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【短編小説】熱帯夜の回収人

熱帯夜の夜ほど、人の窓辺には光が残る。

蒸し暑い夜は、
窓を開けても風はなく、
街は昼間の熱を抱えたまま眠ろうとしない。

そんな夜になると、
僕は静かな住宅街を歩く。

祖母から受け継いだ古い鞄。

手には、
小さなガラス瓶を提げている。

僕の仕事は、
人の家の窓辺や家の前に残された『熱の光』を回収することだった。

熱の光は、
暑さが生み出すものではない。

眠れなかった夜の疲れ。
言葉にできなかった後悔。
伝えられなかった感謝。
忘れられない夏の思い出。

胸の奥に残り続ける想いは、
熱帯夜になると淡い光となって窓辺に浮かび上がる。

僕は瓶の蓋をそっと開ける。

光は蛍のように揺れながら瓶へ吸い込まれ、
部屋の空気は少しだけ涼しくなる。

翌朝、
その人は理由もなく心が軽くなったような気がする。

誰もその理由は知らない。

でも、
それで良かった。



三年前、
祖母が亡くなってから、
いつの間にか熱帯夜の回収は、
僕の仕事になった。

夜明け前になると、
僕は丘の上へ向かう。

瓶いっぱいに集めた熱の光を、
空へ放つ。

熱を帯びた光は夜風に溶け、
静かに冷えながら空へ昇っていく。

それは、
やがて小さな星になる。

だから夏の夜空には、
毎年少しずつ星が増えていくのだ。

祖母は昔、
笑いながら言っていた。

「人はね、悲しいから星を見るんじゃないんじゃないんだよ。」

「じゃあ、なんで見上げるの?」

見上げて聞いた僕の手を、
祖母はそっと握った。

「手放せた想いが、空で光っているから、見上げるんだよ。」

その言葉を、
僕は今も信じている。



だけど、
その夜だけは違った。

一つの光だけが、
振っても、
逆さまにしても、
瓶から出ようとしなかった。

ほかの光よりも眩しく、
熱を帯びたまま瓶の底で震えていた。

僕は、
その光を集めた家へ戻った。

縁側には、
一人の老人が座っていた。

手には古びた団扇。

視線の先には、
誰もいない庭が広がっている。

「今夜も暑いですね。」

僕が声をかけると、
老人は穏やかに笑った。

「そうだね。でもね、この暑さになると、亡くなった妻のことばかり思い出すんですよ。一緒に縁側で花火を見た夜が懐かしくてね。」

そう言って空を見上げた老人の目には、
月明かりが映っていた。

僕は瓶を胸に抱えた。

在りし日の二人の姿が一瞬見えた。

この光は、
忘れられない悲しみではない。

『忘れたくない幸せ』なのだ。

僕は老人の隣へ腰を下ろし、
そっと微笑んだ。

「もう、きっと、大丈夫ですよ。」

その一言だけ伝えた。

すると瓶の中の光は、
ふっと熱を失い、
夏の風に乗って夜空へ舞い上がった。

流れるように高く、
高く。

そして、
ひとつの小さな星になった。

老人はしばらく空を見つめたあと、
穏やかに笑った。

「今日は、よく眠れそうだ。」



翌朝も街は変わらず暑かった。

蝉は賑やかに鳴き、
アスファルトは陽炎を揺らしている。

けれど昨夜の空には、
誰にも気づかれないほど小さな星が、
一つだけ増えていた。

僕は古い鞄を肩に掛け、
また歩き出す。

今夜もきっと、
誰かの熱の光が静かに灯る。

そしてその想いは、
またひとつの夏の星になるのだ。


✳︎シロクマ文芸部
✳︎お題「熱帯夜」ではじめるnote企画
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