おじさんアイデンティティ
プライベートでの人付き合いが苦手だ。
というのは,例えば子どもの保護者同士で会話するとき。
何を話していいのかわからない。
「天気いいですねー。」
「暑いですねー。」
それ以外に,何を言えばよいのかわからない。
おそらくは,目的のない会話が苦手なんだろう。
というかそもそも,私は知らない人にあまり興味がない。
いや,全然ない。
だから別に,その人のことを知りたいわけでもないし,
聴きたいことも話したいこともない。
それを考えると,
世の中の人は本当にすごいなあと思う。
子どものプールに付き添ったとき,
二階から子どもが泳いでいるのを眺めるんだが,
母親同士がめっちゃ盛り上がって話してて,
話してる内容は,ちいかわがどうとか,ボンボンドロップシールがどうとか,新しい担任がどうとか。
どこに着地するのかわかんないような話をひたすらやってて。
そう,このどこに着地するのかわかんない,どこに向かってるのかわかんない,意図のない会話というのが,私は相当苦手なようだ。
一方で,仕事で誰かと話すのは苦にならない。
例えば介護職時代,利用者と話すのは苦にならなかったし,話を聴くのも苦にはならなかった。
認知症の方なんて,それこそどこに向かってるのかわかんない会話がほとんどなんだけど,
ただこちらは相手の思ってることや状況を知るという目的があるから,おもしろおかしく聴くことができる。
自然とこちらから話をふったり,会話を盛り上げる質問もどんどんできる。
ご家族にしても同僚にしても,いろいろ話すことができる。
というのは,それは私に意図があるからなんだろう。
大学の教員をやっているいまでも,
学生に授業をするような一人しゃべりは全然平気。
学生と話すのも全然できる。
同僚やお客さんとかと話すのも,問題なくできていると思う。
ここ数日,学生を数名連れて現場実習に行ってきたんだけど,
当たり前だけど学生と現場の人で雲泥の差がある。
学生たちは私や現場職員に話すのもおそるおそる。
というか,学生同士も初対面だとおそるおそる。
演習的なことをやらせても,「で,どうする?」みたいな感じ。
現場の人は,全く違くて,私や学生にもはきはきとしゃべって,
チーム内での連携もとれている。
ただここで重要なのは,
この学生たちと現場の人たちと,
何か根本的な能力の違いがあるのかといえば,
そうでもなさそうだということだ。
おそらく,この現場の人たちも,
多くの人は学生の頃はもじもじしていたんだと思う。
卒業生を見ても,社会人になって,急にしっかりしたな,という感じになる。
じゃあ何が違うのか,というと,
それは「あいでんてぃてぃ」なのかなと思う。
つまり,「私は〇〇大学で△△の研究をしている教員です」
「私は,〇〇所属のお笑い芸人です」
「私は,〇〇という特養の介護職員です」という,
職業的アイデンティティが強くなることで,
そこに自分の役割ができて,他者とコミュニケーションを取る意味が,
はっきりしてくるのではないかと。
私がプライベートでの人付き合いが苦手なのは,
そこにあるのかもしれない。
つまりプライベートでは,大学教員でも研究者でも介護職員でもなく,
ただのおじさんとしてそこにいるから,
「あれ,おじさんって何をする人だっけ?」となってしまってる気がする。
他者が,大学教員として,研究者として,介護職員として私を見てくれれば,私はいくらでも話ができると思うんだけど,
その肩書をなくしたとき私は,
ただの中年のおじさんなわけで,
他者にどうふるまえばいいのかわからない。
それは学生もそうなんだろうなあ。
学生である彼らは,まだ「現場の人」ではない。
実習先に連れて来られた人であって,
そこで自分が何をしてよくて,何を言うべきなのかを,
まだうまくつかめていない。
一方で,現場の人には役割がある。
利用者の状況を把握する。
必要なことをチームに伝える。
学生に説明する。
だから,見るものが決まり,聴くことが決まり,話すことが決まる。
現場の人としてそこにいるから,しゃべれるのかもしれない。
もしかしたらプールの二階では,だまりこくってるだけの人かもしれない。
うん。
というようなことを,
今度,学生にフィードバックしようと思う。
