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ひとりのススメ | 「ちゃんとしてる」ということ

って、どういうことなんでしょうね。

「学校には行かねばならない」
「よい成績を取らねばならない」
「経済的自立をせねばならない」
「仕事で責務を果たさねばならない」
「家族を路頭に迷わせてはならない」
「そのために極限まで節約せねばならない」

これまでの人生半世紀の9割の期間、「ねばならない」理論で「ちゃんとしてきた」。
我ながら実に立派だ。

でもね、今更(ここ数年)で思うのは、この期間、ずっと「自分不在」だったのではないかということ。
自分のことなのに。

自己犠牲の精神のもとそうしてきたわけではなく、「それが当然」と思っていたので、その時々で不満は全くなかったのだが、振り返ってみると、ね。

「ねばならない」理論のもと、どのように過ごしてきたかと言うと、

自分の至らなさに過剰な罪悪感を覚える
自分のために時間やお金を使わない
結果、趣味や好きなコトがなにもない
無駄に我慢する

具体的には、
上手くいかないこと全てが自分のせいな気がして、身を粉にして働きまくる
みすぼらしい身なり、ゴミ屋敷のような部屋
休みの日は終日寝てる
暑くても寒くてもエアコンは絶対つけない
自分でも意味わかんないけど、トイレをギリギリまで
我慢する

果たしてこれは、「ちゃんとしている」のか。

否。
全然してない。

この数年で、子供の自立&離婚&仕事に裁量の幅が持てるようになった、という外的要因の変化から、時間とお金にある程度の余裕ができてきたことによって、生活様式は大きく変化してきている。

早寝早起き・整理整頓・身だしなみ
ささやかな自炊・筋トレ
自分好みの部屋
読書・映画・ピアノ・カメラ・観葉植物・文章を書く
エアコンをつける・行きたい時にトイレに行く

これまで「ねばならない」理論でやってきたことをやらなくてもよくなったわけでは全くないが、「自分が快適であることが最重要事項である」との価値観の変化は極めて大きい。

「ねばならない」理論の積み重ねで得たものは、間違いなく今の自分の礎となっており、かつての自分に感謝ではあるが、当時からもうちょっと「自分」を主軸にできていたら、また違う世界線もあったのではなかろうか。
「たられば」ですけどね。

でもこれは、限りある自身の人生を「いかに生きるか」という、重大な問題なのだ。
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