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二時十七分の壁

去年の秋、転職を機に郊外の軽量鉄骨造のアパートに越してきた。

家賃は相場より一万円ほど安かったが、角部屋で日当たりも良く、築年数の割に内装はきれいにリフォームされていた。

その音に気づいたのは、住み始めて二週間ほど経った頃のことだ。

深夜、ベッドに入ってスマートフォンの光を落とすと、隣室と接している壁のあたりから、小さく硬質な音が響く。

「……カチッ」

時計を見ると、午前二時十七分だった。

音は一度きりで、それ以上は何も聞こえない。

最初は、隣の部屋の住人がエアコンのタイマーを切った音か、あるいは壁の中に埋め込まれた古い給湯器のサーモスタットが作動した音だろうと思った。軽量鉄骨のアパートは音が響きやすい。建物の設備由来のノイズだろうと考え、気にも留めずに眠りについた。

だが、それから毎晩、全く同じ時刻に音が鳴った。

スマートフォンの時計が「02:17」に切り替わった瞬間、正確に「……カチッ」と壁の奥で鳴る。

あまりに正確すぎるため、隣人が何かの自動スイッチを使っているのかと思い、音のする壁際に耳を近づけてみた。

「カチッ」という音の直後、壁の向こうから、ごく小さな気配が漏れ出ていた。

「……………る?」

低く、くぐもった声だった。

言葉として聞き取れるかどうかの瀬戸際の音量で、掠れた囁き声が数秒間だけ続き、やがて消える。

声の主が何を言っているのかは分からなかった。ただ、壁の向こうに誰かが立って、こちら側の壁に向かって話しかけているような、異様な近さを感じさせた。

翌朝、ゴミ出しの際に、偶然隣の部屋の住人と顔を合わせた。四十代くらいの物静かな男性だった。

挨拶を交わしたついでに、差し障りのない口調で尋ねてみた。

「夜中に壁のあたりから、カチッとスイッチのような音が聞こえることがあるんですが、設備か何かの音でしょうか」

男性は持っていたゴミ袋を置く手を止め、私の顔をじっと見た。

怒るでもなく、困惑するでもなく、どこか諦めたような表情だった。

「……二時十七分ですか」

時刻を口にしていないのに、男性はその時間を正確に言い当てた。

「あの音、私の部屋からじゃないんです。前の部屋の住人も、同じことを言って三ヶ月で出ていきました」

男性が言うには、以前その部屋に住んでいた二十代の会社員も、夜中の音と囁き声に耐えかねて管理会社に調査を依頼したのだという。しかし、壁の内部に通っているのは古いインターホンの配線だけで、タイマー付きの機器やスピーカーなどは一切見つからなかった。

「前の人は、耳を澄ましすぎておかしくなったんです。聞こえないふりをしておいた方がいいですよ」

男性はそれだけ言うと、足早に階段を降りていった。

その日の夜、部屋の電気を消し、ベッドに入った。

スマートフォンの画面が午前二時十六分を示している。

見るのをやめようと思っても、視線が壁の低い位置に吸い寄せられる。

画面の数字が、二時十七分に変わった。

「……カチッ」

壁の石膏ボードのすぐ裏側で、硬い音が鳴った。

耳を塞ごうとしたが、指が動かなかった。

壁の向こうから、湿り気を帯びた掠れ声が、昨夜よりもわずかに明瞭に響いてきた。

「……まだ、いる?」

息を殺したまま、動けなかった。

壁の裏側の狭い隙間を、何かがゆっくりと横へ這っていくような、衣擦れの音が続いた。

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