
「さすが、弱肉強食の魔法学園ですわね」
つぶやきながら、私は昔のことを思い出していた。
ルキスを抱えて、館を逃げ回っていた自分を。
まだ、弱かったころの自分を。
「猫を殺せねえなら、お前が潰れろ!」
三年生が叫び、一年生に向かって魔法の杖を振る。
そのとき、私は叫んだ。
「ルキス!!」
「はっ、行って参ります!」
ひゅんっ! と、私の肩からルキスが飛んでいく。
彼はそのまま、べしゃっ、といじめっ子の顔に張り付いた。
「うえっ!? な、なんだこれぇ!?」
「暗黒スライムのルキス。お見知りおきを」
「しゃ、しゃべったーーー!?」
三年生たちは驚愕し、一年生も呆然としている。
私は木の陰から歩み出ると、悪い顔で目を細めた。
「お気を付けあそばせ。口を開けると、喉まで入って窒息させますわよ。おとなしくしていれば死は免れると思いますが、気絶くらいはするかしら」
「ひっ!」
「は、剥がせっ、剥がせっ!」
三年生たちは、もはや一年生をかまうどころではない。
ルキスを引っぺがすのに必死になった。
一年生は猫を抱えて、呆然と私を見ている。
私は堂々と腰に手を当て、魔法学園の三年生たちに宣言した。
「強き者が弱き者を支配する――確かにこの世の真理ですわ。ただし、弱き者を守る、これもまた強き者のあるべき姿。すなわち! そこの一年生もまた、強者です!」
「…………!!」
一年生は、目をまん丸にしていた。
呆気にとられた顔。
その顔が、徐々に輝き出す。
(そう。その調子。あなたは、強いひと)
視線が絡む。
私が微笑むと、一年生の頬はうっすら赤くなった。
ふたりきりの、光輝く世界。
その外では、三年生たちがまだ大騒ぎしている。
「ひぃっ!」
「ふぐっ、ふがっ……!」
「そんなことより、スライムを引っ込めてくれよぉ……!」
「ルキス、なるべく殺さないように」
私は素っ気なく言い捨てて、一年生の前にひざまずいた。
そっと手を伸ばすと、黒猫が私の指先を舐める。
心地よい感触に、私はくすぐったく笑った。
「いいひとに拾われましたわね」
「にゃあん」
猫も満足そうだ。
私が猫と笑いあっていると、一年生が声をかけてくる。
「あの……助けてくださって、ありがとうございます」
「礼には及びません。私は黒魔法令嬢、リリアン。黒魔法の美しさを広めるために参りましたの」
「黒魔法っ……!!」
黒魔法、というと、一年生の目がきらきらっと光った。
瓶底眼鏡の奥の瞳は、きれいな青。
珍しい反応、と思って見ていると、彼は一気にまくし立てる。
「だと思いました!! 聖獣ではなく、魔物を召喚するのは黒魔法……あなたが召喚した暗黒スライムは下等ですが魔物です。でもっ、本来魔物はもっと凶暴でひとの言うことを聞かないはずなのです! なのにあのスライムはあなたと濃密なコミニュケーションを取っている、これは事件ですよっ!」「あらあなた、黒魔法のこと、よくご存じね」
「調べてますので!!」
一年生は眼鏡をくいっとやって言う。
その姿も頼もしく見え、私はにこりと笑った。
「立派ですわ。もしあなたが望むなら、私の配下に加えてあげてもよろしくてよ?」
「はいっ!! よろしくお願いします!!」
「えっ。本当にいいんですの?」
あまりの即答に、私は少しひるんだ。
しかし、相手の一年生は相変わらず希望で全身をきらきらさせている。
彼は猫を抱きしめたまま、うっとりと告げた。
「はい。だって、リリアンさんの黒魔法は、美しいですから……!」
「…………!!」
今度は、私が目を瞠る番だ。
黒魔法が、美しい。
確かに今、この子はそう言った。
それだけで、私の胸は熱くなる。
黒魔法は、美しい。
そうだ。
そのとおりだ。
今まで、誰も認めてくれなかったこと。
この子は、認めてくれている……!!
「あなた……お名前は?」
「ジル。ジルです」
そう告げた一年生は、間近で見ると随分きれいな顔をしていた。
眼鏡の奥で、きらっと光る青い瞳。
(よく光る、青い瞳――)
「では、ジル。まずはこの学園を案内なさい。黒魔法革命の始まりですわ」
堂々と笑った私に、ジルは何度もうなずいた。
■魔法学校、生活棟
「まだ一年だから不慣れですけど、生活棟はこっちです」
黒猫を抱いたジルは、私の前を歩いて行く。
私は漆黒のドレスの肩にスライムを乗せ、辺りを見渡した。
「ずいぶん広そうですわね」
「毎日歩くだけで結構疲れますよ。ここが中庭です」
黒薔薇の咲き誇る、真四角の中庭。
薔薇の茂みの隙間から、聖獣の彫像が見える。
彫像の素晴らしい細工に、私は素直に感嘆した。
「素敵なところ。銀竜と翼獅子の彫像ですわね」
「いえ、本物ですね」
「本物?」
聞き返す私の耳に飛びこんでくる、学生たちの声。
「今日こそ決着をつける!」
「やってみろよ、獅子の毛を全部抜いてやる!」
「「行け、我が使い魔よ!!」」
見れば、中庭の端と端に、上級生がたたずんでいる。
彼らが魔法の杖を振ると、彫像だと思っていたものが一気に動いた。
グオオオオ!
グルルル……!
銀色の竜が雄叫びを上げ、翼ある獅子がうなりながら羽ばたく。
どちらも、上級生が魔法で呼び出した聖獣、使い魔なのだ。
聖獣たちは派手に噛みつきあい、下になった獅子が、回廊の柱に叩きつけられる。
ジルは
「ああああ……」
とうめき、私は飛んできた小石をスライムのルキスで受け止めた。
ルキスは小石をぐにょんと腹に抱え込み、そのままばりばりと音を立てて食べてしまう。
「かなり高位の使い魔ですわね。試合ですの?」
「それが、ただの私闘でして。巻き込まれないように注意してください。次は、食堂に行きましょうか」
案内されて食堂をのぞくと、そこもまたカオスな空間だ。
「うっ、うっ、ううっ……」
「キツい、もう嫌だよ、こんなのっ……!」
「食わないともっとキツいぞ、頑張れ……!!」
ずらりと並んだ長卓についた生徒たちは、泣きながら異臭を放つ料理を食べている。
「食堂というより、葬式会場に見えますわ」
「生徒会が食堂の予算を削ったせいで、最近、腐った料理や毒キノコばかり出るようになりまして……食べてみます?」
「腐った料理や毒キノコを?」
「ぎりぎり食べられますよ。猫には絶対食べさせませんけど」
真顔で言うジルは、自分が変人だという自覚がないらしい。
「リリアンさま、こいつ、猫の下僕タイプですね」
ルキスの囁きは気にせず、私は魔法の杖を取り出した。
「食はすべての基本。たかだか予算の問題で、食事の場が葬式会場になるのは美しくありませんわ。ルキスよ、闇の力を得て広がりなさい!」
「はっ、ただいま!!」
ルキスは魔法で宙に浮き、びろーん…………と薄く広がっていく。
天井付近が真っ黒なスライムに覆われていき、学生たちはどよめいた。
「なんだ?」
「魔法だ! だけどこれ、黒魔法じゃないか!?」
「そのとおり。黒魔法令嬢、リリアンの名において……ゲロマズシチューに暗黒の祝福を!」
私が叫ぶと、ルキスはふよふよと調理場へ漂っていく。
「ひえっ!」
「く、来るな、魔物!!」
「失礼、主の命令により、このシチューに祝福を授ける」
おびえる調理人たちを尻目に、ルキスはにゅるんと触手みたいな手を出した。その手で鍋を掴むと、どばぁっ!! と、自分の上へシチューをぶちまける。
ジルは目を丸くして、身を乗り出した。
「なんだ、あれは!? スライムにあんなトリッキーな変形能力が!? しかもあの量のシチューを飲み干すなんて!」
「飲み干したわけではありませんわ」
私は言い、にこっと笑ってウィンクする。
「漉すんですの」
「漉す!?」
ジルが呆気にとられているうちに、ルキスは袋型に変化した。
腹に大量のゲロマズシチューを抱えたまま、ぎゅうっと雑巾絞りみたいな形に変化する。すると、ルキスの下から、ぼたぼたーーーーっ!! と、真っ黒になったシチューが鍋に落ちた。
私は腕を組み、堂々と宣言する。
「ゲロマズシチューの毒素は、これですべて無効ですわ!」
「すごい……!! ひょっとして、魔物が魔界の毒を無効化する体質を利用して……!?」
「それだけではありません。ルキスは毒を各種栄養成分に変えることすらできるのです。漉されたシチューは栄養満点!!」
「ということは、味も!?」
「味はまずいと思います」
「え…………」
呆気にとられたジルの前に、ことん、とシチューの皿が置かれる。
気付けば、人間型になったルキスが甲斐甲斐しく真っ黒シチューを配っていたのだ。
学生たちは真っ青になって席に着き、魔界の真っ黒シチューと向き合っている。
ルキスは厳しい執事みたいに彼らを見渡し、冷酷な瞳で告げた。
「リリアンさまのお恵みですよ。食べなさい」
「ひっ……!!」
学生たちは真っ青になり、シチューに手をつけ始める。
ジルも、ごくりと唾を呑みこんでから、シチューを一口食べた。
「うっ……!! まずいっ! もはや芸術的まずさ!! まずさだけで気絶しそうだ、すみません、猫を吸います!!」
「許しますわ。猫はかわいいですから」
私は寛容に言い、ジルは傍らの猫の頭を必死に吸う。
ほどなくジルは、ぴーん……! と何かに気付いたようだ。
「猫吸いで体力回復する量が、いつもより多い……?」
「気づきまして? ごらんなさい。あなた、今、お肌つやつやでしてよ?」
私に言われ、ジルは慌てて手鏡を取り出す。
「ほんとだ、すごい、髪の毛までしっとりして……!!」
続いて、食堂中に「まずい!!」「すごい、腹痛が治った!?」「待って、まつげが増えてる!!」「でもまずい、まずすぎる!!」という叫びが響き渡る。
私はすっかり満足し、ジルの腕を引っ張った。
「次へ行きますわよ。この調子で、黒魔法の美しさをどんどん広めていきましょう!」
■魔法学校、教室棟
それからも、私の黒魔法快進撃は続いた。
廊下に誰かが呼んだ聖獣が徘徊し、生徒が怯えていれば、虫軍団を召喚。
「せ、聖獣だーーー!」
逃げて行く学生たちの前で、私は杖を振る。
すると、ぶわっと雲みたいに虫の集団が出現。
「む、虫だーーーー!」
学生たちは私の虫から逃げるため、今度は反対方向へ走っていく。
聖獣もまた、大慌てで逃げて行った。
「そんなに怖がらなくても、虫はちょっと刺すくらいですわよ」
私は声をかけるが、学生たちは臆病だ。
右往左往する彼らを見つめ、そういえば――とジルを探す。
ジルは廊下の隅に座り込み、猫を撫でながら考えこんでいるようだった。
私は彼の落ち着いた姿に少し驚き、次に好ましく思う。
「ジルは、虫が怖くないんですのね」
「ええ、平気です。猫さえ守れれば」
そう告げたジルの顔は不思議なくらい凜々しく見える。
私は彼に近づき、ジルの背中にとまった虫を、ばばっと払ってやった。
そのまますとん、と彼の隣に座る。
「ありがとうございます」
微笑むジルは、なんだかいつもより大人っぽく見えた。
「このくらい、なんでもありませんわ。なんだか深刻そうにしていますけど、どうかしました?」
私は少しだけどぎまぎして、彼から視線をそらしながら言う。
ジルは、真剣な顔で廊下の向こうを見やった。
視線の先には、廊下の窓。
窓の外には、ゴシックな塔が見えた。
「ちょっと、上の動きが気になって」
「上? 教師のこと?」
「学生会です。ここでは、教師より学生会が強いんです。リリアンさんほどの転校生なら、学生会が飛んできてランク付けをするはずなのに……」
解説しますね、と言い、ジルは生徒会の説明をしてくれた。
「ブライアグレイヴ学園では、学年の他に『ランク』という分類があります。魔力の強弱によって、星の記章がもらえるんです。最低ランクが星ひとつ、最高ランクが星五つ。ランクによって実習内容も、就職先も変わります。このランクを決めるのが、学生会なんです」
なるほど。
つまり、学生会とやらが、学生の未来を握っているわけだ。
「すごい権力ですこと。学生会の皆さんは強いんですの?」
「全員最高ランク。星五ですよ」
「歯ごたえがありそう。学生会が学生のランクを決める方法は?」
私の問いに、ジルが口を開こうとして、ぴたりと動きを止めた。
彼の目がまん丸になる。
彼は、私ではなく、私の後ろ――廊下の先にいる誰かを見ているようだった。
「――決闘だよ」
廊下の先から、甘ったるい声がかかる。
私はゆっくりと、なるべく優雅に声のほうを見た。
そこにいたのは、上級生だった。
ジルやそこらの上級生とは制服が違う。
華麗すぎる改造制服をまとい、さらに小脇に大量の薔薇を抱えた男。彼は派手な金髪を肩に垂らし、ぱしぱしの長いまつげを伏せて、とろりと笑う。
「初めまして。わたしはブライアグレイヴ学園学生会書記。永遠のフロレンだ」
彼は囁き、小脇から薔薇を一輪抜き出した。
「汚い黒魔法使いにも薔薇を捧げる、これが僕の『美』だよ」
フロレンは私に薔薇を突き出す。
私は目の前の薔薇に手を伸ばした。
すると、薔薇は一気に黒く変わり、その場で散り果ててしまった。
……魔法だ。
私は彼の顔を見上げる。
フロレンは、楽しそうに笑う。
「ああ、ごめんね! わたしは黒魔法使いを差別する気はないが、薔薇は君に触れられるのが嫌だったみたい」
嘘だった。
今の薔薇には魔法がかかっていて、誰が触れても枯れたはず。
この男は、私を侮辱するためだけに薔薇を差し出した。
私とフロレンは、しばし見つめ合う。
そこへ、ジルの声がかかった。
「待って、くださいっ……!!」
「なんだい、一年。星二なのは偉いけど、わたしに直接声をかけるとは生意気だ」
フロレンはジルに思い切り圧をかける。
ジルはビクッと震えたが、それでも退くことはしなかった。
すっかり青くなりながら、彼は私の横に立つ。
「ジル……」
無理しないで、と言おうとしたが、私は口を閉じる。
ジルの横顔は、決意と誇りに満ちていたから。
彼はフロレンを睨みつけ、震えながら言う。
「星の付与は、学生会の試験で行われるはずです! 決闘は違います、死ぬひとだっている……! いきなり転校生にふっかけるなんて、よくないです……!!」
ざわり、と、廊下にいた学生たちがざわめく。
フロレンはジルを見つめ、唇の端をゆがめた。
一年生が、学生会にたてついた。
それは、この学園では大事件なのだろう。
でも、私は、他の学生も、フロレンも、見てはいなかった。
見ていたのは、ジルの凜々しい横顔。
それだけ。
「ふーん。生意気」
フロレンが甘く囁く。
ジルは震えながらも立ち続ける。
私は、ジルの横に出ると、フロレンに向き直った。
そして、枯れた薔薇を、フロレンの眼前に突きつける。
「ルキス、変化なさい!」
「はい、ただいま!」
以心伝心で、ルキスがひゅるりと薔薇に巻き付く。
彼は変形し、巨大な真っ黒い薔薇の形になった。
「!?」
フロレンは魔物で出来た薔薇に驚き、嫌悪に顔を引き攣らせる。
私は彼に薔薇を見せつけながら、高貴に、華麗に笑って見せた。
「ジルは正しい。私、あなたからの決闘申し込みはお断りいたします。ただし――主は、配下への侮辱を許さない。リリアン・ホワイトローズは、改めて、あなたに決闘を申し込みますわ」
■魔法学園、運動場
『と、いうことで……転校生リリアン・ホワイトローズと、生徒会書記、フロレン・ブラックソーンの、決闘を始めます……』
わあっ、と観客たちが盛り上がる。
ここはすり鉢状の闘技場――ではなく、学園の運動場だ。
解説席にはジルが座っている。
辺りからは、面白半分にコップやら本やらクッションやらが飛んでいた。
「なんでおまえが解説なんだよー、一年!」
「引っ込めー!」
『わ、わ、わ、すみません、猫には当てないでっ!』
必死に猫をかばうジル。
その体を、ぼわんと広がったルキスが覆って守る。
「失礼ですね。この人間はリリアンさまの配下ですよ」
「うう、ありがとうございます……」
大丈夫そうね、と確認してから、私はフロレンに向き直った。
私がいるのは、運動場中央。
フロレンは、目の前で余裕の笑みを浮かべている。
「解説を守るだなんて、余裕だね」
「ジルは私の配下です。私が解説に指名しましたし、守るのは当然ですわ」
つん、として言うが、私にも思惑はある。
学生会とやらが権力を握る場での勝負。
圧倒的に、私が不利だ。
せめて、要所に味方を置いておきたい。
解説役というのは、バカに出来ないポジションだ。
運動場に集まった観客たちの心を掴み、空気を作ることができるのだから。そしてジルは、解説役に向いている。
魔法が得意だし、魔法に関してのみ、すぐに熱狂する。
熱狂はするが、分析はできる。
そして何より、黒魔法のうつくしさを理解している。
彼はきっと、私に有利な空気を作ってくれるはず。
短い付き合いだけれど、私は彼を信用していた。
「心意気はうつくしい」
フロレンは微笑んだ。
が、すぐに真剣な顔になり、魔法の杖を振る。
「だが、僕は! 後回しにされるのが大っ嫌いだ!」
杖の先で、凄まじいファイアーボールが生まれる。
ごお!! と音を立て、ファイアーボールは私に向かって飛んだ。
解説役のジルが、青くなってマイクを取る。
『フロレン選手、すさまじい炎魔法です! ぶち当たったらひとたまりもない――!!』
「くっ!」
凄まじい熱風が、正面からぶち当たってくる。
私は、とっさに横へ跳んだ。
ファイアーボールは間一髪、私の顔の横をかすめ、地面に着弾。
着弾地点から爆風が生まれ、私は派手に吹っ飛ばされた。
『リリアン選手、避けた! が、衝撃は逃しきれないか!?』
「っ…………!!」
ずざざざざ……! と運動場をすべっていく私。
さすがは学生会とやら、凄まじい威力のファイアーボールだった。
ジルは解説席でがたがたと震え、悲鳴をあげた。
『リリアン選手……リリアン、大丈夫ですか!?』
フロレンは、自分の杖を撫でながらひとりごちる。
「ふふ、思った通り。黒魔法は魔物を召喚したり、呪いをかけたりと、静的な魔法が多い。それすなわち! 動的な炎魔法相手では勝ち目はないということ。これでは、わたしがうつくしく勝ってしまうな」
勝ち誇るフロレン。
ジルがフロレンを見る。
瓶底眼鏡の奥で、青い瞳がきらめいた。
彼がフロレンに何か言おうとする、その前に、私はぎりぎり立ち上がった。
『リリアン選手、立った……!! お怪我は!?』
ほとんど私との会話みたいなジルの解説に、観客たちは「真面目にやれ!」とか、ぶーぶー文句を言っている。
私は小さく笑った。
「心配ありませんわ、ジル」
そう、心配ない。
ドレスはぼろぼろだし、顔にまで泥がついている気がする。
多分、あちこちすりむいてもいる。
そんじょそこらの令嬢なら、自分のみっともなさと痛みで泣き出したかもしれない。
でも、私は違う。
私は黒魔法令嬢だ。
存在するだけで忌まわしいと言われる魔物たち。
使うだけでなんだかんだと言われる黒魔法。
それらを守るために必要なのは、強さ。
めげないこと。
あきらめないこと。
美しく、背筋を伸ばすこと。
私は、ことさら華麗に微笑む。
「私、強いですから」
『…………!』
ジルが言葉を失っている。
その肩で、スライムのルキスが感動している。
フロレンはというと、ぎりり、と歯ぎしりをした。
フロレンが杖を振る。
杖の先から、次々新しいファイアーボールが飛んできた。
『こ、これはフロレン選手、ファイアーボールの連発だ! すさまじい魔力を持っていなければできない技です!』
「うつくしくない強がりだ! 顔立ちはいいのだから、一刻も早く己を弱者と認めたまえ!!」
「あなた、ずいぶんとうつくしいのがお好きのようね!」
私は、あちらへ転がり、こちらへ転がり、ぎりぎりファイアーボールを避けながら叫ぶ。
ちょこまか動く私に、フロレンはイライラしているようだった。
「美はすべてに勝る!! わたしは自分の美を磨き上げてきた! 肌も! 髪も! 服も! 足の裏さえ完璧だ! 完璧でなければ僕じゃない!! 完璧なわたしの完璧な魔法の前に、世界はひれ伏すべきなんだ!!」
「なるほど」
自分の目が、きらりと光った気がする。
私は逃げるのをやめ、お嬢様ポーズで高慢に言い放つ。
「残念ながら、今のあなたはぜーんぜん、完璧ではありませんわ!」
「何を!? 侮辱はやめろ!!」
いらだったフロレンは、いくつものファイアーボールをこねまわし、巨大なボールにする。解説のジルが、解説席から身を乗り出した。
『リリアンっ、避けてください!! これは威力が大きすぎる!!』
「大丈夫ですわ、ジル。私を信じて」
私はつぶやき、真剣な表情になった。
私は魔法の杖を前にかざして、真っ白に光り輝くバリアを張る。
バチィッ!! と、ファイアボールはバリアにぶち当たった。
フロレンは驚き、目を見開く。
「なにっ!!」
『これはっ……!! 光魔法のバリアですっ! リリアン選手、光魔法もかなりの使い手だ!!』
驚いたジルが解説する。
おお、と、観客がどよめく。
「学生会メンバーの魔法に張り合ってる……?」
「光魔法ってかなり高度なはずだよ」
「あいつ、ひょっとして、すごいのか?」
フロレンはみっともなく歯を食いしばり、魔力を高めている。
それはそうだろう、こんなぽっと出の転校生に決闘を申し込まれ、よりによって光魔法で対抗されるなんて。
禁忌の黒魔法ならともかく、正規の魔法に負けるのは、プライドが許さないはずだ。
「くそっ……!! 絶対に、貫く……!!」
「っ……!! さすがに強力ですわね……!!」
「だろう……? お前の魔力は、そろそろ限界のはず。素直に、負けを認めたらどうだい?」
「いいえ。負けを認めるのは、あなたですわ」
「なんだと?」
ぎろり、と私をにらむフロレン。
私は魔力不足で全身がぶるぶる震え出すのを感じる。
それでも、最後の力で微笑んで告げた。
「予言をいたします。あなたは十秒以内に、試合放棄で負ける」
「何を適当な……」
フロレンはみにくく顔をゆがめて言い、直後、はっ、と何かに気づいた。
彼はちらりと解説席のほうを見る。
ジルは真剣な顔で私たちを見守っている。
その肩には、スライムのルキスが――いない。
「まさかっ!!」
「その、まさかです」
フロレンが叫んだ直後、彼の背後から、スライムのルキスの声がした。
ばっ! と振り向くフロレン。
そこには誰もいない。
「えっ? どこだ、魔物!!」
ばっ、ばっ、と何度も振り向くフロレン。
彼に何が起こっているのかは、周囲の人間にはよくわかった。
「く、ふ……」
「ふふふふ」
「だめだろ、笑っちゃ! 誰か、助けてあげろよ」
観客たちが笑い出し、ジルが、すっ、と手を挙げる。
『リリアン選手、決めの一手。スライムで、フロレン選手の制服の背中を溶解させました!!』
「え? あ? き……きゃーーーーーーーーーっ!」
叫んでうずくまるフロレン。
ルキスはいつの間にかフロレンの背中に貼り付いて、服の背中部分をどろっどろに溶かしていた。
ファイアーボールは消え、私は微笑む。
「続行不可能。この決闘、私の勝ちです」
「こんなのっ、卑怯だ、卑怯すぎる!! ああああ、ひどい、こんな負け方、わたしはもう、うつくしくないっ……!!」
フロレンはうずくまって震えている。
私は彼に歩み寄ると、自分のぼろぼろになったスカートの一部をちぎり、フロレンの背にかけてあげた。
そうして彼の顎を手に取ると、くいっ、と持ち上げる。
「あなたの負けです。でも――全力で戦ったあなたは、うつくしいですわ」
甘やかな囁きに、フロレンは固まった。
その目の中で、ぱしぱしっと光が飛んでいるのが見える。
「リリアンさん……!!」
ジルが解説席を放り出して駆け寄ってくる。
「ジル、いい解説でしたわよ……っ!」
振り返ると同時に、ジルに抱きしめられた。
ぎゅうっ、とされると、彼の体が思ったより大きいことに気づく。
(案外、力強いんですのね)
魔力も尽きかけの今、私は彼を振り払うことも、動くこともできない。
別に振り払いたいわけでもないから、私は、彼に抱かれていた。
こんなふうに誰かに抱かれるのは、久しぶりだ。
少し恥ずかしいような、決まり悪いような気分だった。
ジルはそのまま、泣きそうに言う。
「無事でよかったぁ……!! 怖かったです、僕!」
「大した怪我なんかしてませんわ。あなたも私の配下なら、私をもっと信じなくては」
「信じます、信じてますけど!! 心配だって、させてください!」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられる暖かさと、素直な心配の声。
だんだんと、決まり悪さが消えていく。
体の芯まで、彼の優しさが染みる。
顔が緩み、私は微笑んだ。
まるで、黒魔法令嬢ではない、ただの女の子みたいに。
「そうね。……あなたの心配を、許します」
私は軽くジルの体に手を回し、小さくつぶやく。
そのとき、腰を抜かしたままのフロレンが、何か言った。
「す……」
「す?」
私が見下ろすと、フロレンは顔を真っ赤にしていた。
目はやたらときらきらしている。
彼はそのまま片膝をつくと、魔法で出した薔薇の花束を差し出した。
「好きです……! 黒魔法令嬢……あなたはこの世で一番うつくしい……結婚してください!!」
「え?」
「は、はあ!?」
私はあっけにとられ、ジルは引きつる。
それでもめげないフロレンに、私は、くすりと笑った。
黒魔法の美しさを、世界に知らしめる。
そしていつか、あのひとに――魔王さまに再会する。
私の野望は、今、大きく前に進み始めた。
■エピローグ――王宮の一室
ローズマリー王国、王宮。
その一室に、高貴な男性が座っている。
目の前には男性の部下がたたずみ、最敬礼していた。
男性の部下は渋い顔で言う。
「なるほど……ブライアグレイヴ学園学生会は、相変わらずそのような好き勝手をしているのですか」
「ひどいものだ。魔力のランク付けを餌に、権力を振り回している」
椅子に座った高貴な男性は、いかにも優雅に、威圧感のある声で答えた。彼は椅子に肘をつき、じぶんのこめかみを静かにたたいて続ける。
「だが――変わるかもしれないな」
「変わる……? なぜでしょう、殿下」
部下の問いに、殿下と呼ばれた男性は一度目を閉じ、ゆっくりと目を開ける。その目は真っ青で、よく光る。
そしてその容姿は、なんと、気弱で猫が好きな魔法学園の一年生、ジルにそっくりだったのだ。
違うのは、眼鏡をかけていないだけ。
そのせいで、目の中に星みたいなマークがきらめいているのが、はっきり見える。
「学園に嵐が来た」
ジルは――ギルバート第一王子は、リリアンを思い出して、静かに言う。
「リリアン・ホワイトローズ伯爵令嬢。いや……黒魔法令嬢。僕は、彼女の作る未来を、見てみたい」
【終わり】
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