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Kuroha Code|LIE CODE Episode 07「殺された男は、翌日の新聞を持っていた」


午前五時四十分。

河川敷で、一人の男の遺体が発見された。

死後、およそ十二時間。

死亡推定時刻は――昨日の午後六時前後。

男の名前は、久我雅彦。四十九歳。

大手新聞社の記者だった。

財布。

スマートフォン。

社員証。

すべて残されている。

強盗ではない。

だが。

遺体の右手には、一枚の新聞が握られていた。

刑事が日付を見て、言葉を失った。

明日の朝刊。

まだ印刷すら始まっていないはずの新聞だった。

しかも一面には、

翌日発表される予定だった企業不正の記事。

そして、その記事を書いた記者の名前は――

死んでいる久我雅彦。

未緒が新聞を見つめる。

「黒羽さん。これ……未来の新聞じゃありません」

黒羽が見る。

「どうして分かる?」

未緒は紙面の端を指した。

「ここです」

黒羽の目が細くなる。

そして言った。

「なるほど。未来から来たのは新聞じゃない」

「じゃあ何です?」

黒羽は遺体を見た。

「この男の死亡時刻だ」

――死んだのは昨日。

新聞は明日。

では、嘘をついているのは誰なのか。



第一章 黒羽の朝

午前六時十二分。

黒羽蓮は河川敷に立っていた。

「寒い」

隣で未緒が言った。

「八月だぞ」

「朝は別です」

「気温二十七度ある」

「数字で体感温度を否定しないでください」

黒羽は黙って歩く。

未緒が黒羽を見る。

「それより黒羽さん」

「何だ」

「寝癖ついてますよ」

黒羽が止まった。

「どこ」

未緒が笑う。

「嘘です」

黒羽が睨む。

「朝六時から人を試すな」

「黒羽さんでも騙されるんですね」

「お前……」

前から美月が歩いてきた。

「朝から楽しそうね」

未緒が笑顔になる。

「おはようございます」

黒羽は言った。

「何が楽しい」

美月が黒羽の頭を見る。

「蓮、寝癖ついてるわよ」

黒羽の手が頭へ伸びる。

未緒が吹き出した。

「また騙された!」

黒羽が二人を見る。

「帰る」

美月が黒羽のコートを掴んだ。

「死体見てから帰って」

「朝から人使いが荒い」

「昔は朝まで付き合ってくれたのに」

未緒の笑いが止まる。

「……朝まで?」

黒羽が美月を見る。

「その言い方やめろ」

「どういう意味ですか?」

「事件の話をしろ」

「またそれですか」

美月は少し笑ってから、河川敷を指した。

「今度は本当に面倒よ」



久我雅彦。

四十九歳。

新聞記者。

後頭部に強い打撃。

所持品に不自然な点はない。

黒羽がしゃがむ。

「死亡推定」

「昨日の午後五時から七時」

美月が答えた。

「最後に確認されたのは午後四時五十分。新聞社を出てる」

「誰かと会う予定は?」

「調査中」

未緒は遺体の手元を見ていた。

透明な証拠袋。

その中に新聞がある。

「これですか?」

美月が頷く。

「明日付の朝刊」

未緒が日付を見る。

「明日……」

「まだ世の中には出てない」

一面。

東亜メディカル 検査データ改ざんか

大手医療機器メーカーの不正を告発する記事だった。

署名。

久我雅彦。

未緒が訊く。

「本人が書いた?」

「原稿データは新聞社に残ってる。でも掲載はまだ決まってなかった」

黒羽が新聞を受け取る。

紙。

インク。

折り目。

そして未緒が言った。

「ちょっと待ってください」

「何だ」

「この新聞、おかしいです」

美月が訊く。

「日付以外に?」

未緒は紙面の端を指した。

小さな広告。

高級ホテルのディナーショー。

『本日20時より』

その下に出演者の写真。

未緒はスマートフォンを取り出した。

「この人……昨日ニュースになってましたよね」

歌手だった。

昨夜、急病で公演中止が発表されている。

発表時刻は午後九時十八分。

ところが明日の新聞なら、

当然、公演中止を反映した広告に差し替えられるはずだった。

美月が言った。

「つまり、この新聞は……」

黒羽が答える。

「完成前の試し刷りだ」

未来の新聞ではない。

新聞社内部で作られた、

校正用の紙面。

未緒が少し得意そうに黒羽を見る。

「私の方が先でしたね」

「ああ」

未緒が止まる。

「……認めるんですか?」

「事実だからな」

「もう一回言ってください」

「事件の話をしろ」

美月が笑った。

「そこは素直じゃないのね」



第二章 死ぬ前の記事

新聞社を調べると、試し刷りは前日の午後三時四十二分に出力されていた。

アクセスしたのは三人。

編集長の石黒達也、五十五歳。

後輩記者の藤原航、三十二歳。

そして久我本人。

問題の記事は、まだ掲載許可が下りていなかった。

理由は証拠不足。

久我は東亜メディカル内部の告発者から資料を受け取っていた。

だが肝心の告発者が分からない。

美月が訊く。

「記事を止めた人は?」

「編集長の石黒」

黒羽が言った。

「会うぞ」



石黒は疲れた顔をしていた。

「久我とは二十年の付き合いです」

「記事を止めましたね」

「証拠が足りなかった」

「久我さんは納得した?」

「するわけないでしょう」

石黒は苦笑した。

「昨日も喧嘩しました」

美月が訊く。

「何時頃?」

「四時半です」

「その後は?」

「久我は出ていった」

黒羽が訊いた。

「どこへ?」

「知りません」

一瞬。

石黒の右手が止まった。

黒羽が見る。

「今のは嘘ですね」

石黒の表情が変わる。

「何を根拠に」

「質問した瞬間、ペンを置いた」

「それだけで?」

「さっきまでどんな質問でも回し続けてた」

石黒は手元のペンを見る。

沈黙。

やがて言った。

「告発者に会うと言ってました」

「誰です?」

「知らない。本当に」

今度はペンが回り続けていた。

黒羽は立ち上がる。

「これは本当だ」

未緒が小声で言った。

「便利ですね」

「何が」

「嘘発見器」

「人を家電みたいに言うな」



第三章 死亡時刻の嘘

司法解剖から新しい事実が出た。

美月から電話を受けた黒羽の表情が変わる。

「もう一度言え」

『胃の内容物よ』

久我は死亡直前に、

蕎麦を食べていた。

未緒が訊く。

「それが?」

美月が写真を送ってくる。

久我のスマートフォン決済履歴。

昨夜、

午後九時四十六分。

駅前の蕎麦店。

未緒が固まった。

「死亡推定時刻、午後六時ですよね?」

「そうだ」

「じゃあ死んだ人が九時に蕎麦を?」

黒羽が首を振る。

「逆だ」

死亡推定時刻が間違っている。

遺体は河川敷の冷却設備の近くに置かれていた。

さらに保冷剤が衣服の内側に大量に仕込まれていた。

体温低下を利用して、

死亡時刻を早く見せた。

実際の死亡時刻は――

午後十時半から十一時半。

未緒が言う。

「だから黒羽さん、最初に……」

黒羽が頷く。

「未来から来たのは新聞じゃない」

「死亡時刻が、過去へ動かされてた」

では。

午後六時頃にアリバイがなく、

午後十一時頃には完璧なアリバイがある人物は誰か。

一人いた。

編集長。

石黒達也。

午後十時から深夜零時まで、

新聞社の会議室で十二人と会議。

完璧なアリバイ。

しかし午後六時なら一人だった。

美月が言った。

「死亡時刻を早めれば、自分が疑われるじゃない」

黒羽が答える。

「そうだ」

「じゃあ石黒じゃない?」

「だから面白い」

未緒が黒羽を見る。

「楽しそうですね」

「そう見えるか?」

「ちょっとだけ」

黒羽は試し刷りを見た。

「犯人が守ろうとしたのは、自分のアリバイじゃない」

「じゃあ何を?」

黒羽は記事の署名を指した。

久我雅彦。

「この記事だ」



第四章 存在しない告発者

久我の取材データを洗い直した。

告発者から届いたメール。

内部資料。

検査データ。

すべて本物に見えた。

だが。

デジタル解析を担当した白石律から連絡が入った。

『資料、一部だけ作られてます』

黒羽が訊く。

「偽造?」

『本物の社内データに、改ざんされた数字を混ぜてる。かなり上手い』

「誰が作った」

『そこまで分かれば苦労しません』

「役に立たないな」

『電話切りますよ』

未緒が横から言う。

「律さん、いつも黒羽さんに冷たいですよね」

電話から返事が来た。

『理由は本人に聞いてください』

切れた。

黒羽はスマートフォンを見る。

「本当に切った」

未緒が笑った。

美月は資料を見ていた。

「つまり企業不正そのものが存在しない可能性がある」

「そうだ」

「久我は偽情報を掴まされた」

「違う」

黒羽が言った。

「久我は途中で気づいた」

久我の机から手書きのメモが見つかった。

『告発者はいない。』

その下。

『記事を出させること自体が目的。』

誰かが大手新聞に虚偽の記事を書かせようとしていた。

企業の株価を暴落させるため。

久我はそれに気づいた。

だから掲載を止めようとした。

だが。

試し刷りを持ち出した。

未緒が訊く。

「どうして?」

黒羽は答えた。

「会うためだ」

「誰に?」

「嘘を作った人間に」



第五章 明日の新聞

久我の位置情報が復元された。

午後十時十二分。

蕎麦店を出る。

午後十時三十一分。

新聞社近くの地下駐車場。

防犯カメラ。

久我が現れる。

そして一人の男が近づく。

後輩記者。

藤原航。

未緒が驚く。

「後輩?」

美月が言った。

「藤原は十一時から別の取材先にいた。だから本当の死亡時刻なら――」

「容疑者になる」

黒羽が答えた。

藤原を呼んだ。

黒羽は試し刷りを机へ置く。

「これを知ってるな」

「もちろんです」

「偽の資料を作ったのも?」

藤原の表情が変わらない。

「何の話です?」

黒羽が言う。

「お前は東亜メディカルの株を空売りしてた」

美月が取引記録を置く。

知人名義。

複数口座。

記事が出て株価が暴落すれば、

藤原には巨額の利益が入る。

藤原は笑った。

「それだけで殺人まで?」

黒羽が答える。

「久我は気づいた」

「証拠は?」

「これだ」

試し刷り。

藤原の目が動く。

黒羽は続ける。

「久我はこれを持って、お前に会った」

記事を出さない。

すべて編集長に話す。

そう告げた。

藤原は久我を殴った。

転倒した久我は、後頭部をコンクリートに強打。

死亡した。

事故に近い殺人。

だが藤原は隠蔽を選んだ。

遺体を河川敷へ運び、

保冷剤で死亡時刻を偽装。

午後六時頃に死んだように見せた。

未緒が訊いた。

「でも、どうして試し刷りを遺体に持たせたんですか?」

黒羽は藤原を見る。

「そこだけ違う」

藤原の顔が初めて動いた。

「犯人が持たせたんじゃない」

美月が訊く。

「じゃあ誰が?」

黒羽は答えた。

「久我本人だ」



最終章 記者が残した証拠

久我は殴られた直後、まだ意識があった。

藤原が車を取りに離れた数分間。

久我は逃げられなかった。

電話も壊れていた。

そこで。

手に持っていた試し刷りを握った。

ただ握ったのではない。

未緒が最初に気づいた新聞の端。

そこに小さな折り目があった。

三回。

未緒が広げる。

折り目が指していた場所。

記事の中の三文字。

藤・原・航。

未緒が息を呑んだ。

「久我さんが……」

黒羽が頷く。

「最後に犯人の名前を残した」

未来の新聞ではなかった。

死亡時刻を示すものでもなかった。

ダイイングメッセージだった。

藤原の顔から表情が消えた。

美月が立ち上がる。

「藤原航。詳しい話は署で聞きます」

藤原は何も言わなかった。

連れていかれる直前。

黒羽が言った。

「記事で人を騙すつもりだった人間が」

藤原が振り返る。

「最後は記事に捕まったな」

藤原は目を逸らした。



事件が終わったのは昼前だった。

未緒は黒羽の隣を歩いていた。

「眠いです」

「朝は寒いって言ってたな」

「それ、まだ覚えてるんですか」

前から美月が来る。

紙コップを三つ持っていた。

「コーヒー」

未緒が受け取る。

「ありがとうございます」

黒羽も手を伸ばす。

美月は渡さない。

「何だ」

「寝癖直った?」

黒羽が頭を触る。

未緒が吹き出す。

「また!」

黒羽が美月を見る。

「……嘘か」

「人の嘘が分かるんじゃなかった?」

未緒が笑う。

「美月さん相手だと弱いんですね」

「違う」

「じゃあ何です?」

黒羽はコーヒーを奪い取った。

「眠いだけだ」

未緒がすぐ言った。

「嘘」

美月も言う。

「嘘ね」

黒羽は二人を見る。

「お前ら、最近それ言いたいだけだろ」

二人が笑った。

少し歩いてから、未緒が訊いた。

「黒羽さん」

「何だ」

「久我さんは最後に、自分の記事を信じたんですね」

黒羽は答えた。

「記事じゃない」

「じゃあ?」

「読む人間だ」

未緒が黒羽を見る。

「誰かが気づくと思った?」

「ああ」

「もし誰も気づかなかったら?」

黒羽は少し考えた。

「それでも残したんだろ」

「どうして?」

黒羽は前を向いた。

「真実っていうのは、見つけてもらわないと意味がないからな」

未緒は黙った。

数秒後。

「……今日も少し格好いいですね」

「少しか」

美月が横から言う。

「褒めない方がいいわよ」

「何でです?」

「昔から調子に乗るから」

未緒が美月を見る。

「また昔の話」

黒羽が歩く速度を上げた。

「帰るぞ」

「黒羽さん、待ってください」

「蓮、逃げるの?」

黒羽は振り返らない。

二人の笑い声だけが追いかけてくる。

嘘は、人を騙すためだけに残されるものではない。

時には。

真実へ辿り着いてもらうために、

人は嘘の中へ手がかりを残す。

黒羽はコーヒーを一口飲んだ。

そして小さく呟いた。

「証拠は嘘をつかない。嘘をつくのは、いつも人間だ」



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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黒羽 KUROHA

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