彼女の靴下
先週、同棲していた彼女が出ていきました。
理由は些細なすれ違いでしたが、狭いアパートのあちこちに彼女の匂いが残っていて、一人になるとどうしても気が滅入ってしまいます。
今夜は彼女の脱ぎ捨てた洗濯物を片付けようと、部屋の隅の脱衣カゴを漁っていました。
彼女がいつも履いていた、グレーの薄手の靴下が出てきました。
丸めてゴミ袋に放り込もうとした瞬間、ふと、奇妙な違和感が胸をかすめました。
「……待てよ」
床に正座したまま、自分のこれまでの人生を振り返りました。
中高一貫の男子校を出て、大学は工学部。就職先も男ばかりの工場勤務。
人と話すのが極端に苦手で、女性とプライベートでLINEを交換したことすら一度もありません。
今年で三十歳になりますが、私は生まれてから今まで、一度も彼女ができたことなどないのです。
その事実を、私自身が誰よりも正確に理解していました。
告白したことも、されたこともない。
誰かと付き合った記憶も、アパートに誰かを招き入れた覚えも、過去のどこを探しても存在しないのです。
それなのに、私の頭の中には、
「先週までここで一緒に暮らしていた彼女」の笑顔や、彼女の作った味噌汁の味や、彼女と並んで眠った記憶が、昨日のことのように鮮明に焼き付いていました。
手元のグレーの靴下を見つめました。
布地を握りしめた私の指先に、
さっきまで誰かの足に履かれていたかのような、
しっとりとした、生温い人間の体温が、じっとりと残っていました。
