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加藤登紀子ライブ2026

 シンガーソングライター加藤登紀子さんのコンサート「明日への讃歌 ジーナの生きた100年」が2026年6月20日(土)、東京国際フォーラム・ホールCで開かれた。
 定刻をやや過ぎた頃、会場が暗転し、バックメンバーがステージに登場した。演奏を始めて登紀子さんが登場したが、何とオープニングナンバーは登紀子さんの代表曲「百万本のバラ」だった。
 ステージの後ろのスクリーンには、歌のイメージのように、多くの大きな赤いバラが映し出されて、真っ赤に染まった。
 個人的には思い入れがある歌だ。決して昔から知っていたわけではない。10年ほど前だろうか。会社の先輩で合唱をやっている方が地元でコンサートをやった。その中に「百万本のバラ」があった。
 私はどこかで聞いたメロディーだと思いながら聞いていると、なぜだかわからないが涙が出て来た。同時に、広場がいっぱいになるほどたくさんのバラを、最初から脈がないと分かっている女性に贈ることを称えるかのようなのってどうしてなんだろうと思った。
 しばらくして、音楽評論家の湯川れい子さんらが出演するラジオ日本の特番の収録を見学に行った。その時、湯川さんがたまたまラジオ局で会った登紀子さんから頂いたという登紀子さんの新著「百万本のバラ物語」を私に見せて、「いい本よ」と話してくれたのだ。
 そして私はその本について記事を書き、登紀子さんとのご縁が出来た。そして、「百万本のバラ」の主人公である画家ピロスマニの故郷ジョージアで登紀子さんがコンサートを行った際、同行したのだ。

ラトビアで生まれソ連で大ヒットした「百万本のバラ」
 その現地でのコンサートは感動的だった。
 というのも「百万本のバラ」という曲には曲がりくねった歴史があるからだ。そもそもはラトビアの子守唄だったこの歌をソ連のアーラ・プガチョワが歌って大ヒットした。それを80年代に聞いた登紀子さんが日本語詞をつけて発表し、話題になったという歌。
 かつてソ連の共和国だったジョージア(グルジア)では、この歌を現地の人と一緒に歌おうと計画を立てていたが、断られたそうだ。というのもロシアがウクライナに侵攻し、戦争しているさなかだったからだ。
 だが、観客の反応は素晴らしかった。登紀子さんは当時の国際情勢はあったものの曲の途中からロシア語で歌ったのだった。
 さて、脇道からコンサートに話を戻そう。
 続けて、最後の歌詞の「生きてることが幸せならば 他には何もいらないだろう」が印象に残る「明日への讃歌」。これは1978年、長谷川きよしさんの曲に登紀子さんが歌詞をつけた作品。 
 もう一曲登紀子さんはトークを交えずに歌った。「知床旅情」だ。
 歌い終わると登紀子さんはステージの前に進み出て客席をのぞき込むと言った「元気?」。すると大きな拍手が起こった。
 「今日もよろしく。60周年が済んだので、まあ、振り出しに戻ったっていうことにしましょうか。(拍手)それにしても振り返る時間が長くなって、今日も客席、年齢の幅が広くて、これが私の自慢です。本当にうれしいです」と話すとまた観客は大きな拍手をした。

海に国境はなし
 ここで登紀子さんは「知床旅情」で思い出したとして次のように語った。「1970年2月、酷寒の北海道根室に私が看板ではなく、労音の全道コンサートで行ったんです。26歳の時だったかな。真っ白な雪の中、誰も外出しようとしなかったけれど、私は一人タクシーで納沙布岬へ行くと、灯台があっちとこっちから向き合ってこんにちはしていたのを思い出しました」
 「2022年4月、事故があって船が海に沈みました。その時、もう一回「知床旅情」を歌いたいって思ってピアノの鬼武(みゆき)さんにアレンジし直してもらって、歌っています」
 「海に沈んだ人たちはサハリンや国後などで発見されましたが、知床の人たちも協力しました。それは海に国境はないから。今までそうやってきたのだということをひしひし感じたのが2022年という年でした」。
 ここから3曲続けたー「生きてりゃいいさ」「I Love You」「難破船」。
 「生きてりゃいいさ」は登紀子さんが「愛する」河島英五さんと、1978年の年末恒例の「ほろ酔いコンサート」で初めて会って、その後、贈ってもらった作品だという。
 次の「I Love You」を書いた尾崎豊さんと登紀子さんは面識はなかったが、登紀子さんは「なぜか私の中に運命のように生きている」そして「若いという痛々しさが伝わって来る」歌だと語った。
 「難破船」は登紀子さんが20歳の時の恋を40になってから歌にして、中森明菜さんに提供してヒットしたナンバー。

女一人だった大学の演劇研究会
 ここで登紀子さんは22歳、大学の演劇研究会の話をした。
 その研究会には女子部員は登紀子さん一人だけだった。「うっとりしていたわけよ。みんな私の恋人みたいな気分でした」
 「一つ下の下級生がいて気になる存在で、その人は中原中也が好きでした。飲み会でも中也を朗読するような男でした」
 「ある時芝居が終わって帰ると、その男から電話があって言うんです『好きな人ができちゃって、どうしても言えないから、その人に登紀さんから伝えてくれないか』って。その時、私ちょっとうれしかったんです。がっかりはしませんでした。だって彼にとって好きな女の子は遥か遠くにいるけど、私はすぐに触れられる関係だったからです」
 「男と女の関係でああいうこととかしないでもそれでいいと思っています。楽しくて分かり合えていればいいって思います」
 ここでバックバンドのメンバー紹介をした。
 〇ピアノー鬼武みゆきさん
 〇バイオリンー渡辺剛さん
 〇ベースー早川哲也さん
 〇ギターー告井延隆さん
 そして「汚れっちまった悲しみに・・・」という作品を歌うのだが、これは告井さんがいい曲を書いてきたというのに中也さんの詩がぴったりとのっかったので登紀子さんが歌にしたという作品だ。
 ちなみに中原中也は来年生誕120年となる。
 第一部の最後は「Now is the Time」。これは登紀子さんの夫が亡くなった年の元旦に作詞作曲したという作品。

 第二部はのっけから登紀子さんは3曲続けて歌った。
 まず、宮崎駿監督によるジブリ映画「紅の豚」のラストテーマ「時には昔の話を」。続けて「悲しき天使」。これは1924年革命後のソ連で大ヒットした歌で、スターリン時代に国外に逃れた亡命ロシア人たちに愛された。
 そして1968年にビートルズのポール・マッカートニーのプロデュースででメリー・ホプキンによって歌われて世界的にヒットした。
 三曲目は「さくらんぼの実る頃」。フランス語で歌い始めた。映画「紅の豚」では、登紀子さんが声を担当したジーナが歌っている。

「紅の豚」のポルコとジーナはどうなった?
 3曲歌い終わると登紀子さんは映画「紅の豚」について話をした。この歌の舞台は1871年のパリコミューンによる市民革命の時代だ。「紅の豚」はそれから50年後の話で、なぜイタリアでこの歌を歌っていたのか?登紀子さんは「宮崎さんにまだ聞いていないんですけど」という。
 50年後は1931年。世界大恐慌が始まってからわずか2年後、さらに不戦条約が結ばれてからも2年後。映画の主人公ポルコは顔を豚に変えて軍隊から脱出した。「この後、ポルコとジーナはどうなっていたのかといえば、仲良くやっていたと思います。結婚しなかったと思うけど、恋人以上の関係を続けていたんじゃないか」と登紀子さんは語った。
 この後も登紀子さんは3曲続けて歌った。
 「暗い日曜日」。これは大恐慌で世界が混乱していた時、フランスの歌手ダミアが歌って世界的な大ヒット曲になった。登紀子さんは中学時代からダミアが大好きだった。「そんな時代に歌われた曲ですが、生きる力ってどこににあったのだろうと思います」。
 そして「リリー・マルレーン」。これは第二次世界大戦中、ドイツで生まれたキャバレーソング。売れなかったが、なぜか戦場で放送されて、敵味方のドイツ軍、連合軍の兵士たち両方から愛され、この詩がマレーネ・ディートリヒに渡されて、有名になったのだ。
 次も歴史に深く関わる歌で「今日は帰れない」。ポーランドで労働組合「連帯」が反ソ連の火を掲げた時、パリに亡命した歌手アンナ・ブリュクナルが歌ったのを登紀子さんが知り、日本語に翻訳した。

「花はどこへ行った」と「イマジン」
 次の曲はアメリカのプロテスト・シンガー、ピート・シーガーによる反戦歌「花はどこへ行った」。1950年代いわゆるレッドパージという「赤狩り」にあっていたピートが、ロシアの文豪ショーロフの小説「静かなドン」の中のコサックの子守唄を参考に作った作品だ。
 そしてジョン・レノンとオノ・ヨーコの共作「イマジン」。まず登紀子さんが英語で歌い、続けて告井さんが英語で歌うのを追いかけるようにして登紀子さんが日本語詞を語りでつけていった。
 ちなみに告井さんはジョンもメンバーだったビートルズの大ファンで、ギター一本でビートルズナンバーを演奏する「一人ビートルズ」で知られる。
 歌が終わると登紀子さんは言った「喜びの中でこの歌を歌う日をぜひ希望したいと思っています」。
 本編最後は、登紀子さんが「私が生まれた時のことを思い出して作った」という歌「君が生まれたあの日」。生まれた時の気持ちを父親は書いておくべきだったと思い、実際は書かなかったけれど、思ったことはたくさんあっただろうと想像してこの曲を登紀子さんは書いたと話した。
 登紀子さんが「生まれたあの日」は1943年12月27日だ。
 「これから船出ですよ。大きな海に小さな舟で。素敵な旅を。今日は本当にありがとう」と登紀子さんは言うと、両手でマイクを握りしめて深々とおじぎをした。そして両手を上に上げて広げた。続けてバンドメンバー全員が立ちあがっておじぎ、そしてみなが引き揚げていった。
 拍手が鳴りやまず、アンコールとなった。
 まずは競馬場から逃げ出した馬について歌った「サルダーナ」。この日のコンサートの締めくくりは「幸せのために生きているだけさ」だった。
 
 

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