水脈のほとり
もしも、内なる想いが存在する場所を地中と表現するならば。
そこには確かに水脈があって、頭や胸の奥、そして万年筆を握る指先を、静かに、絶え間なく行き来している。
その流れはほとんど音を立てず、泉水のように澄んだまま、私の内側を満たしているのだ。
週末に出かけた。
荷物は最小限に、鞄の中には手帳と万年筆だけを忍ばせた。
用事自体はすぐに済んでしまいそうだったので、どこかで珈琲でも飲んで帰ろう、そんなつもりだった。
私がよくやるのは、ふと浮かんだ言葉を調べ、謂れや成り立ちなどを手帳に書き出してゆくということ。そしてその途上で気になった言葉をひとつ、またひとつと追っていく。
私は立ち寄ったカフェで、ノートを開いた。
それは内なる静かな流れを、柔らかな紙の器でそっと掬い上げるような作業だった。
その日、思いのままに言葉を渡り歩いた結果は、おおよそノート二頁分の手触りを良くした。
それらの水流が静かに水鏡を成し、いつかそっと誰かの姿を映してくれればいいなと思う。
朝から曇り気味でいくぶん涼しい日だった。
夕方近く、そろそろ帰ろうと席を立った頃には雲は厚みを増して、今にも降り出しそうな気配を漂わせていた。
あ、傘持ってきてないな……
そうして、嫌な予感は的中した。
会計を済ませる最中から雨がポツポツと降り出し、通りをゆく人が次第に傘を開き始めるのが見えた。
まあいいかな。
私はノートに連なった言葉に少し高揚していて、そのまま歩いて帰ることにした。
頭の中では、バート・バカラックの
Raindrops Keep Fallin' on My Head
を流しながら。
そのメロディのごとく、或る日の流れは穏やかだ。
幼い頃に遊んだ湧水地の、こんこんと湧き続けながら静止しているような“たまり”を思い出させる。
その水は、血管とは別の道を通って、静かに全身を巡っていく。
しかし、その静けさの底には時に、不穏な高波が潜む。
空はみるみる明るさを失い、この季節にありがちな急な土砂降りに、それまでの優しい雨粒が豹変する。
道路脇の吐水パイプが、暴力的に水を吐き出す。
ノートが……
私は自分の身体よりも、その言葉が滲んでしまうことの方を恐れて、鞄を抱え込むようにして歩いた。
髪が濡れて、滴り落ちる。
時折、深いところから押し上げられるものがある。
それは静けさを破り、奔流となって胸の内側をかき乱す。
まるで名を与えた途端、形を失う思慕のように静けさを押し広げてしまう。
故に私は、あふれ出す水をいつも必死に押しとどめなければならない。
奔流がやがて細流となって沈み、深いところへと落ちていくまで。
流れる曲はいつしか
Make It Easy on Yourself
へと変わっていた。
私はその気配を感じながら、水脈のほとりに立つ。
瀬音を聴きながら、その名を呼ばぬまま抱きしめている。
