【短編小説】熱帯夜の回収人
熱帯夜の夜ほど、人の窓辺には光が残る。
蒸し暑い夜は、
窓を開けても風はなく、
街は昼間の熱を抱えたまま眠ろうとしない。
そんな夜になると、
僕は静かな住宅街を歩く。
祖母から受け継いだ古い鞄。
手には、
小さなガラス瓶を提げている。
僕の仕事は、
人の家の窓辺や家の前に残された『熱の光』を回収することだった。
熱の光は、
暑さが生み出すものではない。
眠れなかった夜の疲れ。
言葉にできなかった後悔。
伝えられなかった感謝。
忘れられない夏の思い出。
胸の奥に残り続ける想いは、
熱帯夜になると淡い光となって窓辺に浮かび上がる。
僕は瓶の蓋をそっと開ける。
光は蛍のように揺れながら瓶へ吸い込まれ、
部屋の空気は少しだけ涼しくなる。
翌朝、
その人は理由もなく心が軽くなったような気がする。
誰もその理由は知らない。
でも、
それで良かった。
◆
三年前、
祖母が亡くなってから、
いつの間にか熱帯夜の回収は、
僕の仕事になった。
夜明け前になると、
僕は丘の上へ向かう。
瓶いっぱいに集めた熱の光を、
空へ放つ。
熱を帯びた光は夜風に溶け、
静かに冷えながら空へ昇っていく。
それは、
やがて小さな星になる。
だから夏の夜空には、
毎年少しずつ星が増えていくのだ。
祖母は昔、
笑いながら言っていた。
「人はね、悲しいから星を見るんじゃないんじゃないんだよ。」
「じゃあ、なんで見上げるの?」
見上げて聞いた僕の手を、
祖母はそっと握った。
「手放せた想いが、空で光っているから、見上げるんだよ。」
その言葉を、
僕は今も信じている。
◆
だけど、
その夜だけは違った。
一つの光だけが、
振っても、
逆さまにしても、
瓶から出ようとしなかった。
ほかの光よりも眩しく、
熱を帯びたまま瓶の底で震えていた。
僕は、
その光を集めた家へ戻った。
縁側には、
一人の老人が座っていた。
手には古びた団扇。
視線の先には、
誰もいない庭が広がっている。
「今夜も暑いですね。」
僕が声をかけると、
老人は穏やかに笑った。
「そうだね。でもね、この暑さになると、亡くなった妻のことばかり思い出すんですよ。一緒に縁側で花火を見た夜が懐かしくてね。」
そう言って空を見上げた老人の目には、
月明かりが映っていた。
僕は瓶を胸に抱えた。
在りし日の二人の姿が一瞬見えた。
この光は、
忘れられない悲しみではない。
『忘れたくない幸せ』なのだ。
僕は老人の隣へ腰を下ろし、
そっと微笑んだ。
「もう、きっと、大丈夫ですよ。」
その一言だけ伝えた。
すると瓶の中の光は、
ふっと熱を失い、
夏の風に乗って夜空へ舞い上がった。
流れるように高く、
高く。
そして、
ひとつの小さな星になった。
老人はしばらく空を見つめたあと、
穏やかに笑った。
「今日は、よく眠れそうだ。」
◆
翌朝も街は変わらず暑かった。
蝉は賑やかに鳴き、
アスファルトは陽炎を揺らしている。
けれど昨夜の空には、
誰にも気づかれないほど小さな星が、
一つだけ増えていた。
僕は古い鞄を肩に掛け、
また歩き出す。
今夜もきっと、
誰かの熱の光が静かに灯る。
そしてその想いは、
またひとつの夏の星になるのだ。
✳︎シロクマ文芸部
✳︎お題「熱帯夜」ではじめるnote企画
参加させていただきました!
